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誕生日でした

2月13日(土)

 今週久しぶりにはれた感じのする今日。心もだんだんと晴れてきた~。明日も稽古があるためか、今日は結構人数が少ない。いいねえ、こういうものまた。明日も稽古なので、早めに休もう。


2月12日(金)

 免許更新のため、伊丹市にある阪神免許更新センターに行く。
ほとんど行ったことがない場所なので、念のため場所を調べてみると阪急伊丹駅から近いらしい。阪急伊丹駅も前回更新で出かけたときに降りた以来、行ったことがない。用のないところにはあまり出向かないのである。よって阪急沿線には、知らない場所がやたらと多い。

 昼からの更新受付と講習に間に合ったので、無事に一時間ほどでセンターをあとにする。
 優良者講習だったので30分で済み、今回晴れてゴールド免許になりました。

 その後電車を乗り継ぎ、「今週もう一回来て~」と言われた三宅接骨院へ。
 よく知らないが首の辺りがおかしくなっているらしい。自分でもわからないのだが、三宅先生に診断によるとそうらしい。じっくりと診てもらう。
 
 そのあと、本を探しに街に出るが、見つからず。
 このあたりで持っていた本が読み終わり、次第にエネルギー切れともなり家路に着く。西へ東へ小さな移動の多い所用の旅の日の出来事である。


2月11日(木・祝)

 天気のよくない今週である。
今日の午前中は眼鏡屋さんへ。今使っている眼鏡は数年前に作ったものなので、誕生日を機に、もうひとつ作っておくことにする。検眼をして眼鏡を新しくし、午後は、その足で神戸の上田能楽堂へ。東川さんがこの日、ご都合が合わなくなったらしく、チケットを送ってくださったのである(ありがとうございます)。

 番組は、能『高砂』、狂言『末広がり』、仕舞「田村」「東北」「葵上」、能『船弁慶』である。充実のラインナップである。
 前の晩に珍しく(最近「珍しく」が多いな)きっちり予習をして出かけたので、その甲斐があったのか、観ながらふいに能が面白くなった。『高砂』はよく知られた、老夫婦の話である。昔から結婚式や披露宴でもそのなかの詞章が披露されることがある。実際にも、映画でも何度か見てきた。
改めて見ると実に味わい深い楽曲である。昨年、仕舞で「高砂」をさせてもらったこともあり、個人的な馴染みや親しみもある。能楽としては、初めて観たが実に面白い構成だなあと感じた。以前ならここまでで精一杯だったが、今回は珍しく謡本を手に持ちながらの鑑賞だったので、一段とよく理解できた。
 能『船弁慶』「前後之替」も間狂言がこれでもか!というくらい台詞が多く、説明が気になった。それよりも気になったのは、前半の静御前(前シテ)が後半で平知盛をはじめとする怨霊(後シテ)として出てくることである。物語上、静御前は都合で宿に帰るあたりで前半がすむ。そのため、後半は物語に関係のない人物になり、後半には登場しない。その静御前役の人物が後半では、物語の重要人物である平知盛の怨霊(後シテ)となるが、決して静御前が化けて出ているわけではない。ひとりのシテが前後で生きている女性を死んでいる男性を演じるのである。この演じ方が面白く、二人は関係ない話なのに関係があるように見えて興味深かった(いや、知らないだけであるのだろうか?)またシテ方が舞うや飛ぶや跳ねるやで、たいそう勢いもあり、舟を漕ぐ舞台演出もリアルに見えてきた。下川先生も地謡と重要な役どころで出ておられたし。
 家元の仕舞「東北」を拝見しながら、ひとつきほど前にもこの能楽堂に来たことを思い出した。まだ病み上がりで、ぼんやりしていたが、美しい動きだったことは覚えている。そのときもたしかチケットを下川先生からいただいたのだなあと、みなさまの暖かさに感謝するばかり。

 今日は途中で能楽堂を抜けることもなく、附祝言までしっかり聞いて、慌てて三宮へ。
 年上の友人であり、弟子仲間でもある東川さんが、わたしの誕生日を祝ってくださるのである!ひゅーひゅー。どんどん、ぱちぱちぱち。
 三宮のおいしいお店で、おいしい食事、愉快な会話。面白く素敵なひとたちに囲まれて、とてもよい時間を過ごさせてもらうことができた。ああ、わたしはなんて幸せ者なのだ~


2月10日(水)

 工夫したいと思うことはいくつかあるのだが、なかなか追いつかないのがほんとうのところ。目下、身体を動かし、前に進み、進んでも、進みきれず。追いつかず。今にして思えば、心ある周囲の人から以前言われたことでもあるが、この日録を読んで、「つぶやくな」と言われたことがある。だとすれば、今気づいたが、この日録は、ついったー的要素が強いのだろうか。流行の先端?か。とよりよく解釈してみる。


