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2005年09月 アーカイブ

2005年09月15日

さらばプリズム、ミネソタ哀車

9月13日

9月も中旬。6月下旬に日本に帰って来てから、もう早、三ヶ月が経とうとしていま
す。

幸か不幸か、アメリカに行っていた2年の間、1度も日本に帰国しなかったため、い
わゆるカウンター・カルチャーショックと呼ばれるものも、経験する事が出来まし
た。

今まで長い間住んできて、知っているはずの自分の国に驚かされるというのは、小さい頃の愛読書を読み直す時の感覚に似ていると思いました。何故かリスと信じて疑わなかった、グリとグラ(絵本の登場動物)が、ネズミだと知らされた時のショックにも似ているかもしれません・・ネズミだったとは、ネミミにミズ!

アメリカでは、聞き耳を垂直90度にでも立てていないと、ただのBGMのラップと化
してしまっていた、周囲の人々の会話。これが日本語となると、不思議なもので、た
とえ聞く気がなくても、自然に耳に入ってくるのです。当たり前と言えば、当たり前
の話なのですが。

以前ならば、不必要な情報をシャットダウンするために、耳を餃子のようにパタンと
閉じていたと思うのですが、久しぶりに乗った電車では、御局様の生態や、試験の私見範囲、晩御飯の薄切り肉の割引率など、岩石混淆の情報を入手しては、聖徳太子様の気分を味わっていました。

そして、日本の狭い道路を、これまた所狭しと走る、自動車の美しい事、美しい事。
凹凹車もなければ、凸凸車もなし。どの車も、全て□□車の完全体。お手入れが行き
届いた車体も、ラックス・スーパーリッチ並みの輝きです。

アメリカ生活、最後の半年間は、私も一応、新車には乗っていたのですが、あくまで
この場合の「新車」とは、「新しく購入した車」という意味であって、広辞苑が示す
ような、「真新しい車」ではありません。

先任の方から購入した、フォード社のエスコート(Escort)が、今年の1月に衝突事故で廃車になってしまったため、エンジニアの知人から、やむを得ず購入したのは、
1990年製造の、GEO社のプリズム(Prizm)。1990年というと、運転手は、まだ
中学生。プリズムと言われても、光の屈折・分散を起こすガラスの三角柱ぐらいし
か、分からなかった頃です。

このプリズム氏。不満点を挙げていけば本当にキリがないのですが、まず、鍵がかかりませんでした。いえ、正確に言えば、ロックは出来るのですが、窓を叩き割ることでしか、ロックを解除出来なかったのです。

開閉が出来ない以上、閉閉か、あるいは開開かを選ばなければなりません。王手飛車取り。窓の保険はかけてはいたものの、豚の貯金箱でもあるまいし、いちいち窓を割るわけにもいきませんから、結局、私の車はいつでも開けっ放しでした。これぞ、真のオープン・カー。

逆に、トランクルームは、鍵による開閉が、ある意味、超可能だったと言えました。
すなわち、車の鍵でなくても、どの鍵でも開ける事が出来、全ての鍵が、合鍵となり
得たのです。

以前、鍵をトランクルームの中に置き忘れたまま、閉めてしまった時などは、通りす
がりの人に、不審がられながらも鍵を借りて、その場をしのぎました。訛偽の可能性
もあったというのに、よくも貸してくれたものです。知らない人に、鍵を貸してはいけませんね。

天井のシートは、わずかに垂れ下がっていたために、ちょっと体の大きい人が、私の車に乗ると、天井のシートと髪の毛の摩擦によって起こった静電気のせいで、スーパーサイヤ人と化していました。

以前、どんな方が持ち主だったかは分からないのですが、椅子には、胸が痛くなるような、タバコを焼き付けた跡も、点々と残っていました。窓も、何がおかしいのか、
質の悪いパズルのように、ガラスと枠がピッタリとは合っていないのです。高速道路
を走ると、窓の隙間に風が入って、ヒョオヒョオと音楽を奏でていました。

