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トゥオネラの白丁

神田祭に出ることにした。
と申してもふんどし姿で神輿を担ぐわけではなく(無
理無理)、私の出るのは附祭(つけまつり)の方であ
る。
附祭とはまあ神事に付属する町人の余興のようなもの
で、みんなでハレの装束を着て趣向を凝らした山車を
曳いて練り歩くのである。

祭の歴史や詳細については他に譲るとして、実は今年
は「大江山の酒呑童子」の山車行列を復活(復元?)
しようという計画があり、福原敏男センセイ率いる「
都市と祭礼研究会」と木下直之センセイ率いるわが文
化資源学会が中心になって立ち上げた、その名も「神
田祭研究会」が考証に一役かっているのである。
この山車は源頼光 with 四天王の凱旋パレードという
趣向で、酒呑童子の大首を据えた山車を囲んで、鎧武
者や仕丁(じちょう)・女官なぞが集団で練り歩くと
いうもの。
まあそれだけっちゃそれだけのことなのだが、江戸の
昔にはこれが大変な評判になったそうで、絵巻にも残
っているその行列を丸ごと復活させようという企画で
ある。
大首はハリボテではなくて現代の見世物技術を駆使し
てバルーンで製作するという。
ね、面白そうでしょ。

さて本日の神田祭研究会はその第一回研究発表の場で
あると同時に、神前への参加奉告と配役発表の場でも
あって、われわれ参加者に「お役」が言い渡されるの
である。
ということで私に振られた役は

藤原保昌付きの旗持ちの白丁

これである。
白丁・仕丁とはいえポジションからいえば当然名題さ
んの役だろう。
たぶん幕明きには浅葱前に並んで
「ナント聞いたか。都を騒がす鬼たちの、その頭目の
酒呑童子」
とかいって6人ぐらいで鬼退治の噂話をして、
「お供揃いの刻限なれば」
「そんなら支度に」
「かかろうか」
とかいってぞろぞろ袖に引っ込むはずだ。
本舞台に板付いてチョンと浅葱が落ちて鳴物が入ると
「明神さまのお社へ、いま奉る素っ首の」
「酒呑童子をひと呑みに、今日を誉れの凱陣は」
とかなんとかちょっと渡り台詞があって、
「ただただおめでとう」
「存じまする」
とかいって頭を下げたりなんかするはずだ。
いわばそういう役どころである。
ほんとのとこは別に芝居をするわけではなくてもちろ
ん台詞もなく、保昌役の方に付き添ってそれっぽく歩
くというだけのことなのだが、そうはいってもやはり
役の性根というものがありますので。

着付の説明用に巫女役が使う緋の切袴がきていたので
興味津々でズボンの上からはいていると(変態ですな
)、禰宜のS水さんがやってきたので「わたしほんと
は『酒呑童子にさらわれた姫』がやりたかったんです
が」と言ったら、まじめなS水さんは苦笑いしながら
「いやー今のところ女形はちょっとですね…」と言葉
を濁していた。すみませんでした。でもちょっと本気
。本気と書いてマジと読む。

ところでイタリアではあちこちの町でイヤというほど
時代行列を見たが(イタリアではすべての祭りの基本
は「行列」にある)、驚いたのは日本の時代行列をこ
とごとくしょっぱいものにしている「照れ」や「素人
の過剰な張り切り」が全く見られないことである。
子供も含めて皆さん実に自然に振る舞っておられるの
で、観光的比喩ではなくてほんとにタイムスリップを
幻視する一瞬があったりして、「ああ本来の時代行列
の興趣とはこういうものか」と大いに感心した。
濃い顔立ちと派手な時代衣裳が齟齬をきたさない、あ
るいは背景となる町の風景がよく古色をとどめている
、というのも大きな要因であろうが、持って生まれた
芝居ごころというか「他人の眼に映る自分の姿」をイ
メージして具現化する力みたいなものが彼らは優れて
いるのであろうな、きっと。

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2007年04月18日 17:41に投稿されたエントリーのページです。

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