ではウチダも一句「行く春の峰に粗朶採るこもと熊」
3月28日
「せんせーえ」
ドラエモンに泣きすがるのび太ではありませんが、先日、英語(日本でいうところ
の、国語)の授業で「レッツ・メイク、Haikuの名句」という宿題が出たそうで、数
人の生徒が私の所に質問に来ました。
が。
英単語で、ファイブ・セブン・ファイブ?
さらには、季語入り?
Ah! Uh! Oh! Yah! ・・・これ、切字ですか?
ドン=キホーテではありませんが、なんという無謀な宿題。これで、風情のある俳句
を作れたら、それこそ無帽脱帽です。惨著になる事など、初めから分かりきっている
事。ヨシナッテ。
とは思ったものの、我にもすがる、可愛い生徒を無視するわけにもいきませんから、
『ミネソゥタ ベリベリコールド オーマイガッ』
などと、その場の思いつきで、風情もヘチマもないような案を出してみたりもしまし
た。日本人としては、思わず耳を覆う様な出来の悪さですし、おそらく、アメリカン
にとっても、耳にオォウだったに違いありません。
根っから葉っから俗人の私には、どうも川柳の方が身近に感じられるのであります。
日本でも、私には、俳句を吟ずるような高尚な趣味はありませんでしたが、それでも
新聞や雑誌などの川柳コーナーは、興味本位で読んでは、アハハと笑っていました。
日本語の総本山、広辞苑によると、川柳とは、
「・・・多く口語を用い、人情・風俗、人生の弱点、世態の欠陥等をうがち、簡潔・
滑稽・機知・諷刺・奇警が特色・・・」
となっています。
上記の定義に当てはまるかどうかは、全くの疑問ではありますが、今回は、私が手当
たり次第、こちらの生活で気付いた事を、無主題で詠んでみました。
『ミネソタ川柳』。高尚とはほど遠いかと思われますが、皆様が哄笑されますよう、
心密かに願っております。
<生活編>
・『グッドバイ 切り捨てゴメン 名残ゼロ』
「(前略)じゃ、またね。」
「うん。電話してくれて、ありがとう。そういえば、この前も・・・(中略)・・・
あ、もうこんな時間?切らなくちゃね。」
「わあ、本当だ。いつもこうやってダラダラ話しちゃうから・・・(後略)」
電話の最後。日本人によく見られる、果てしなく続く、別れ言の応酬。別れの袖の長
い事、源氏物語の婦人方に御登場願うほどです。ヨヨヨヨ。
それにしても、「袖を濡らす」という表現は、艶っぽくていいなと思いますが、これ
が「袖を絞る」となってくると、スーッと興醒めしてしまうのは、私だけでしょう
か。
いいえ、絞って出てくるのが、涙だけなら美しいかもしれませんが、鼻腔と涙腺は、
決して無関係ではないのです。せっかく他人様の目につかないように処理したもの
を、ゴマ油でもあるまいに、わざわざ搾り出すとは、いかなる了見か。
いきなり脱線してしまったので、別れの袖について、話を戻しますが、アメリカ人の
お袖は、いと短し。
「じゃあね」と口にした瞬間、プープープー。別れの袖など、欠片もありはしませ
ん。マリリン・モンローが着用していそうな、お見事なノースリーブ。アメリカ人
は、名残がお長いのがお好きではないのです。
電話に限らず、別れ際の潔い事といったら、壇ノ浦の二位尼。あるいは、斬り捨て御
免のオサムライ。いったん「グッドバイ」と言ったら、後は一度も振り返らずに、ス
タスタスタ。ずっと姿が見えなくなるまで見送っている、日本人サイドの心は、ズタ
ズタズタです。
「別れ際、ちょっぴり後ろを振り返って手を振れば、ポイント・アッ・プ、間違いな
し★」
少女雑誌の恋愛コーナーにでも載っていそうな、安っぽいアドバイスですが、異文化
理解のためにも、アメリカ人の友人・知人・生徒に、一度言ってみる価値はあるかも
しれません。
もっとも、こんな事を書いている私自身、別れ際の往生際が、これまた非常に悪い。
[{(少し歩く+振り返る)×2 + 手を振る}×2 + 「バイバイ」と言う]
×2
西部劇であれば、八百長だらけの決闘シーンになる事、間違いなしでしょう。過ぎた
るは、猶及ばざるが如し。美しい別れ、とは難しいものです。
・『ゴーダイバ エクスペンシブ チョコレート』
