4月22日(木)
講義日。いい人数に絞れてきた。学年もさまざまでこれまでになくいい時間を過ごすことができそうだ。そう思える今に感謝したい。
4月21日(水)
少々疲れております。怒涛の週末、休みのない用事、の疲れでしょうか。
4月20日(火)
雨の降る中、所用で各地に出かける。事務所、駅、銀行、大学へ。
気のせいだろうか、銀行の窓口で対応してくれたひとが、あの「青豆」を具体化するとこんな感じのひとではないだろうか、と思わせる応対だった。たぶん、その容姿も。マンガの読みすぎならぬ、本に入り込みすぎか。
4月19日(月)
いい天気である。けれど、起きたのに起きた気がしない。
思わず睡魔に襲われる。意識朦朧。夕べはよく眠ったはずなのに。
挨拶もろくすっぽできない。いかんなあああ。
展望浴場に行き、そのあと『ゲゲゲの女房』を見る。いま大事なときなのだ。
その後、朝食。
内田先生はすでに召し上がっている。
先に神戸に戻られる先生をお見送りし、講習会に参加されていた方を送られる守さんにも深々とご挨拶し、チェックアウトまで少しだけ休ませてもらう。睡眠時間が少ないとまともな思考もできないのだ。
ぎりぎりまでホテルにいさせてもらい、共に丸亀駅まで歩く。町並みがのどかでいい。
じっくりと電車で移動。海岸寺に行く。寺がいきなり海につながっている。八十八箇所のひとつでもあるみたいだ。
眺める海の向こうには、ぼらが跳ねる。跳ねる、跳ねる。
また、電車で高松駅前に戻り、うどんを食す。ようやく生き返る。
睡眠と食事が足りないと生きていけない。わかりやすい身体だ。
高松駅前の玉藻公園を散歩。高松城跡地は工事中だった。
高速バスに揺られて、神戸に戻る。長いようで短く、短いようで長い旅だった。
緩やかに楽しかった。
内田先生、守さん、みなさま、ありがとうございました!
4月18日(日)
朝九時に集合し、内田先生の車に乗せてもらって丸亀に行く。ぶうーーーん。
今日は丸亀で合気道の講習会があるのだ。
連日の慌しく、忙しい合間を縫って、今回もつれていただくことができた。
内田先生、ありがとうございます!
坂出インターで、呉服屋さんである守さんと合流し、美食としかいいようのない、看板のない、フレンチをいただき、満腹になる。
「おいしいのをいただいて、さ、これで帰りましょう、と言ってしまいそうなくらいですね」「それじゃあ、何をしに来たのかわからなくなりますね」と、だれかれとなしに言葉を交わす。かつて、どこかで聞いたような会話だ。
午後からは講習会。
はじめでの人も多かったが、無事に合気道をされていた。時期的にも今度は大丈夫だった(以前うかがったときは、滝のような汗が流れた)。
無事に終了して、懇親会はかの有名な明水亭。おいしかったし、おもしろかった。ぶううーん。
4月17日(土)
朝から大学のソール・チャペルへと向かう。
合気道部の「先輩」であるくうの結婚式に参列する。
昨日の雨が嘘みたいに晴れ渡る空の下、とても輝いていたなあ。
新郎新婦は当然のこと、どこをどうとってもきれいな学舎。こういう場所で式を挙げられるというのは、とてもよいことである。
つつがなく式が済み、その後一度帰宅し、着替えて、芦屋へ。
おそらく無事に行われているであろう合気道の稽古に出向く。
稽古時間の半分も過ぎた途中から稽古に行くというのは、実は人生これが初めてである。体力やら、稽古時間帯やら、いつもと調子が違うのは当然だ。
その後、またもや自宅に戻り、風呂に入って、今度はしゃっきりと着替えて、大阪へ。
二次会に参加。
よく笑い、よくしゃべって、気持ちのこもった暖かい、色濃い会でした。一日中移動の耐えない日でありました。
くうさん、おめでとう。これからもお幸せに。
4月17日(金)
大阪アースダイバー@ナカノシマ大学
中沢新一×釈徹宗という対談形式。今後も新たなる展開に期待。
4月16日(木)
今年度初めての講義。いい人数だ。
4月14日(水)
いい感じの午後だ。
4月13日(火)
雨の後が甚だしいので、そろそろと山を登ってみる。懐かしい面々に出会う。
4月12日(月)
どしゃぶり。「雨が降った」なんて言えるかわいいものじゃない。
