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成田空港、蛇皮の呪い

胡弓の公演が無事終了。
「人事異動祭り・春の大祭」のおかげで、途中から後
任のKさんに全てを託すことになってしまった。
私も経験があるが、他のプロデューサーが作りかけた
公演を引き継いで担当するというのは気分的にパッと
しないものである。
Kさん、捨て鉢にならずに取り組んでくれてありがと
う。

今回の公演に先立って、A日カルチャーセンターとT
急セミナーBEと、二つお座敷をつとめさせていただ
いた。
胡弓はアジア一帯に少しずつ形を変えて分布している
個性豊かな面白い楽器なのであるが、特に日本ではい
まひとつ脇役のイメージを払拭しきれない。
単に音のボリュームが弱いということもあるのかもし
れぬが、悲哀とか哀愁とか哀慕とか哀切とか、日本の
胡弓の音色は「哀」という字のイメージが強い。
歌舞伎や文楽でも、胡弓が伴奏に入るのは「継母の折
檻にお姫様が苦悶する場面」とか「女が心ならずも情
人に縁切りを告げる場面」とか「老父が義理に詰まっ
て息子の目前で切腹する場面」とか、胸の苦しくなる
ところばっかりである。
こういう陰性なキャラクターが災いしているのか、ど
うも日本の胡弓は知名度が低い。
しかし女子十二楽坊のおかげで、中国二胡を習う人は
増えているそうな。
中国では1900年代に入って胡弓の天才的な演奏家・作
曲家が現れ(一人は音楽教育界の権威、もう一人は盲
目の旅芸人)、胡弓が独奏楽器として高く評価される
ようになった。
「空山鳥語」「二泉映月」など、いま中国胡弓の古典
的名曲として演奏されているのはほとんどこの二人の
作曲によるものである。
二胡の音色は「人の声にもっとも近い」といわれる。
また中国で胡弓が好まれるのは、擦弦楽器独特の連続
音の高低が中国語のアクセントに似ているからだとい
う。
なるほどそういわれてみれば中国胡弓の上手な演奏は
中国語の清談に聞こえてくる。
あるいは京劇の歌唱も、胡弓独特の旋律をなぞるよう
にしてああいう節回しができあがったのではなかろう
か。
一方三味線を小型にしたような日本の胡弓は、「おわ
ら風の盆」で随分有名になった。
講座でも「風の盆で胡弓が好きになった」「風の盆に
感動したので胡弓を習いたい」というお客様が何人も
いらした。
実は風の盆に胡弓が導入されたのはそう古いことでは
ないのだが、胡弓のおかげで風の盆は有名になり、風
の盆のおかげで胡弓が知られるようになった。
近代になって三曲(箏・三味線・胡弓)の一員の座を
尺八に追われた胡弓が、意外なところで盛り返してい
る。
きっと楽器にも栄枯盛衰があるのであろう。

十二年ほど前、北京で京胡(京劇に使う小ぶりの胡弓
)を買った。
まとめて大きなバッグに入れてしまおうと思ったが入
らないので、黒いハードケースに入れて成田に帰って
きた。
税関で命じられるままにケースを開けると、蛇皮は持
ち込めないから「楽器全体の放棄」か「蛇皮の部分だ
けの放棄」か「ここから中国にUターンして持ち出し
許可証をもらってくる」か、どれかを選べと言われた

今でこそワシントン条約が喧伝周知されているが、当
時はそれほど注意が喚起されていない頃で、私も胡弓
の皮まではとんと気が回らなかった。
「蛇皮の部分だけの放棄」を選択した私は、絶望的な
気持ちでハサミを握りしめ、黒白のウロコの付いた皮
をじょきじょきと切り取った。
楽器の皮にハサミを突き立てるというのは実に切なく
、すまぬすまぬと拝むような気持ちになったのを覚え
ている。
ペラペラの蛇皮をつまんで差し出し、「下記の物品に
ついて全ての権利を放棄いたします 記 蛇皮1枚」み
たいな書類を書かされて放免となった。
ところが新聞によると、胡弓ブームの折柄、やはり中
国から胡弓を持ち込もうとして税関でひっかかる人が
急増しているのだという。
してみれば成田の税関倉庫の棚には、大小の蛇の皮が
束ねてひっそりと置いてあるのだろうか。
中には皮だけでなくて胡弓まるのまま置いていった人
があるやもしれぬ。
そして丑三つ時になると、税関倉庫からは何百という
蛇皮が振動してむせび泣く音が洩れてくるのである。
あなおそろしや。

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2004年07月29日 08:12に投稿されたエントリーのページです。

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