ゴーダイバ。初めて聞いた時は、「御(お)台場のチョコレート?」と思ってしまい
ました。実際、お土産コーナーに並んでいそうな名前ですが、これは、チョコレート
の王者ブランド、『ゴディバ』の事です。
ちなみに、こちらのご主人方は、奥様のご機嫌をとる時は、チョコレートやバラをプ
レゼントするそうで、酔った亭主が、千鳥足で寿司詰やたこ焼きを買って帰るという
のは、日本独特の文化のようです。
未来の旦那様。ワタクシは、日本の文化をこよなく愛しております。じゅる。
・『通り抜け トイレの花子 敗れたり』
幸いな事に、霊感ゼロの私は、生まれてこの方、幽霊や妖怪といった類のものに御対
面した事がありません。と言って、超自然の存在を否定する気も毛頭ないので、ホ
ラー映画や怪談などを観たり聞いたりしては、制作者側の壷にマンマと嵌まってしま
います。
『あなたの知らない世界』は、『あなたの知らなくていい世界』。特に夜など、いざ
一人になった時には、シュワルツネッガーのようにムキムキ逞しく想像してしまうの
で、先時の己の怖いもの見たさを、本気で呪う羽目になります。
怖い話の元祖は、何と言ってもトイレの花子さんでしょう。
詳しくは忘れましたし、おそらく時代ごと、地方ごとに違う花子さんがいると思いま
す。昭和花子さんと平成花子さんは違うと思いますし、青森花子さんと、長崎花子さ
んにも、やはりまた相違点があるはずです。
ちなみに私の小学校では、お手洗いに入っている時、花子さんが扉をノックし、それ
に対して、「入っています」と応えた瞬間、扉が開かなくなり、トイレの中から伸び
てきた手に足を掴まれて、そのまま中に引きずり込まれるというものでした。
しかし、日本では怖れられている花子さんも、アメリカ・デビューするには、大きな
壁が立ち塞がっています。
いえ、大きな壁が立ち塞がっていないので、アメリカ進出は不可能だと言った方が正
確でしょうか。アメリカのお手洗い(個室)の壁は、壁というよりは単なる仕切りで
あって、下が30センチ以上も開いているのです。隙間風が吹くこと、梅宮アンナと
羽賀研二の如し。
これならば、扉が開かなくなってハナコに捕まりそうになった時(洋式トイレに吸い
込まれるというのは、想像しにくいのですが)、たとえ猿飛佐助やピーターラビット
でなくても、下をすり抜ければ、苦もなく隣に移れるはずです。ハナコ、無念の敗
北。
しかし、ハナコがいないのはいいけれど、やはりどうも両側の壁の下から見える隣人
の足の動きが気になってしょうがありません。欧米文化を取り入れてきた日本です
が、和式のトイレにアメリカ式の仕切り壁、などという事態にならない事を切に願い
ます。
幸いな事に、壁の下から覗き込んでくる、礼感ゼロの小さなお子様とは、今のところ
御対面した事はありませんが、いつでも気は抜けません。
・『竜巻や 踊らにゃソンソン 地下籠り』
1「昨日の雷、すごかったね。避雷針に雷が落ちて、大変だったよ。」
2「え、本当?!今日は、ニュースを見てないから、知らなかったよ。」
1「ニュースになるほどの事じゃないと思うんだけど・・・」
数秒後、友人2は、「ひらいしん」が平井シンという男性ではなく、避雷針である事
に気付き、シンさんは、一命を取りとめます。「平井シンの生還」。ホッ。
空を縦横無尽に駆け巡る稲妻は、ミネソタの春の風物詩で、4月、5月頃になると、
落雷による火事のニュースが、テレビでもよく流れるようになります。
しかし、こちらの人がもっとも気にかけている天災は、なんといっても竜巻でしょ
う。積乱雲の底から漏斗状の雲が下垂して地上に達すると、風速は毎秒100メート
ルを超えることもあり、通り道の建物、道路や木々に、甚大な被害を与えます。竜が
飛来する、とはよく言ったものです。
もっとも、この竜巻。十年に一度、あるかないかの頻度だそうで、私からすれば、道
路も車も凍りつく真冬の寒さの方が、よほど深刻だと思うのですが、天災も、毎日の
事となると、もはや天災ではなくなるようです。
竜巻に備えて、ミネソタの家は、地下室を設ける事が義務付けられています。
家の地上部だけでも、リビング、ダイニングやバスルームが二つずつ以上あるのは当
