たてつづけに二人の友人の父君が亡くなり、どちらも友人が喪主をつとめた。
これは私がそういう年齢に達したということであり、そういう事態がもはや他人事ではないということである。
あわててネットで「お香典のマナー」を調べながら、ついでに近所の斎場を検索したりしてみる。
自宅から近い方がなにかと便利だろうな。遠くから来る親類のためには駅からのアクセスとか宿泊の便も考えたい。それより何より相場はどうなんだ。
葬儀社のホームページにはそういう時の手順もこと細かに載っていて大変参考になる。ふんふん。
ま、実際その場になると予想外の要素が色々と出来するのであろうが、事前に段取りを心づもりしておくのは良いことだ。「縁起が悪い」とおっしゃる方もおいでだろうが、私はそうは思わない。こういう節目節目の儀礼は、滞りなくスムーズに平然と水が流れるようにスーッとこう切り盛りされなくてはならない。
何もかも業者任せにすればスーッとコトは進行するのであろうが、冠婚葬祭が演出をともなうものである以上、どうしても自分の感覚とは相容れない、「それはやめてほしかったー」という点がちくちくと発生することは容易に想像できる。
それを少しでも避けんがために事前に手間を費すのは、もちろん私自身が納得したいということもあるけれど、故人も含めて当日顔を合わせる皆様への私なりの「おもてなしの心」である。
なのでかつて行われた私の結婚披露宴の際には、事前調査と演出プランの作成・下準備および予算編成にそれはそれは膨大な時間が費やされた。東京神田・山の上ホテルの感動的なご協力もあってなかなか良いイベントになったと自分では思っているのだが、それでも細かい反省点は色々とある。できることならば捲土重来いま一度華燭の典を、思い切ってぐっと清新な配役のもとに賑々しく開催する機会に恵まれないものであろうかと、仄かな希望を胸奥に秘める今日この頃である。
井口菊奴さんのご子息が劇場に突然訪ねていらしたので驚いた。
と申しても「あぁ、あの井口菊奴のぉ」という方は少なかろうから、六代目尾上梅幸という歌舞伎役者の話から始めねばならない。
六代目梅幸は明治3年生まれ、大正期を中心に明治から昭和初めまで活躍した名女形である。
写真で見るとほっそりとした容姿が印象的で、天下の二枚目・十五代目市村羽左衛門と組んで、後代の語り草となる名舞台の数々を残した。
この人が『梅の下風』という芸談集を残している。
これは数多ある役者の芸談の中でも名著の誉れ高く、役者、特に女形のバイブルと言われている。
井口菊奴というのは、梅幸から聞き書きをして、この本をまとめあげた人物である。
『国語と国文学』という超ハードな雑誌に載せていただいた拙論に、『梅の下風』のうち井口菊奴の登場する箇所の引用があり、たまたまそれがご子息のお目に止まった。
そこで演芸場に落語を聴きにお越しがてら、「これを書いたのはどんな奴じゃいな」と首実検にいらしたと、こういう訳である。
浅草生まれのご子息はいかにも町っ子というか東京の人らしい明るいさばけた感じを身にまとっておられて、自分の書いたものを読んでくださったということもあるけれど、お目にかかってお話をさせていただいていることが嬉しい方であった。若輩が申すのも失礼ですが。
ご本人が父君の思い出などをかつて『演劇界』にお書きになったのを私は不覚にも読み落とすか忘れるかしてしまっていたのだけれど、改めてコピーをいただいて戦中・終戦直後のエピソードを拝読すると、当時の芝居を取り巻く空気が想像されて興味が尽きない。
それにしても『梅の下風』という名著が生まれたのは、もちろんネタ元の梅幸なくしては不可能だが、聞き手・書き手の井口菊奴の手腕によるところが非常に大きい。
だいたい芸人さんから読み手が「ほお」とうなるような話を引き出すというのは大変に難しい。
嘘だとお思いならいま大きな本屋さんの伝統芸能コーナーに並んでいる役者さんの聞き書き本をご覧ください。
一見芸談集のように見える立派な本でも、『梅の下風』や六代目菊五郎の『芸』のような、中味の濃いい「芸談」といえるようなものはまず見当たらない。
役者の方に語るべき芸談がなくなったのだ、と言うこともできるが、むしろ良い聞き手がいないという問題の方が大きいのではなかろうか。
芸人さんの多くはご自分の芸を筋道立てて言葉で談じられるようには捉えていないし、職人さんともまた違う芸人さん独特の韜晦や含羞が障壁となる場合も多かろう。
聞き手はいくつもの心理的な壁を乗り越えて語り手の懐に忍び込み、芸についての専門的知識と感性を武器に、語り手の言葉を細い糸を手繰るように引っ張り出し、なおかつそれを分かりやすい言葉に翻訳・整理しなくてはならない。
これはハンパな仕事ではないぞよ。
とはいえ元禄以来近くは井口さんのお仕事に至るまで、せっかく星並ぶがごとき芸談の伝統があるのに、役者の芸談の水脈が細ーくなりつつあるのは誠に惜しい。
改めて井口菊奴さんには Good job! と申し上げたい。