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ボローニャ駅奇譚(こわいよん)

かつて旧サイトにちらりと書いたのであるが、私はイタリア滞在中に霊体験のように思える体験をした。
私はちっとも霊媒体質ではない(と思っている)し、幸いそんな体験は後にも先にもそれっきりである。
別に「あなたの知らない世界」のような劇的な恐怖をともなう体験でもなく、自分としては非常に合理的で納得のいく話だと思っているのだが、内輪の酒席で興に乗じて披露したりすると意外に大きな反響がある。まあ酔っているせいかもしれないが。
たぶん私にとっても、イタリアの思い出ベストテン第五位ぐらいには入る出来事なので、この辺で筋道をたてて総括しておくことにする。
筋道をたてると申しても、細かい点はもう記憶がおぼろになっているし、それを調べ直して明らかにしようという気もない。
長いので二回に分けます。

7月末か8月あたまのこと。
ヨーロッパは記録的な猛暑でイタリアも暑かった。
田舎町にお祭りの取材に行った帰りだった。
フィレンツェ行きの電車に乗り換えるために、一旦ボローニャ駅に降りた。
午後遅くの太陽がまぶしかったので4時とか5時とかいう時間だったのだろう。
乗り換えの待ち時間が30分ぐらいあった。
私は駅の待合室が嫌いである。
ゴミが散らかっていたり空気が悪かったりして不快なことが多いし、酔っ払い・置き引きなどの怪しい人がいる可能性も高いので、駅の待合室にはなるべく入らないようにしている。
たいていはホームにいて売店や通行人の様子を楽しく眺めながら電車を待つ。
しかしなぜか(今にして思えば)その時は躊躇することなく待合室に入っていってストンと腰を下ろした。
夏のこととて、もしかしたら自分で感じる以上に体が疲れていたのかもしれない。
ストンと腰を下ろしてまっすぐ顔を上げると、すぐ目の前に大きな碑が建っている。
碑は待合室の入口に背を向けているので、入るときには気付かなかった。
見上げるほど大きい碑なのでなんだろうと思って字を追ってみると、1980年にここで爆弾テロがあり、その犠牲者の名前と享年が刻まれていることが分かった。
すぐ横には爆心地というのか、「まさにここに爆弾が置かれ爆発しました」という地点がそのままに保存してあって、剥がれた床や壁の一部が柵で囲われている。
へえ、ボローニャ駅でそんなことがあったとは知らなかった。
結構な人数死んでるんだな。
ちょうど「人の死をどうやって記念するか」みたいなことに興味をもっている時だったので、何かのネタになるかもしれないと思い、立ち上がってインスタントカメラで(当時デジカメが故障していたので)写真を撮った。
また座って改めて碑を読み直してみると、名前で性別が分かるし、享年が書いてあるので、大まかな人物像が描ける。
夫婦や家族連れが多い。もちろん赤ちゃんや子供もたくさんいる。
うーむ、やはりテロというのはろくなものではないなあ。
こうやって電車待ってて突然親子そろってボカンって死んだらたまらんなあ。
とつらつら名前を読んでいるうちに、急に涙が出てきた。
それもドラマで見るような「ツーッ、ポタリ」みたいな可愛らしい出方ではなく、突然だらだらと涙があふれてきて、うえっうえっと思わず声が出そうになる。
なんじゃこれは。
別段彼らの死に対する哀悼の情に打たれて感極まったわけではない。と思う。少なくとも自分の意識としては非常に醒めている。
「ネタになる」レベルで碑を読んでいたら、突然の嗚咽。
瞬間「あ、これはちょっとやばい系かも」と思った。
体の変化が余りにも突然だし、自分の意識と連係してなさ過ぎる。
霊(というものがあるならば)に反応する体質の人たちに、似たような現象が起きることはかねて仄聞している。
ひょっとしたらいま自分に起きているのはソレかもしれない。
とすると、周りの人に恥ずかしいこともあるけれど、ここにあんまり長居するのは、なにかこう非常に良くないことなのではあるまいか。
慌てて荷物を持って逃げるようにホームに出たら、しばらくして涙と嗚咽と動悸がゆっくりおさまってきた。
予定の電車に乗り、なんだかポカンと間の抜けた気持ちでフィレンツェのわが家に帰ってきて、ワインを飲みながら少し考えた。
駅の待合室で電車を待っていて、突然ボカンと爆発があって即死してしまったら、きっと自分が死んだのかなんだかよく分からないに違いない。
そういう人たちが「一体いまのこの状態はなんだ?」と、20年以上経った今でも不審に思っている、ということが、ひょっとしたらあるかもしれない。
仮に「ああオレ死んだんだ」と思っても「ま、しょうがないわな」と納得できない人だっているだろう。なにしろ爆弾テロだから、普通なら「なんでー?」と思うだろう。
そういう「なんなんだ?」「なんでー?」というような、感情というか思念のようなものが、あの場所の空気中にいまだに滞留している、と仮定してみよう。
碑に刻まれた名前を読んでいくうちに、自分はその人たちの生きていた時の姿を想像し、いくばくかの同情や悲しみを寄せた。
その悲しみの感情と、空気中に漂っている彼らの感情とが重なって、あたかも接触の悪い電球が一瞬ピカリと光るように、周波数をシンクロさせてしまったのではないか。
その瞬間に、彼らの感情や思念を私の身体器官が受信して変換し、嗚咽という形で現出させた。
という解釈はどうだろう。
よくは分からないが、自分的にはものすごく納得がいった。
ま、世の中にはそんなこともあるわな、と思って寝た。