たり前という広さなので、この地下室は、明らかに蛇足なのですが、備えあれば患え
なし。蛇に足が生えれば、竜に見えない事もない。「竜足」の避難所、頼もしいでは
ありませんか。
普段の地下室の使用目的は、家によって様々です。地下室というと、陰気なイメージ
がありますが、決してそうではありません。
小さい子供がいる家は御子様の遊び場に、来客が多い家ならば来客用の部屋になりま
す。巨大なスクリーンとオーディオセットを揃えて、映画館にする家もあれば、ビリ
ヤードやバー・カウンターを取り付けて、マイ・バーにしてしまう家もあり。ミラー
ボールとステレオで、あら、ここはオシャレなダンスホール?
竜巻来襲の緊急時、ミラーボールがクルクル回るダンスホールで、踊りながら避難と
いうのは、どうも緊張感に欠けますが、「竜足」の避難所で、飛来してくる辰(竜)
をやり過ごすというのも、それはそれでミネソタの風物詩なのでしょう。「飛来辰の
静観」。ホッ。
・『超危険 コーヒーシェイク 廃棄せよ』
嗜好の域を通り越して、コーヒーを常飲するアメリカ人。缶コーヒーというものが存
在しないので、仕方がないかもしれませんが、1ℓのペットボトル容器にコー
ヒーを入れて持ち歩く、という筋豆煎りの珈琲族を見ると、ペットボトルの中に正露
丸をガンガン盛りたくなります。
しのぎを削る、お馴染み「スターバックス」と、ミネソタを本拠地とする「カリブ
(北アメリカのトナカイ)・コーヒー」。私は特にこだわりはありませんから、その
時々の気分次第で色々なコーヒーショップを利用しています。ガソリンスタンドの、
超巨大80円コーヒーを買った事もあります。
しかし、このコーヒー。一度に飲みきれずに、一時間ほど放置していました。する
と、薬剤を流し込んで固めた油のように凝固してしまったのです。
残ったコーヒーを「流す」のではなく、「捨てた」私。ポイッ。
<社会編>
・『お留守番 オイテケボリは 一一0番』
昔々、ロッキー山脈のある山間部に、母さんヤギと7匹の子ヤギが仲良く住んでいま
した。ある朝、母さんヤギは、子ヤギ達に言いました。
「母さんは、ちょっとラスベガスまで買い物に行ってくるからね。いい子でお留守番
をしているんだよ。知らない人が来ても、絶対にドアを開けてはいけないよ。」
7匹の子ヤギ達は答えました。
「はーい。」「はーい。」「はーい。」「はーい。」「はーい。」「はーい。」
「母さん、僕達だけを家に置いていくと、違法だよ。」
母さんヤギと7匹の子ヤギは、仲良く一緒にラスベガスまで買い物に行きましたと
さ。
ロッキー山脈育ちのヤギが、ラスベガスに現れようものなら、即座に高級レストラン
のメニューにワイン煮にでもなって登場しそうですが、7番目の子ヤギの言う通り、
アメリカでは、子供だけでお留守番というのは違法です。14歳未満の子供には、必
ずベビーシッターをつけなければいけません。
昔の話ですが、ある日本人の夫婦は、気の毒にも隣人に通報されて、逮捕された事が
あるだとか。(ちなみに、アメリカの緊急時の電話番号は、110番ではなく、
911番なので、ご注意下さい。)
いきなり話はとぶようですが、私の宝物の1つに、古いテープがあります。私がまだ
まだ幼い頃、絵本を朗読してくれた母の声が収録されているのです。無邪気な私の声
も所々に入っていて、微笑ましいのですが・・・
「どうして?」「これは?」という私の質問を、ひたすら黙殺する母。
しかしまた一方で、ひらがながうまく読めないと、読めるようになるまで、徹底的指
導が入ります。
『雀の御宿』などの童謡も、私が歌った後に、即座に母御前が歌い直し。
客観的に聞いたとしても、私でさえ己に同情しそうになるのですが、これも母の愛の
形なのだろうと、このテープを、それは大事にしていたのでした。
しかし、私は、まだまだ甘かった。ここに、思いもよらなかった母の思惑が隠されて
いたのです。
数年前、台所で忙しなく夕食の準備をしている母に、テープの事を覚えているか、尋
ねてみました。
「テープ?・・・ああ、はいはい。留守番用に絵本を朗読しといた、あのテープ
ね。」
なんと!あのテープは、留守番用だったと?