こんなに雨って降れるのかというくらいの雨。昨日でなくてよかったと思う。
4月11日(日)
思い切って本部道場の研修会に行ってきた。多田先生の講習会があるので出かけたが、今日は事前申し込みが必要だったと聞く。すみません。入れないことはなかったのでよかった。100畳に150人が来たので、ものすごいひとだかり。一人一畳も当たらない。けれども、誰も怪我なく、ぶつかり合うことなく、譲り合い、気をつけながら稽古できるのだからすごい。
行ってよかったと思える内容やひとびとで、ほっとした。
4月5日(月)~10日(土)
稽古をしているとき、というのでもうひとつ。能の稽古をしているとき、というのもまた、まったく余計なことを考えない時間である。下川先生に言われたことを忠実に守り、懸命に努力するだけである。いらぬことをしたり、考えたり、思ったりしている余裕はない。仮にそのようなことをしたところで、集中力散漫となり、一瞬にして叱られるだろう。というか、よそ事を考えながら稽古できるなら、その方法を知りたいものである。必要はないが。
眠っているときは、どだろうか。もちろん眠っているので目覚めて活動しているときのようなはっきりとした意識はどこにもない。よそ事や、いらないことを考えなくて済む。
稽古をしているときというのも存外集中している時間のようである。当然だが、これまで考えてみたこともなかった。おそらく「集中している」という状況が自然で、それが当たり前になっているからだろうと思う。「集中しているなあ、いま」などと思ったり考えたりしているのは、ちょっと変な感じだ。ましてや自らが主宰し、指導しているときなどは、そのような「集中する/しない」といった感覚や思いなどは、まったく程遠い。その手の感触が頭にのぼってこない。一心不乱に場をどうにかするということに向かっているので、あれこれ思案している暇も余裕もないのだ。余計なことを考える隙間も時間もまったくない。いつも稽古していられたら、いらぬよそ事など考えなくて済むのにと思う。
桜が咲いているというのに、ところによっては満開だというのに、気分がふさぐ。生きている心地がしない。勝手な空想が頭をもたげる。それが私の頭のなかを先行する。そんな数日間であった。この数日間は記憶にあることも、ないこともある。いろいろなところに花見に行ったはずなのだが、それも今となっては昔の話だ。
かろうじて覚えていることといえば、松下記念館(門真市)に行ったことだ。パナソニックの創業者の記念館。初めて出向いたそこは一歩入るなり、安藤百福記念館を思い出させた(これは池田市にある)。
来館したのは、ちょうどどこかの会社の新人研修と時間が重なるころだった。周りには、まだ新しいスーツに身を包み、プリントをはさんだファイルを片手に記念館に陳列されている冊子や関連商品、写真や映像などを見ている人々が大勢いる。その人たちは、予め求められた質問用紙に回答を書き込んでいるようだった。その姿は揃いも揃って小学生の社会科の校外学習授業のようにも見えた。
誰であれ、人の一生を垣間見るのがどうも好きなようで、私は周りのことも、誰のこともほとんど気にせず、そこで二時間以上過ごしてしまったようだ。それだけに集中して、それだけに頭を使っていたということだろう。ほかには何も考えず、食い入るように見ていた。ふと辺りを見回すと、同じころに入ったはずの新人研修生たちの姿はどこにもなかった。どうやら帰ってしまったらしい。
松下幸之助という偉大な人物の本の少しだけ見聞きすることができた。
4月4日(日)
稽古に行った。
4月1日(木)
四月のバカ。嘘をつくことも忘れているくらいに慌しい一日だった。雨が降って天気もよくなかった。寒かったし、心も痛んだ。心が痛んだことをここに書けるならいいが、書くと社会的にも、個人的にも気分がめいる。かろうじて言えることは、相手の気分を悪くさせる人間は、それは取りように寄れば、相手の生命力を下げるということになる。つまり、生きていくことそのものの行方を阻む存在となるのかもしれない。
3月31日(水)
気がつけば年度末。桜はもう咲いている。