5月20日
某地方自治体の建てた文化施設の方が「いよいよお取り潰しかもしれぬ」と顔を土色にしておられた。
ここ数年というもの、金が削られる職員が減らされる。
スタッフの労力は主に光熱費やコピー用紙の節約、およびそのための書類作り(泣)に費やされ、主催事業など夢のまた夢。
もはや時たまの貸し出しに供する以外、まともな催しが出来る状態ではないそうである。
「役所だから意地でも潰しませんてば」と半ば本気、半ば慰めで申し上げたが、同じように進退窮している公立文化施設は少なくはあるまい。
まことにトホホな話だけれども、バブル期ハコモノ行政への批判も今さらだし、「いらねえ建物なら全部壊しちめえべらぼうめ」というのも明快だが非現実的である。
第一壊すのにも大変なお金がかかるし、作った人は「あの時これを作ったのは間違いでした」と自分の非を認めなければならない。
それは行政のヒトにはとても難しいことである。
そんなお困りの皆様をうならせる妙案、ひとつ授けて進ぜましょう。
客席の椅子を全部取っ払って、畳を敷き詰めればよろしい。
床の傾斜はところどころに段々を設けることで解決でき、むしろその方がより楽しい。
コンサート・お芝居など舞台イベントの時には、観客は入口で靴を脱いで下足札をもらい、雄大なお座敷の中で座布団に座って見物する。
「座布団なんていやよォ」というハイカラ好みの方には、ラファエッロ風天使がラッパを吹いている柄の一人分ミニカーペットを特別に用意して差し上げる。
西郷隆盛は親しい来客を横臥にて迎え、客にも枕を勧めたという。
地べたにヨッコラショと座る、もしくはゴロリと横になるというのは、身体に生理的な開放感と安心感をもたらす。
芸術を享受する場合に不要な「構え」を取り払うことは大変重要である。
同じ舞台を見物するのでも、構えをほどいて心身を開かれた状態にしておけば、アンテナの感度がぐっと上がる。
そのために畳敷きの客席は絶大な効果をもたらすと存ずるのである。
音響効果が落ちることなどものの数ではない。
高価格・高水準の音響設備の「所有」を誇る施設は各地にあるが、そんなにピリピリ鋭角的に音響効果を競い合うのが果たして素晴らしいことであろうか。
なぜそうなったかというと、音響のよしあしは数量化できるから。
役所の書類上とっても分かりやすいんですよね。
あとは「音響設備にウン千万かけました!」という値段のインパクト。
そんなものより日本の伝統調度・畳です。
「日本の正しい伝統をなんじゃらかんじゃら」と最近急にうるさい方々だって、これなら文句ないでしょ。
畳が一枚もない洋風住宅に住んでいるよいこたちは、ここに集えば畳にスリスリすることができる。
和室を導入している/できる学校も少ないだろうから、クラス単位・学校単位で使いたいという需要も結構あるのではなかろうか。畳の上でやるとはかどる作業は多いぞう。壁新聞作りとかね。
イベントがない時にはそういう文科系のよろず会所として開放する。
碁を打つもよしビーズ編み大会をやるもよし。
さらに最大のメリットは、災害時の避難所にばっちりということである。これ説得力あるでしょ。
畳敷きの大ホール、これ以上大人数の収容に最適な施設はありません。
座ってよし寝てよし仕切りを立てるのも自由自在、和室は千変万化融通無碍なのである。
なお取り外した椅子はちょいと加工して駅・役所・病院などの待合椅子に再利用する。
肘掛けが付いているので、「ベンチで寝ないでくださいっ」と怒ったり、わざわざ凸凹のあるベンチを作ったりする手間が省ける。
ああなんと行き届いた素晴らしいアイディアであろう。
この話に乗る文化施設関係者の方、いらっしゃったらぜひご連絡ください。書類の作文にご協力いたします。
でもこれって昔ながらの「公民館」ですな。