アパートの片隅で、絵本を開けながら、テープを聴きつつ、母親の帰りを待っている
幼い子。健気にお留守番をしている姿を思うと、ちょっと泣けてくるではありません
か。
確かに、賢い手だとは思いますが、子供の情操教育に与える影響は、如何に。母よ。
・『選挙戦 プリーズ・ノーモア ポリティクス』
前回の大統領選挙。政治に関心が高いのは大変に結構なのですが、ブッシュ派とケ
リー派に分かれて、ご近所同士が大衝突。となりのトトロも、のんびり寝ている場合
ではありません。
宣戦布告のような広告も、至る所に見られました。家の前の看板や、車に張られたス
テッカーは、ブッシュ・ケリー・ケリー・ブッシュ・ケリー・ブッシュ・ブッシュ・
・・。テレビのCMも、立候補者達の支持や批判ばかり。
そのような社会情勢に、高校生が影響されないわけがなく、学校でも、バンドのチー
ムが解散したり、仲間グループが崩壊したりと、大騒ぎでした。一度議論が始まる
と、どこであろうと、あまりにも白熱するので、何度も「政治話は、もうナシ!」
と、止めにかからなければなりませんでした。
そんな私も、いつだったか、何かの縁で、ある市長選のウグイス嬢を務める事になり
ました。
プロの御姉様方の声にウットリするのも束の間、すぐに私の番がやって来ました。白
い手袋をはめて、「オハヨウゴザイマス・・・」。首を絞められたニワトリのような
声でのアナウンス。あれのせいで、候補者は落選してしまったのでしょうか。転け
コッコー♪
いつかは、鶯鳴かせてみたいものです。・・・ん、意味が違う?はい。ごめんなさ
い。
・『救急車 18万円 窮泣車』
初めての救急車の思い出は、小学校の低学年まで遡ります。
夏休みの早朝、地元の広場で行われていた、ラジオ体操。録音したテープを使ってい
るのですから、テープ体操と呼んだ方が正確なのですが、とにかく、出席スタンプを
集めればマクドナルドのSサイズのフライドポテトをもらえるという事で、ほぼ毎
朝、律儀に出席していました。
それにしても、健康のためのラジオ体操なのに、なぜ、その御褒美がマクドナルドの
フライドポテトだったのか。我が母校は、マクドナルドから賄賂でも受け取っていた
のでしょうか。小学校時代、やや肥満気味だっただけに、気になるところです。
しかし、コナン君でも何でもない、一介の小学生が、マクドナルドと手を組んだ学校
の陰謀に気付く由もありません。ある朝、いつものごとく、ラジオ体操の後、「ポテ
トに一歩近づいた」と、喜びを噛みしめていました。
すると、何やら横断歩道の脇に出来ている人だかり。野次馬根性丸出しで近づいてみ
ると、何と、人込みの主人公は、我が兄貴ではありませんか。しかも、主人公にふさ
わしく、額からは那智の滝のような出血。
数分後にやってきた救急車に、ただひたすら乗りたいという一心で、「私、妹なんで
す!」と何度も叫べども、人込みの中に、声はかき消されてしまい、担架に乗せられ
た兄と、駆けつけてきた母だけが救急車の中に消えていきました。
おそらく、救急隊員の耳に、私の声は届いていたと思うのですが、妹という肩書きは
イマイチ弱かったのでしょう。悲哀を味わいながら、シスター・トモコは、トボトボ
と帰宅する事になりました。
結局、兄様の額の出血の原因は、自分で投げたブーメランだったそうで、正午には、
鼠の額のようなバンドエードを額に貼って、帰宅して来ました。「救急車に乗ったの
に、そんな傷・・・?」
少々腹も立ちましたが、そういえば、ドラマや漫画の主人公だって、どれだけ戦闘中
にナイアガラのような流血をしようが、次の日には、カスリ傷。頭がアガラナイ、治
癒能力の高さです。
私の人生に、再び救急車が登場したのは、それから20年ほど時を経た、2004年