2月9日(火)

 縁あって昨日ツイッターを始めた。
昨日頂いた誕生日メッセージのなかに、ツイッターをお誘いくださった方がいたからだ。どんなのかなあと思って覗いてみると、結構見知った方がおられる。ミクシイのなかの機能に新しく出来た「つぶやく」項目があるけれど、その全面的公開バージョンみたいなものだろうかと推測する(個人的にはミクシイをちょっと飽きた人がしているのかな?とも思う)。
始めたばかりで、使い方も、用語も何にもわからないが、ちょっと面白そうなので少しずつ覗いてみよう。

 あれこれ春の計画を立ててみる。行きたいとこ、見たいもの、すべきこと、やるべきこと、食べたいもの、買いたいもの、欲望や希望や願望が絞られてくる。


2月8日(月)

 窓を開けると、空はぼんやりした曇り空である。そして寒い。
「今日もいちにちがんばろう」
見上げた空に向かってそうつぶやく。

 今日はわたしの誕生日である。しかし朝からケーキを食べている余裕もないし、誕生日だからといって布団から起き出すなり、クラッカーを鳴らされるようなこともない。
 いつもの月曜日である。たぶん。

 学校と名のつくところに通いだしたころからの長く続いた習性だろうか。天気の悪い月曜日は、いつだって人をいくらか憂鬱にさせる。
 「月曜日が始まり(週明け)である」という感覚はいまも身体のどこかに染み付いていて、未だそれが抜けきれていない。実際、今でも月曜日は週明けであり、そこから仕事なり何なりが始まっていることには違いないのだから、当然といえば当然だが。一週間が始まるのはいいが、月曜日は何故休み明けなので、身も心もしゃくぜんとしないのである。
 
 雨の降らない合間を縫って、午前中は能の稽古。
 三月に行われる新年練習会(身内の発表会みたいなもの)の演題を重点的に稽古している。
今日の謡は、練習会での役である『摂待』の子方、『橋弁慶』の子方、普段の稽古は『富士太鼓』を謡う。
仕舞は、今度の会では舞囃子となる『敦盛』である。道順は覚えるのはいい。だが、難しいのはそのあとだ。何が難しいって、拍子が難しいのである。どこにも書いていないし、どこにも定型化された目に見えるものがない。謡の「詞章」はあるが、あとは「師匠」の姿かたちを真似るのがすべて、である。これが簡単そうで一番難しい。簡単なこと、基本的なことが一番難しい。ここでもまた、基本が奥義なのだろうかと思う。
これからもがんばろうと思い、下川先生にご挨拶して、稽古場をあとにする。

 稽古の後、元町に出て、母を待つ。
 余り知られていないことだが、わたしの母も今日が誕生日である。つまり同じ誕生日ということになる。今日は互いに時間が空いたので、街に出ることで一致した。
 元町駅で母を待っていると、ふと声をかけられる。高校時代のクラスメイトいっちゃんである(こちらは全く気づかなかった)。高校時代から、たいして、姿かたちが変わっていないので、すぐさま、わたしとわかったのだろう。
 何年ぶりのことだろうか。年賀状のやりとりはあるが、卒業から長い時間が経っている。積もる話もありそうなものだが、懐かしさに気をとられて、そのまま他愛のない話をしているうち待ち合わせ場所に母と到着。母にいっちゃんを紹介し(母も覚えていた)、いっちゃんは「手紙を書くよ」と言い残し、それぞれ目的地へと向かった(その後、いっちゃんから公言どおり手紙が届く)。

 最初は恒例の「別館牡丹園」で軽く食事。思わず頼んだフーヨーハイがおいしかった。やっぱり神戸は中華である。食べながらべらべらしゃべる。お昼時間を過ぎていたせいか、適度な混み具合でよかった。
 食後は神戸でお買い物。必要なものから、お約束の、あら、バーゲンなんですか!の品までいろいろと。
 ちょっと休憩がてらお茶をして、夕食はかねてから楽しみにしていたイタリアンへと向かう。

