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今月は「文化財が冷えないように様子をみる月間」

あいたたたた。頭が痛い。
何が憎いといって暴力的な冷房ぐらい憎いものはない。
わがオフィスでは体質による程度の差はあれ「寒い」というコンセンサスが形成されている。
しかし全館同時空調のため部屋ごとの細かい温度調節ができない。
そこで空調を管理する部署に「寒いんですけどお」と泣きを入れても「なにしろ全館のことでござんすから調節は難しいですなあ。ま、様子をみてくださいな」とまともに取り上げてはくださら
ぬ。
暖気を入れようと窓を少しだけ開けたら、冷房の吹出口が結露して音羽の滝のように副部長の机に降り注いだ。
冷房の吹出口をガムテで塞いでみたら、その分の冷気が隣の部屋に尋常ではない勢いで吹き出し、人殺し呼ばわりされた。
結局抑圧的な室温下で耐え忍ぶしかないのである。
着たり脱いだりマメに調節は心がけているのだが、「う、冷えたかな」と感じたときにはもう遅かりし由良之助。
後頭部から肩・腰にかけて重い不快感が凝り固まり、そのうち咽喉がびりびりびりと腫れてくる。
これがばったり寝込むほどの症状でもないので、三日~一週間ぐらいは微熱と鈍頭痛と体を引きずるような倦怠感に鬱しながら労働し生活することになる。
総身が金の伊左衛門ならともかく、懐ともどもこう冷えては洒落にならんですよ。あいたたたた。

しかし「様子をみる」というのは便利な言葉である。
「事態の推移を見守る」のかと思いきや、大抵は「放置する」か「忘却する」ことを意味している。
全く失礼しちゃうのであるが、実は「様子をみましょう」と言うことによって不毛な膠着状態を回避できることもよくある。
「舞台転換がいまひとつキッパリしないけれど、とりあえずこうしておいて様子をみましょう」
「リハーサルの時間がずれ込む可能性があるけれど、ひとまず現場の様子をみましょう」
「お師匠さんが文句言ってくるかもしれないけれど、まあしばらく様子をみましょう」
これはつまり「現在の諸条件下ではとびぬけて効果的な方法がないので、とりあえず現状を維持しておいて、これ以上に大きな破綻は引き起こさないようにしましょう。そのうちベターな方法が見つかればそっちに乗るし、見つからなければ残念ですがあきら
めましょう」ということである。
ともに現在の不幸を見つめ、未来の幸福を夢見ることによって、すべての当事者が同じ岸のこっち側に立つことができる。
「様子をみましょう」はそういう呪文なのである。
「どうすればいいのだうむむむむ」と雁首そろえて苦悩のどつぼにはまっているよりは、はるかに生産的である。
もっとも舞台制作のように融通無碍千変万化臨機応変を旨とする職場で、様子を見ているうちになんとなあく良きところに落ち着いてしまう世界だからこそ霊験あらたかな呪文なのかもしれない。
生き馬の目を抜くビジネスの現場などで「まあ様子をみて」なんぞと悠長かつ消極的なことを言っておると即座にゴミ箱行きなのであろう。

文化財保護についてお喋りをする機会があって、「人間国宝」をネタに取り上げてみた。
人間国宝。ものすごい言葉である。
私が連想するのは人間風車とか人間機関車とか人間発電所とか、モリモリした筋肉に直結する言葉ばっかりである。
そもそも人間国宝という言葉は「各個認定を受けた重要無形文化財保持者」の俗称であって、法的に規定された用語ではない。
おそらくは重要無形文化財の第一回認定が行われた昭和30年代初頭から、新聞紙上などで用いられ始めた言葉であろうと想像される(常軌を逸した怠慢のため未調査)。
昭和25年施行の文化財保護法によると、「文化財」には有形・無形・民俗の三種があり、「無形文化財」とは「演劇、音楽、工芸技術その他の無形の文化的所産で我が国にとつて歴史上又は芸術上価値の高いもの」、「重要無形文化財」とは「無形文化財のう
ち重要なもの」ということになる。
さらに重要無形文化財の認定方法には各個認定・総合認定・保持団体認定の三種があり、重要無形文化財保持者としてこの各個認定(特定の個人を名指しで認定する)を受けた人を、俗に「人間国宝」という。
例えば宮内庁楽部は重要無形文化財「雅楽」の保持者として総合認定を受けている。
これは雅楽を寄ってたかって生み出す、複数のメンバーの集合体としての楽部が認定を受けている、ということである。
ただし楽部に所属する個々の楽師さんが各個認定を受けている訳ではないので、個々の楽師さんをとらえて「人間国宝」とは呼ばない。
一方「人形浄瑠璃文楽座」も重要無形文化財「人形浄瑠璃文楽」の保持者として同じく総合認定を受けている。
しかし人形浄瑠璃文楽座の一員である吉田玉男師匠は、その個人としての技芸もまた重要無形文化財であるとして名指しで各個認定されているので、ひとは吉田玉男師匠を「人間国宝」と呼ぶ。
そういうことである。ふう。
質問コーナーで「洋画家の人間国宝はなぜいないのか」という質問が出た。これは興味深い指摘である。
重要無形文化財の認定区分は大きく芸能と工芸技術に分かれており、芸
能には「能楽」「文楽」「歌舞伎」などなど、工芸技術には「陶芸」「染織」「漆芸」などなどの種別がある。
さらに細かいジャンル分けとして例えば芸能には「能シテ方」「文楽三味線」「歌舞伎女方」、工芸技術には「色絵磁器」「友禅」「螺鈿」というような項目がある。
さらに細かいジャンル分けとして例えば芸能には「能シテ方」「文楽三味線」「歌舞伎女方」、美術部門には「色絵磁器」「友禅」「螺鈿」というような項目がある。
しかしここに「ヴァイオリン」「舞踏」「油彩画」「映画監督」といった項目は存在しない。
つまり出自が西洋にある芸術、あるいは近代発祥の芸術は「無形文化財」の範疇にはなく、それを創造している人たちは必然的に人間国宝にはなれないということである。
なぜならこの制度はあくまで「文化財保護」を目的としているからである。
文化財という概念は歴史性と地域性とを前提としている。
「わが国」で長い時間をかけて「伝承」されてきたモノやコトを「保護」すべきである、という考え方がベースになっている。
それに色々と文句をつけることはできるだろうが、とにかく今の制度はそういう考え方に基づいて行われている。
では仏師や日本画家はどうなのか。
このあたりは文化財扱いされてもよさそうなものであるが、今のところ人間国宝の項目には入っていない。理由はよく分からない。
こういう文化財と呼ばれない芸術に対する国家からのアクションは「顕彰」によって示される。
例えば「日本芸術院会員」とか「芸術選奨」とか「芸術祭賞」とかである。
これは「同時代の芸術としてすばらしいので称えます」ということで、文化財保護とは全く観点が異なる。
しかし文化財としての歴史的価値と芸術としての審美的価値は両立しうるから、人間国宝であると同時に芸術院会員でもある人がいっぱいいたりする。
保護法成立以来、文化財の概念は少しずつ拡大している。
最近にも近代の建築物が有形文化財の仲間入りをしたり、講談が重要無形文化財になったり、文化財の概念に「景観」が組み入れられたりしている。
そんな文化財と微妙に距離をとるタームとして「文化資源」も出現している。
なかなか目を離せないヤツなのである。文化財は。
という訳で今月は「文化財が冷えないように様子をみる月間」といたします。

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2004年07月09日 09:48に投稿されたエントリーのページです。

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