の夏、ローマでの轢き逃げの時です。先回書いた通り、今度は妹が主人公。鼠根性を
出さずとも、救急車に乗る事が出来ました。ハレルヤ。
そして、三回目は、星回りがよほど悪いのか、今年に入ってからすぐ。再び交通事故
に巻き込まれてしまい、救急車で運ばれる羽目になりました。
ですが、今回は、軽いショック症状はあったものの、別に体にこれといった異変もあ
りませんでしたから、「はあ」という感じでした。運ばれた病院でも、ちょっとした
診断を受けただけで、事は済みました。むしろ、3度も点滴のための注射を失敗され
た方が辛かったです。仏の顔は、1回きり、ワン・チャンスです。
しかし、一週間後。7万円の請求書を見てコンマ5秒後、「はあ」は、「は
あっ?!」に転換。アメリカの救急車は高額だと聞いてはいたのですが、さすがに7
万円は高い。そして、驚くべき事に、さらに翌日、11万円の請求書が送られてきた
のです。すなわち、合計18万円。1万円の福袋、18年分です。これには、肝も魂
も抜かれました。
費用は、全て事故を起こした先方の保険で支払われたのですが、抜かれた肝に、この
事件をしっかりと銘じ、さらに抜かれた魂は入れ替えて、今日の平和と健康に、心か
ら感謝する日々です。フライドポテトも要りません。
・『口惜しや いい者同士で ひっつくな』
一般的に、アメリカの中でも、東海岸や西海岸と比較すると、中西部(ミネソタ含
む)は保守的だと言われていますが、それでも同性愛に対しては、幾分オープン。
看板に虹マークが掲げられている店は、同性愛者歓迎のお店です。注意して見ると、
実に分かりやすいのですが、無知とは恐ろしいもの。何気なく店に入り、10秒後、
カウンターに置かれた雑誌を見て、矢の如く店を飛び出た馬鹿者が、ここにいます。
アメリカに旅行で来られた際の参考にして下さい。
ちなみに、こちらの男性同性愛者のステレオ・タイプは、「知的・上品・お金持ち・
ハイセンス・優雅」。あくまでステレオ・タイプなのですが、私の友達の友達である
男性同性愛者の方々は、まさしくその典型例で、ミネアポリス都心の40階にある彼
等の部屋は、雑誌の写真そのものでした。
優しく食卓を照らす、燭台に立てられた、美しいキャンドルの灯り。スプーンや
フォーク、ナプキンフォルダーまでが、インテリアに合わせられており、二段重ねに
なっているお皿は、超高級ブランド。窓から見えるミネアポリスの夜景も手伝って、
まさしく生活感ゼロの空間でした。住めば都と言いますが、出来る事ならば、ああい
うところに、遷都したいものです。
そんな事を考えながら、仲睦まじくお互いの膝に手を置き、熱く見つめ合う恋人達
を、私も負けずに、熱く盗み見していました。
61億人÷2=20億カップル余り21億人、という赤点の算数にならぬためにも、
あまりいいカードでひっつかずに、ぜひ女子にも少々回して頂きたいものです。え
え。
<学校編>
・『先輩風 風速ゼロの 凪状態』
中学生時代、私はテニス部に属していました。私の学校の中では、先輩後輩の上下関
係が最も厳しいクラブのひとつで、「先輩でさえあれば、多少横暴に振舞ってヨシ」
という、ニッポン裏社会の基礎を、ここで学んだような気がします。
それにしても、大体、3歳年上の兄にさえ、敬語など使っていないのに、たかだか1
歳、2歳年上の先輩に対して、なぜオキアガリコボシのように頭を下げなくてはなら
なかったのでしょうか。
今考えても、疑問は尽きません。
夏期の練習中、なぜ、先輩は日陰で柔軟体操をしてもいいのに、後輩は、わざわざ日
向に出なくてはならなかったのか。
ウォータークーラーは、なぜ、早く並んだ者から飲んではいけなかったのか。
クラブ帰りに禁止されている買い食い・・・先輩、その手に持っているアイスクリー
ムは、家から持って来られたんですか?!
