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随分前に切れたと思っていたご縁がひょっこり顔を出す月間に「おいど落として、踵上げて!」

職場も引っ越し自宅も引っ越し。
昼夜を分かたず荷造り・荷解きに明け暮れる日が続いたので、指先に常にダンボールの感触が残っている。
気分までガサガサとささくれていやーん。
しかも職場にいると家の用事が、家にいると新しい仕事のことが気になって、いろんな手筈が食い違う。
いま「よしと言うまで引っ越し作業を続けろ」という拷問を受けたら、私はどんな秘密でもぺらぺら喋ってしまうだろう。

M木さんからメールをいただいた。
M木さんは大学の教養課程で池内紀先生の演習「カフカを読む」に一緒に出席していた方である。
池内先生の同学期の講義「文学における悪」は大入り満員のスシ詰めであったが、演習の方は4〜5人しか出席していなかった。
どうしてこんな贅沢な演習をむざむざと見逃すかね。今以上にバカで生意気だった私は、同級生たちの不明を心中嘲笑ったものである。
先生は長躯をこころもち曲げるようにして教室に入ってこられると、ベージュのコートをひらりと脱いで、脇の椅子にばさりとお掛けになった。
その初回のご登場シーンを見ただけで、インテリへの憧憬が内攻した田舎者のガキは目がハートになってしまったものだ。
その演習でわずかの間M木さんと席を同じくはしたものの、教室以外でお目にかかることもなく、新学期になってからは私の脳内の知人友人リストからお名前が消えた。
以来十数年、このたび思いもよらずご連絡をいただいたわけである。
しかも「同世代として共感するところが多い」との身に余る勿体ないお言葉。
白い巨塔や鳥取の地酒に関する私の深く鋭い洞察がM木さんに感銘の熱涙をもよおさせたのであろう。
時を同じくして、卒業した高校の先生から突然お電話があり「校誌に先輩として何か書くように」と仰せつかった。
早速「これからの世界は伝統芸能がカギを握るのだぜ」という一文をしたためて、このヤクザな業界に一人でも多くの若者が迷い込むことを祈ることにする。
うーむどうやら「随分前に切れたと思っていたご縁がひょっこり顔を出す月間」に突入したらしい。
人生には色んな月間があるものだ。

地唄舞を稽古しているスイス人の女性にお目にかかる。
すでに「黒髪」「鐘が岬」などをあげ、来年はわが劇場でのおさらい会にお出になるそうである。
もっともらしい顔で「外人は腰が高いので弱ります」とボヤくのがおかしい。
まあそれは本当だろうが、「腰がふわふわ」という点では今や日本人も外国人もほとんど差はないのではないか。
舞は「腰のタメ」が命である。
だからお稽古場での頻出語句第一位は「おいど落として」。
爆発寸前の力を限界ぎりぎりまで体の内側に溜めて溜めておさえ込む。
その余沢のコロナのようなものが舞踊ならではの面白さとしてじいわりと放散される。
「踊りに比べて舞は動きが少なくて地味で詰まらない」という方がおられるが、それは舞い手の力のタメが足りないのである。
しかし大相撲同様、伝統芸能も外国人が牛耳をとる時代がいつかやって来るのであろうか。
歌舞伎とかはともかくも、三味線・お琴・尺八・人形遣い・日本舞踊とかならあんまり違和感なく見聞きできそうな気がするが。

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2004年04月30日 20:06に投稿されたエントリーのページです。

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