« 「余人を以ては代え難い人」について | メイン | ボローニャ駅奇譚(こわいよん) »

そもそもなぜそのご研究をなさるのか

開花が待ちきれずに「桜の葉切りそば」で春を祝す。
四国出身の私は、真っ黒でうまいそばつゆに当たった時だけは「東日本に住んでてよかったー」と思う。
目下の心配事は関東大地震である。

某研究会にて。
某発表者の発表後、ごく自然に口からこぼれた、という調子で、聴衆の一人から質問があった。
「あのう、お話自体は面白く伺いましたが、そもそもなぜそのご研究をなさるのか、なぜその研究対象をお選びになったのかが、私にはよく理解できませんでした。そのご研究をなさることの意義、と申しますか。そのあたりについて、お考えをお聞かせいただけませんでしょうか」
これに対して発表者は正面からは答弁せず、なんとなく発表内容を敷衍するような内容の説明を行った。
質問者は特に食い下がるでもなく、質疑応答がよく噛み合わないまま曖昧な感じに発表は終了。
散会後の人だまりの中で、正対するご意見を耳にした。
ある方は「『あなたの研究にどんな意味がありますか?』などと問われて明瞭に答えられる研究者などいない。質問するほうが非常識である」とおっしゃり、ある方は「研究者が自分の研究の意義を説明できないなどもってのほかである。たとえ不十分にもせよ、あの質問にはきちんと答えるべき責任がある」とおっしゃった。
私は圧倒的に後者のご意見に与する。
前者のご意見を述べた方は、どうも質問を「その研究が具体的・実際的にどんな役に立ちますか?」という意味にとられたようだが、質問者の真意はたぶんそうではない。
私も発表を聞いていて、質問者と同じ、もう全く同じストレスを感じた。
私や質問者が聞きたかったのは「どんな役に立つか」ということではない。
その研究によって、これまでの諸研究では知られることのなかったどんなことが明らかになるのか、あるいはそれによってどんな新しい視点や問題点が提示されることになるのか、少なくともその予想・見通しだけでもいいから聞きたかったのである。
研究者を標榜する者には、このようなことを言語によってきちんと述べ、自分の研究の重要性を説明する最低限の義務と責任があると思う。
極論すれば、その説明がむりむり捻り出したアクロバティックなエクスキュースであっても、ないよりはあるべきだと思う。
いくら綿密な調査や華麗な言説であっても、そういった背骨のないものを学問と呼ぶべきではない。
例えば歴史研究は、どんなものを対象にしてもたいがいは面白い。
「明太子史」や「筆ぺん史」や「ひきだし史」が書かれたとしたら、きっと「へえー」と唸るような興味あふれる事実が現れることであろう。
著者の筆力によってはものすごく魅力的な読み物になるはずである。
しかしそれを学術研究と「称したい」のであれば、明太子史や筆ぺん史やひきだし史を語ることによって、われわれの歴史観や社会観がどのように変化を迫られ、または裏付けられるのかをきちんと述べなくてはならない。
そのへんのケジメというものが。そうケジメです。
少なくとも大学や学会という形をとって浮世に出来するような、学問をおこのう場においてはですね。
ユルユルではいかんのではないかと。
「どう?面白いでしょ?」だけでは、これはちとまずいのではないかと。私は。申し上げたいのである。以上。
前回に続いて「説明責任を果たせ」特集をお届けいたしました。

About

2005年03月25日 15:01に投稿されたエントリーのページです。

ひとつ前の投稿は「「余人を以ては代え難い人」について」です。

次の投稿は「ボローニャ駅奇譚(こわいよん)」です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type 3.35