しかも、腹立たしい事に、自分達がいざ先輩になってみても、かつての先輩から受け
た苦しみを思うと、後輩に対して横暴に振舞う事など、出来るはずもなし。損な役回
りです。
とは言っても、臆病者の私は、スナフキンのように、「俺は俺のやりたいように、や
らせてもらうさ」という態度をとる度胸もなく、やっぱり友達と一緒にオキアガリコ
ボっていました。(もっとも、高校以降に属したクラブやサークルの上下関係は、い
たって良好でした。)
そう考えると、アメリカでは、Senpai という言葉を面白がって使う生徒はいるもの
の、こういった先輩後輩の上下関係は、ほぼ無きに等しいと言えます。クラブ活動も
季節ごとの選択ですし、ホームルームがないうえに、授業も全学年入り交じっての受
講ですから、当然といえば当然の事です。
ベビーキョンシーにも似た小学生が、張飛のような高校生を相手に、ヘイ、ヨゥ、ス
ティーブ、調子はどうだい?
万事が万事その調子ですから、たとえ大人になったとしても、宴席で酒の酌をすると
いう習慣も、もちろんありません。自分のお酒は、自分で注ぐもの。セルフサービ
ス。お酌をしなかったからといって、癪に障られる事もありません。
極端な年功序列に陥りやすい日本式と、年長者に対する尊敬に欠けるアメリカ式。ど
ちらがいいかは判りませんが、仮に今、中学2、3年生の先輩方にバッタリ遭遇して
しまったとしたら、フォレスト・ガンプのように走り去るであろう、20代後半に
入った私です。
・『モヒカンは 根性入れて 立てましょう』
まるで、ネイティブ・アメリカンのモヒカン族の掟のようですが、手間のかかるこの
髪型を自ら選んだからには、怠惰は許されません。
ほら、今日、朝寝坊したあなた。自慢の髪が、台風後の稲田のようになっています
よ。
・『廊下にて 男と女の ラブゲーム』
女子生徒 「ああ、始業の鐘が鳴ったわ。時間よ。行かなくちゃ。」
男子生徒 「鐘なんかに、俺達の仲は裂けないさ。」
誰がために鐘は鳴る?生徒の皆さんのために鐘は鳴るのです。ヘィ、ミンナ、ゴゥ
・ァウェイ。遅刻したくないのなら、一刻も早く、次の教室に向かいましょう。
女子生徒 「あなたと別れたくないわ。いつまでもこうしていたいのに。」
男子生徒 「すぐに会えるさ。それまで、泣いたりするなよ。」
あなたのおっしゃる通り。50分の授業が終われば、すぐにまた会えます。ウロウロ
していると、セキュリティーのスタッフに捕獲されますよ。
このように、ホームルームがないため、毎日、男女の熱いドラマは、廊下で繰り広げ
られる事になります。『ゴースト』のラストシーンのような、糖分過多カップルもあ
れば、戦地に送られる夫とその妻という、『防人歌』のカップルもあり。別れる別れ
ないだと揉めている、『あすなろ白書』カップルは、どうも涙の遅刻になりがちで
す。
彼等には彼等の事情があるでしょうし、他人の恋路に口を挟む気はありませんが、移
動時間は、明らかに、他の生徒の通行の邪魔。廊下は、サタデーナイトの渋谷のよう
に、生徒であふれかえるのです。
こんな人混みで許されるのは、せいぜい「そ」を聞く程度。本人達の意見はどうであ
れ、この時間のハーレクインシリーズのような熱いロマンスは、磔撲に値するので
す。
・『文房具 ペンシル一本 貧乏具』
何が面倒くさいのか、こちらの生徒は、筆箱を持たずに、鉛筆やシャーペンを直接ズ
ボンのポケットに入れます。お札も小銭もオヤツもポイポイポイ。いざ取り出す際
に、鉛筆やシャーペンの先が指先に刺さって痛いと思うのですが、三次元ポケットの
合理性の前には、聞く耳もないようです。