私の解釈が正しければ、なにしろ三十路を超えて初の霊体験である。
少しどきどきするが、ネタとしてはなかなかの上モノである。
まずは東京にいる連れ合いにご機嫌伺いの電話をかけ、ついでにコトの顛末を報告&自慢することにした。
現地時間は昼の12時か1時ぐらい。
うちの電話は玄関を入ってすぐの廊下にあって、その横はバスルームになっている。
換気のため洗面所のドアはいつも半分ほど開けてある。
電話をしながらだと、半分ほど開いたドアの隙間から、一番手前にあるビデと洗面台が見える。
内装はイタリアっぽく真っ白で、明るく清潔感のあるバスルームだ。
いつもの通り格安国際テレカで電話をかけ、わが家の様子などをひととおり聞きながらふっと(こういうときは本当に「ふっと」ですね)目を上げると、洗面台と自分との中間ぐらいで、高さ160cmぐらいのところに、白い雲のような小さなもやもやができてきた。
ん?と思ったら、しゅーっとバスケットボールぐらいの大きさになった。
といっても輪郭のある球体ではなく、スケスケ半透明の綿菓子という感じ。
立ちくらみか眩暈でそういう模様が見えたのかと思って目をぱちぱちさせてみたが、別にそういうことはない。視界も意識もはっきりしている。
場所が場所だから湯気かとも思ったが、お湯を使っているわけでもないし、朝からドアを開けてあるので室内は完全に乾燥しているはず。
排水管から何かの湯気がとび出して来た?
それにしても湯気がこんな固まりになって一つ所に静止するだろうか。
というようなことを1.5秒ぐらいの間に考えたが、実は本当はピンときていた。
目の前のもやもやには、なにかこう、意思をもつもの独特の「気配」のようなものがあった。
ボローニャ駅での出来事が一瞬にしてつながった。
私は、これがボローニャ駅での一件に深い関係のある存在(たぶん人)であって、フィレンツェの私のところまでついて来てしまったのだと直感していた。
それから考えたのは、「こういう人に近づいて来られるのは基本的によくないことである。だからいま起きている状況を電話で先方に伝えてしまうと、もしかして先方にも何か良くない影響を与えてしまうのではなかろうか」ということだった。
そこで電話ではごく普通に会話を続けながら、これから状況は変化するだろうか(例えばもやもやが私の方に向かってくるとか)、変化すればどう対応するべきか、とピリピリに緊張したまま、もやもやを凝視していた。
目と、耳&口が別々の回路でフル稼働していたが、気持ちは落ち着いていた。すごく集中していた。
しばらくするともやもやは「ふー」とゆっくり消えてしまった。
30秒か1分か3分か、時間はよく分からない。
電話での会話はなにごともなかったかのように終了した。(つづく)

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2005年04月01日 22:48に投稿されたエントリーのページです。

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