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ハムスター無宿

7月6日

本格的な夏の到来に向けて、温度、湿度ともに日々上昇している、今日この頃。

店員さんの3ナンバー級の口車にのせられて、せっかく買った春物の服も、あまり登
場しないままに、タンスの中で、夏眠・秋眠・冬眠に入ってしまいました。このまま
永眠、という事だけは、御免蒙りたいものです。

店頭においても、衣替えはとうの昔に終わっており、あのパステルカラーの春服達は
どこへ行ってしまったのやら。今は、見た目にも爽やかで着心地のよさそうな夏物
が、王様顔で並んでいます。

そして、7月といえば、夏物バーゲン。街中で見られるSALEの四文字は、ビビッドな
サブリミナル効果を、遺憾なく発揮中です。

というわけで、他の女性と同じく、今は東ドイツの謀者のように締まっている私の財
布の口が、アンコウのそれのようになるのは、もはや時間の問題でしょう。ズボン2
着、既に購入済みです。

SALE。和名、特売。

思い出せば、まだSALEという英単語さえ習っていなかった、中学生の頃。この『特
売』という文字のサブリミナル効果のせいで、私は、あと少しで罪もない小動物を永
眠させてしまうところでした。

それは、期末テストの最終日、手は拍手・頭は白紙で、足取り軽やかに自宅に戻る途中の事。近所のペットショップの広告が、事件の始まりでした。

『ハムスター特売!! 2100円 → 1200円』

学食で売っている120円のソフトクリームでさえ、一ヶ月に一回と決めていた頃の
話です。そう、160円のソフトクリームサンデーを食べる友人に対して、頑なに心
の扉を閉ざしていた、若かりしあの頃。

900円の割引に、私の目は眩みました。

キュウヒャクエン・・・キュウヒャクエン・・・と、人魚の歌声のような甘い囁き声に誘われるままに、私はフラフラと頼りない足取りで店内に入り、一直線でレジへと直行。

店員さんとのやりとりを詳しくは覚えていないのですが、ハムスターの飼育に関して
給水器の有無をたずねられた際に、「水は、あります」と声高らかに断言して、中学
生ながらにお茶を濁した事は、はっきりと記憶しています。

数分後。ハムスターが入った紙箱を片手に呆然としていた私は、まさしく、初めて父
になってしまった男性の心境を味わっていました。嬉しい。けど、どうしよう?

たとえ安売りになっていたとしても、まさか哺乳類を買ったなどと両親に報告するわ
けにもいきません。そのような無責任な行動は、ムツゴロウ氏だって、お怒りになる
でしょう。

ましてや、畑家とは対極にある我が家。

「ともこさんは、ハムスターを飼おうと思っています。親が納得出来る言い訳を考え
て、答えて下さい。(句読点も含む。)」

字数制限がない自由答案にも関わらず、その日午前中に受けた期末試験よりもよほど難しい問題でした。

「友達の家で生まれた、ハムスターの子供をもらった」というのも一案ではありまし
たが、そのハムスターは、体は小さくても立派なアダルト。さらに、友達から頂戴す
るのであれば、事前に許可を取っていないのは、明らかに不自然です。

アダルトである事を逆手にとった、「友達の家族が、ペットが飼えないマンションに
引っ越す事になって、ハムスターを引き取る事になった」という案も、夜逃げでもな
い限り、やはり同様に事前に許可を取っていないのは不自然、という事で却下。

結局、他に名案も思いつかなかったので、古典的ではありましたが、野良動物道端拾得作戦を実行しました。ペットショップの店名が入った紙箱をエイヤっと公園のゴミ
箱に捨てて、いざ出陣。

中学生ながらに、「ハムスターが道端に捨てられていて・・・」というのは、あまり
にも信憑性に欠けているとは思いましたが、やはり思った通り作戦は失敗で、戦艦大和よりもあっけなく撃沈。作戦名が長ければいいというものではありません。

道端で拾ったなら拾ったで、それらしく泥でも塗っておけば良かったかもしれません
が、それこそ今度はネズミに間違われて、火あぶりの刑に処されていたかもしれません。あるいは都会的に、殺チュウ剤でしょうか。

そういった訳で、我が家で飼えない以上、哀れなハムスターを養子に出さねばならな
くなり、引き受け先を求めて、近所の家々を一軒ずつたずねて回る羽目になりまし
た。

「必ず幸せにするからね」と『小鹿物語』の主人公の少年に己を重ね合わせて、手中
のハムスターの不遇を嘆き、正義感に一人熱く燃えていましたが、種を蒔いたのは、他でもない自分なのですから、当たり前の話です。

が、そうなると今度は、そのハムスターが、いかに価値あるかを証明しなければなり
ません。野良動物道端拾得作戦は、むしろ逆効果となるわけですから、出身を示す
ペットショップの店名入りの箱を、先ほど考えなしに捨ててしまった事が、激しく悔
やまれました。

いくらハムスターが可愛いからといっても、そう簡単にもらい手が見つかるわけもな
し。それは、訪問販売のセールスマンが、百貨店等のカタログもなしに、ウン百万円
の高級着物を片手に、ゲリラ営業をするようなものなのです。

しかし、捨てる神あれば拾う神あり。

心優しい隣人、ミセスTの配慮により、幸運なハムスターはT家に引き取られました。
人身売買をした私の徳だとは到底思えませんから、おそらくは、あのハムスター自身の徳だったのでしょう。

これは後から聞いた話ですが、そのT家ではたいそう大事にされたらしく、一度は身
売りに出された初代が天寿を全うした後も、二代、三代と続いていったそうです。

・・・と、結論から言えばメデタシメデタシだったわけですが、今にして思えば、親
の許可を得られなかった時点で、お詫びしてペットショップに戻してあげるのが最善
策だったのではないかと思われます。

中学生が小さなハムスターを片手に握り締めながら泣いて謝れば、「バーゲン品、返品お断り」社会のニッポンでも、例外が認められたに違いありません。

少なくとも、30歳を目前にした成人女性が、9号サイズのズボンを2本ぶらさげな
がら、「すいません。これ、やっぱりなんだかキツクて・・・」と返品願を届け出る
よりかは、容易く聞き入れてもらえたはずです。

恐るべし、バーゲン。

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2006年07月05日 13:04に投稿されたエントリーのページです。

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