痛いといえば、中学生の頃。ELLE(エル)というフランス・ブランドのシャーペ
ンを購入しました。ペンの持ち手の先についた銀製のエッフェル塔が、私のオシャレ
心をそそり、一目で気に入ったのです。
が、このエッフェル塔が大問題。肝心のシャーペンを親指で押すところについていた
ので、芯を出す度に、塔の頂点を押さなければならなかったのです。右手の親指に出
来た血斑は、まるで聖痕でした。イエス、切捨て。シャーペンの恨み声を無視して、
泣く泣く、100円前後の庶民シャーペンに切り替えました。アデュー・フランス。
ところで、消しゴムはといいますと、鉛筆やシャーペンの上の先についている消しゴ
ムで間に合わせている生徒が、ほとんどのようです。
しかし、私に言わせれば、これはただの乾燥して収縮したマシュマロ。消す力など、
無きに等しいですから、紙には痛々しい皺が寄り、黒く汚れた訂正箇所は、呪いでも
かかったような心霊現象を起こしています。ウラメシヤ。
ちなみに英語には、「ウラメシヤ」に該当する表現は、ありません。アメリカの幽霊
は、「ユーがミーにした事を、忘れちゃいないですよ。(”I have not forgotten
the wrong you did me.”)」と、自分の登場理由を明確に述べなくてはならないよ
うです。
私を恨んでいるであろう、悲運のELLE(エル)のシャーペンは、フランス御出身
ですから、「ウラメシヤ」でもなければ、英語でもなく、やはりフランス語で登場す
るのでしょう。
「ボンジュール、トモコ。何故、マドモアゼルは、ノンノン・コマン・タレ・
ヴッ?!」
・『バラモンの さらなる高位 留学生』
インドのカースト制度のごとく、日本語選択の生徒は、自分の属しているレベルに非
常にこだわります。上位レベルを敬うのはいいのですが、一方で、下位レベルに対し
ては、どうも尊大になる傾向があるようです。
レベル1のシュードラ(隷属民)階級は、ようやくカタカナを学習し終えたところ。
それにも関わらず、「あなたは、バカです」などと、日本語を全く知らない生徒 -
不可触民とでも呼びましょうか - に対して、意地悪を言ったりもします。です
が、次の瞬間、上位レベルの生徒が漢字を練習しているのを見て、愕然。ムンクの叫
び。
レベル2のヴァイシャ(平民)階級になると、レベル1の易しい学習内容を見ては、
溜息をついて、「自分にも、こんなにいい時代があったのか」と、一年前を大昔のよ
うに懐かしがっています。が、菅原道真を気取るのは、まだまだ早い。学問の神様な
らば、1つ1つの宿題や試験に、愕悶なさらない事です。そうは言っても、祟られる
のは怖いのですが。
レベル3のクシャトリヤ(武士階級・王族)階級の皆様も、同じでございます。「あ
なたは、馬鹿です」と漢字で書いて満足なさらず、春夏秋冬、東西南北、曜日も漢字
で書けるようにおなり下さい。
そして、バラモン(祭官・僧侶)階級のレベル4。「我々が、日本語クラスにおける
トップである」という誇りを持っているだけあって、ハイ・レベルな授業内容にも関
わらず、よくついてきていると思います。
しかし、これまた井の中の蛙とはよく言ったもの。先月、日本から帰国して、蛙から
兜虫と成った留学生の前に、バラモンの選民思想も、バラバラと崩れ去ってしまいま
した。ただし、留学生のいない所では、バラモン様の権力は健在。蛙の面に水です。
語学勉強は、他人と比べても意味がありません。・・・いつの日か、ミネソタ在住の
ガンディー・ジャパンの思いは、届くのでしょうか。
<完結編>
・『三流と 思えど言うな 我が川柳』
おつきあいくだすって、ありがとうございました。