店に入ると、まず不愉快そうに顔をしかめた店員(女性、たぶんアルバイト店員だろう)に席に通される。まだ時間も早いので席はどこも空いている。この時点でいやな顔をされたことについて、なんとなくいやな感じがした。
席に着き、誕生日なので何かそれらしいサービスとかメニューはないかと母が尋ねた。
すると、店員からものすごくいやな顔をされた。そういうものがないならないで、こちらは別にいいのである。ただ尋ねただけだ。尋ねた店員にはその意味がわからなかったのか、ふてくされた顔をしながら、店の奥に聞きに行った。聞きに行ったはいいが、その後まったくそれについての返事がない。戻っても来ない。おまけに小さくブチ切れた様子で「なんか、意味わからんへんわ!」と、コックたちに言っているその声が、こちらに大きく聞こえてくるのだ。おそらく向こうは気づいていないだろうが。
尋ねたことに対する報告もなければ、さらにはオーダーも取りに来ない。何の反応もない。店に入ってから軽く十分ほどは経っているだろうか。
この時点でいいかげんメニューを眺めるのもやめており、店員の態度に疑問と怒りを覚えていた。接客のことはわからないながらも、あまりに無神経で、配慮が行き届かず、客であるわれわれが店に入るなり、無遠慮に顔をしかめ、席に着いてから尋ねた質問にも何の返答もなく、オーダーさえも取りに来ない。不快感ばかり起こさせる店員の対応に、充分すぎるほどの不愉快な気分となった。一度は着いた席だが、そんな気分のまま食事を摂る気にもならず、店を出ることにした。
いつものシェフが今日は休みらしかったので、はじめはそれを理由にして辞去することにしたが、わたしはなぜか、珍しく不思議と怒りが収まらなかったので、出入口の前で静かにこう言った。
「最初に対応してくださった方の応対が、あまりに不適応で(感じが)悪く、客として理解に苦しむものだったので帰ります」と。シェフがいないから帰るとばかり思っていたチーフらしき人物は、そのことばに驚いたのか、急にへこへこしだして、慌てて割引券らしきものを引き出しから出そうとした。だがそれにも「結構です。また来るかどうかはまた考えます(きっともう来ないです)」と遮るほどだった。割引券欲しさにそうしたのではないし、割引券もらいたさにそう言ったと思われたくもない。
 渡された店の名刺に握りつぶしながら、表に出るなり「二度と来んわ!」と口から出たのは言うまでもない。

 気を取り直して、少し歩く。
食べたいものや気分や友人知人の情報を参考に探した結果、ステーキハウスの国分さんに紹介してもらったおいしい和食の店に落ち着くことになった。ここは見事なくらいに、店の感じも、マスターも、店員の方も、とてもにこやかで感じがよく、食事もたいへんおいしかった(お店から海老の天麩羅までサービスしていただいた)。さっきのいやな感じからは天と地ほどの差である。
そんなこんなで、珍しく互いに誕生日を祝ったのでありました。

本日は、みなさまありがとうございました。
 お会いしましたみなさま、いただきましたメール、贈り物、お言葉等々たいせつにします。思い出していただけることだけでもうれしいですのに、感動のおことばまでいただき、生きててよかったなあとまで思えました。これからもよろしくお願いします!


2月7日(日)

 具合の悪いのが今度はおなかに来ている。
 いちにちぐったりしている。何もできないとは、このことか。


2月6日(土)

 具合のよくない土曜日というのも珍しいことだ。稽古のある日に具合が悪くなるというのは、ほんとうに珍しい。ときおり高熱を発することはあっても、熱は、熱となる原因が考えられることがほとんどなので、下がるのを待てばよい。
 今日は熱こそなかったが、朝から嘔吐で苦しんでいた。夕べからどこか調子のよくない感じがしていた。何か悪いものを食べたわけでもない。理由のほどがわからない。
具合がわるいならば、大事をとって稽古を休めばよいのだが、今日に限ってはそれもできない。なぜなら今日は内田先生が入試業務でお休み、稽古担当をわたしがすることになっていたからである。急遽、ほかのひとに担当を変わってもらうことも考えたが、どの人も予定や仕事やら寝坊で、いまさら変更も効かないようであった。
 「道衣を着れば何とか気持ちも楽になるだろう」と思い、ふらふらと体育館に向かう。
不思議なもので、着替えるうち、だいぶ楽になってきた。何とか静かに、自分自身を体調も含めて見つめながら呼吸し、体を捌き、身体を使う。稽古始めの当初は、少ないと思われた稽古人数も、最終的には増えている。それもまた幸いだったのだろう。
 あれこれと今日は、今日の、出来る限り知恵と勇気と希望をもって稽古した。楽しんでいただけた方がひとりでもおられたなら、それはこの上なくうれしい。そんなふうに思える合気道に出会えたことに、稽古やそれ以外でもわいわい楽しめる仲間がいること、そのすべてに導いてくださった先生に感謝。いらっしゃらないときは、ほんとうにいつも特にそう思う。内田先生、ありがとうございます。


2月5日(金)

 うむ。なんだかおかしいぞ、の日。

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2010年2月14日 09:51に投稿されたエントリーのページです。

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