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歌舞伎の見方

職場のおねえさまが「ちょっとちょっと」と物陰に呼ぶので、いよいよ左遷人事の話かと思ったら「あれ書いてんのあなたでしょう?私ウチダセンセイを人生の師と仰いでいるのよ、実は」と告白された。
タナコといえば子も同然というが、私は単に更新のご面倒をおかけしているだけの、通りすがりのタナコに過ぎない。
だから「センセイに応援してますって言っといてね」と言われても、「あのう、うちの職場に大ファンのおねいさんがいますう」とバカ丸出しのお口上をここに書くことしかできないのである。

私は歌舞伎を見るのが大好きだが、それを仕事にしてくれと神に跪いて祈ったおぼえはない。
またしても公演シーズンの幕明き。
これから来春までは馬車馬のように働かなくてはならない。
あんまり忙しいので歌舞伎が見られないのである。いやほんと。
行きたい芝居や寄席に好きなだけ行かせてあげるよ、と耳元で囁かれたら、私はうかうかと悪魔の足下に魂をなげだしてしまうであろう。

「歌舞伎って本番までにどれくらい稽古をするんですか」とよく聞かれる。
現代演劇やミュージカルだと一ヶ月から二ヶ月、もっとかける場合もあるが、歌舞伎ではだいたい四、五日。
前月の興行が終わってから(25日とか26日とか)当月の初日(1日とか2日とか)までの間に行うわけであるから、どうしたってそれぐらいの日数しか確保できない。
もちろん公式の稽古にかかるまでの間に、役者さんたちは台詞を覚えたり先輩に教わったりビデオを見たりして個人稽古を始めているのであるが、4日や5日の総稽古でお芝居の幕を開けるというのはいくらなんでもムチャである。
でもそういうものなのだ。
だから初日が開いてもしばらくの間はみんなが手探りである。
台詞を覚えていない人にはプロンプターとしてお弟子さんや狂言作者さんが付くので、前の方の席だと台詞が二度聞こえてお得だ。立場上許されない冗談でした。すみません。
「あっちの衣裳の方がいいや」「この台詞はカットしよう」「やっぱり正面から出て」「照明落として」と演出が変わってしまうことも多い。
古典芸能といえども細かいところは揺れているのである。
そういう諸々の変更が落ち着くのがだいたい三日目。
だから開幕から三日目を「返り初日」と呼ぶ。
わざわざこの日を指定してチケットをお求めになるお客様もいらっしゃる。
またお芝居の内容が固まって、役者さんも間違えず確実に出来るようになった状態を「初日が出た」という。「○○助さん、やっと初日が出たよ~」というように使う。
このように興行上の初日と実質的な「初日」にはタイムラグがあるのだが、大正ぐらいまでの歌舞伎はもっとすごかった。
演目が決まらない、配役で揉めている、資金繰りの不首尾など諸々の事情で、初日がずるずると延びる。
みんな「まだかなーまだかなー」と待っているといきなり「明後日初日!」みたいなお触れがある。
めでたく初日が明いたとしても、予定の演目が全部見られることなどまずあり得ない。

時間切れになると幕の途中でも突然「今日はここまで!」と言って終わってしまう。
それで切符代を返せ、と怒る観客もいなかった。
日が経ってだんだん上演時間が縮まってくると、見られる部分が少しずつ増えてくる。

けれども「五幕目は結局最後まで見られなかったね」「どんな話だったんだろうね」てなこともよくある。
つまり人々は、一定の時間のなかに「初め」と「終わり」のある「演劇」を見に来ているのではなくて、桟敷に座っているあいだに目の前をなんだかキレイで感動的なものが右から左に流れていく、その「あいだ」を舌なめずりしながら楽しんでいた。
別に初めから終わりまで付き合う必要はなくて、食べたいとこだけ食べて、お腹一杯になれば帰ればよい。
そういうものだったのだ。
今では考えられないが。

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2005年04月23日 19:57に投稿されたエントリーのページです。

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