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世の中にはそんなこともあるのよ

(つづき)
バスルームの白いもやもやは全然人のようには見えなかったけれど、霊感の強い人ならもしかしてはっきり見えたのかもしれない。表情とかまで。うわーいやいや。霊感微弱でよかった。
これがもし本当にボローニャ駅でお亡くなりになった方だとすると、大変お気の毒には思うけれど、これはもうお引取りを願った方がお互いのためであろう。
きちんと熱意をもって筋を通して説得してみよう。話せば分かる。
ということで、

1.あなたは死んでいて、生きている私とは住む世界が違うこと
2.私に何か言われても何もしてあげられないこと
3.私は困惑するばかりなのでもううちには来ないでほしいこと

を、空中に向かって日本語で説明してみた。
拙いイタリア語よりは日本語の方が誠意が通じると思ったからだ。
演劇のワークショップではあるまいし、われながらどうかと思う姿だが、この手のややこしいことに巻き込まれるのは本当に嫌なので必死である。
そうしておいてとにかく自室の机に向かって座ってみたが、だんだんどきどきしてきて落ち着かない。

電話とちがってリアルタイム実況中継ではないし、まあメールなら害はなかろうと、それまでの出来事をメールにしたためて、家人に送信しようとした。
送れないんだ、これが。
正確には覚えていないが「送信できません」だか「接続できません」だかのメッセージが出て、メールが送れない。
二回、三回、四回と試すが、送れない。
パソコンのことだからこんなことがあっても全く不思議ではないが、こんなことは初めてである。
五分ほど時間をおいてやってみるが、まだ送れない。
部屋じゅうの空気が塊になってみしみしと迫ってくるように思われて、耐えられずに「かんべんしてよー」と声に出して言ってみる。
自分の声によって空気の塊に切り口が開けるような気がして。
冷たいのか熱いのか分からない、変な汗が出てくる。
これは結構深刻な状況なのかもしれないと思って、机の前で固まったまま真剣に考えた。
メールが送れないのは、「メールを送ってほしくない」という誰かの意志かもしれない。
ということは「他の人に知られたくない」ということか。なぜだ。分からない。
しかしここで送信を断念するということは、その者の意志に従うことになり、「言うことをきいた」ということになる。
それでよいのであろうか。
それとも生者である私が、よく分からない何者かの意志に従う必要はないのだから、あくまで送信にこだわった方がよいのであろうか。
でも変な意地を張ることによって嫌なことが起こりはしないか。
これは難しいぞ。
悩んだ挙句に結局私は後者を選び、間をあけて何回か試行するうちに(それでも何回かは送れなかった)無事メールは送信された。やれやれ。
しかし油断すると何かが現れそうな気がして緊張がとけない。上半身が凝ってきて痛い。
また出てきたらどうしよう。粘り強く説得するのか。
みんなが昼寝しているわけでもあるまいが、真夏の昼間は静まりかえっている。

ネットでボローニャ駅の爆弾テロのことを調べてみた。
「もしかしてこれは『調べさせられている』のか?」とも思ったが、これぐらいはいずれにしても避けて通れない道だろうから調べた。
イタリアは1960年代末以降、マフィアの抗争事件、「赤い旅団」による首相暗殺、右翼・左翼双方による無差別テロ頻発と、血なまぐさい暴力の時代に突入する。これを「鉛の時代」と呼ぶ。
ボローニャ駅の事件もその重苦しい空気の中で起こった。
ボローニャはもともと左翼勢力の非常に強い町で、テロの標的になりやすい下地はあった。
1980年8月2日、ボローニャ駅構内で爆弾テロ発生。
85人死亡、200人負傷。
戦後ヨーロッパでは最も悲惨な無差別テロ事件の一つ。
極右団体NARが犯行声明を出したが、背景にはかなり込み入った国際政治事情があるらしい。
驚いたのは次のところである。
当時早稲田大学の学生だった20歳の日本人男性が亡くなっている。
現地で碑を読んだ時には日本人の名前には気づかなかった。
そこにある名前の全部は読まなかったので、もしかしたら後半の方にあったのかもしれない。
これは私の妄想に過ぎないし、それを書くのは御遺族の御心情を考えると軽率かとも思うのだが、もしかしたらうちのバスルームに現れたのは彼なのかもしれない、とその時は思った。
さすればわざわざ旅行中の日本人の、しかもそういう感度のものすごく鈍い私のところを選んでやって来たのも納得がいく。
彼はまだ日本に帰れずにいるのではないかしら。
重ねて申し上げるがこれは私の妄想に過ぎない。
もうこの一件はこれですべて終了ということにしようと思った。

一週間ぐらい経って、写真のプリントを引き取ってきた。
お祭りの写真がずーっとあって、最後にボローニャ駅の写真が二枚出てきた。
もうお分かりですね。
写真が変なのである。
二枚とも、例の碑の部分だけが、墨で塗りつぶしたように真っ黒けになっている。
刻まれているはずの文字はみごとに一文字も判読できない。「うっすら」とも出ていない。何かの手違いで、紙焼きした後に上から塗りつぶしたのではないかと思うくらい見事に真っ黒。
もちろん逆光になってしまったという可能性もある。できればそうあってほしい。
しかし私は仕事で写真を撮ったりもするので、最低限逆光にならないぐらいの心がけと技術はもっている。
写真を見ても、いわゆる逆光の写真とは全然写り方が違うし、碑の部分以外の周りの風景はごく普通に写っている。すごく不自然で違和感がある。
そして画面右上方から碑の中央付近にかけて赤っぽい光のようなものが写っている。構図が違う二枚とも。
この「光のようなもの」はよくテレビの心霊写真解説で見るし、写しそこないの決定的証拠のようにも思えるのだが、なんだかいまひとつ解せない。
一連の出来事の後とあっては、もはやこの不自然な写真も、一連の出来事の線上にあるとしか思えない。

その後ほどなくしてペルージャから友人の文化人類学徒・M嶋さんが遊びにやって来たので、一部始終を話してビビらせる。
M嶋さんも私と同じく「ま、世の中にはそんなこともあるわな」派の人であるが、さすがにこれから泊まろうという部屋の話だから少しは気味が悪いらしい。
しかし緊張を強いるような「気配」は、わが家からもうなくなっていた。
「やっぱり一連の出来事は誰かの意志によるものだったのだろう」ということに話は落ち着いた。
物知りのM嶋さんに「鉛の時代」のことなどを詳しく教わるうち、「え、ちょっと待って。そのボローニャ行った日って、テロのあった日とちゃうん?」と言われて、私は黙ってしまった。
M嶋さんも黙ってしまった。
調べればすぐ分かるのだが、それが8月2日だったかどうかは、わざと確かめなかった。
いまも確かめていないが、ものすごく近い日だったのは間違いない。

幸いその後の生活に障りはないし、自分としてはとても貴重な体験だったと思っている。
こうして筋道をたてて整理してみると、なかなか興味深い話のようにも思えるし、全く大したことのない話にも思えるし、「全部偶然と妄想じゃん」と言われても「そうかもね」としか思わないような気もする。
ま、世の中にはそんなこともあるわな。

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2005年04月04日 15:38に投稿されたエントリーのページです。

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