といっても、別に長い間乗る車でもありませんから、エンジンやブレーキに問題がな
くて、運転さえ出来ればいいと、見栄えなど、気にもしていませんでした。

日本人としては、もう少し車にこだわりを持った方がよかったのかもしれませんが、
たとえ、学校の広い駐車場にとまっている車の中で、私の車が一番ボロボロだったとしても、誰に迷惑をかけているつもりもなかったのです。

しかし、4月初めの、ある日の事です。

私の家の近くに、商店やスーパー、喫茶店や郵便局などが集まった、小さなショッピ
ング・ゾーンがあるのですが、その日も、いつも通り、そのショッピング・ゾーン前
の広場に駐車して、買い物などの雑用をすませていました。

そして、3時間ほど経ってからでしょうか、先ほどの広場に戻ってくると、何やら広
場は一面、車で埋っているではありませんか。しかも、単なる一般車ではなく、昔の
映画からとびだしてきたような、個性的な車ばかり。

狐につままれたように、あたりを見渡していると、目に飛び込んできた、金ピカの看
板。

「クラシック・カーの展示即売会!!
― 貴方のお気に入りの車、見つけて下さい ―」

嘘のような、本当の話です。

私は、車のことは全然分かりませんが、それでも、私のプリズム氏が、会場のどこか
で、自分の正体がバレないように、冷や汗をかいているに違いない、という事だけは
分かりました。その心境、まさしく、汽車で国境を越えんとする、指名手配人。

いやいやいや、待て待て待て。ひょっとしたら、展示車の雰囲気まで悪化させてしま
うという事で、早々に、どこかにレッカーされているのかもしれない・・

焦る気持ちを抑えながら、心なしかお金持ちに見える、他のお客さんに混じって、会
場を歩き回る事、数十分。ついに発見しました、私の哀車。

いつ建てられたのか、会場のメイン・ステージの近くには、中からマリリン・モン
ローが手でも振っていそうな御車ばかりだったのですが、その中に、明らかに場違いな車が一台。

どこか疲れたようにも見えるプリズム氏は、隠れ処を発見された時のサダム・フセイ
ンを想わせるものがありました。

しかし、単に、己の車を発見すればいいというわけではありません。今度は、私がそ
の中に乗り込んで、運転をして、プリズム氏諸共、排他的な上流階級の世界からの脱出を果たさねばならぬのです。ミッション・インポッシブル。トモコ・ルーズ、必至
です。

警備員やら係員やらと、「ディス・イズ・マイ・カー。ソー・ギブ・ミー・バック・プリーズ」というやり取りをするのも、決して賢明とは思われなかったので、強行突破に出ました。

さらに、コソコソと裏手を回ると、いかにも怪しくなってしまうので、まずは、「試乗しますね」という涼しい顔で乗車。

そして、「試乗しているんですよ。ああ、なんていい車♪」と、周囲の人々に愛想笑いを振りまき続け、心臓が破裂しそうになりながらも、会場のド真ん中を堂々と突っ
切って、ついに不可能なミッションの成功をおさめました。

帰宅途中、醜いアヒルの子が、白鳥に変身するという奇跡は、もちろん起きませんでした。が、この一件を通じて、共にブルジョアジーと戦った戦友として、プリズム氏
に対する愛着がわいたのも確かです。

深夜にステレオが盗まれたり、シフト・ギアが壊されたりと、この車には散々苦しめ
られましたが、それも、今となっては昔の話。あとは、後任の方の交通安全を切に願
うのみです。プリズム氏と一緒に、ミネソタの車社会を生き抜いて下さい!

今回は、始終、車の話になってしまいましたが、とにもかくにも帰国いたしました。
次回からは、アメリカやミネソタとは何も関係ない話にもなってしまうかもしれませ
んが、ひき続き、私のツブヤキにお付き合い頂ければ、幸いです。ブツブツ。

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