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冬休み手前で

12月21日(月)

 朝から微熱。喉も相当痛い。緩い悪寒もする。声が出にくい。
外は軽い霙。気温も決して高くはないだろう。手が悴む。
よっぽど休講にしようかと思ったが、そうもいかない。身体を起こして目を覚まさせる。
静かに起きるのを待つ。葛根湯を飲む。喉の痛みが少しは和らいだようだが、完全ではない。暖めて、あまりしゃべらないようにして、だましだまし前に進む。
さすがに風邪をひいたようである。
冬休みまであと少し、のはずだ。がんばれ。

12月20日(日)

 ようやく日曜日らしい日曜日を過ごす。ほんとうは、能楽堂に出かけたかったが、手配が遅く全席ソールドアウト。残念であった。
 その代わりといっては何だが、ほんとうに静かに過ごした。

12月19日(土)

 朝一で能の稽古に行く。
いつになく下川先生からも奥様からも、ちょっとここには書けないような面白話をうかがった。時間があれば、いつまでもお話をうかがっていたかったが、そうもゆかず、謡と舞の稽古をしていただく。
いい場所に来させてもらったなあと、その思いを強くする。能の稽古も今日が稽古納め。今年一年、ありがとうございました。

 午後からは合気道の稽古。まだまだ寒いのでいつもより集まりが少ない。でも、じっくりと稽古するにはちょうどよい人数だなあと思う。

合気道のあとは、稽古仲間のムカイさんに誘われて、マイケル・ジャクソンの「This Is IT」を観にいく。再上映が決まったらしく、神戸へと向かう。誘われたヒロスエさん共々静かに感動。
マイケル・ジャクソンについてはほとんど何も知らない。
”We are the world”は素晴らしいなあと思ったくらいで、あとは“ジャクソン5”という兄弟がいたとか、”Bad”が流行り、ムーンウォークを始めとするダンスができるひとであるとか、プレスリーの娘と結婚してすぐに離婚したとかいう程度のことしか知らない。まことに貧相な予備知識しかない。
今回、実際に映像を通してみると、あれだけの動きを見せるなんて!50歳とは思えぬ動きに驚いた。また音の感覚、大きなコンサートを纏め上げる演出力にも驚いた。それだけに、もう少し身体を大事にすればよかったのになあと、思うばかりであった。

12月18日(金)

 クリスマス礼拝の日。
くじ運が相当に悪いので、宝くじも、ロト6も人生で一度も買ったことがないのだが、ことしはクリスマス礼拝のチケットに応募してみた。するとチケットが当たった。たいそう喜ばしいことである。また運良くことしは司式が飯先生、礼拝の独唱は斉藤言子先生だったので喜び倍増であった。
クリスマス礼拝とは、通常の礼拝の流れに則りながら、着席したままで、賛美歌を歌い、賛美歌を聴き、演奏に耳を傾けるものである。学外の方からの説教もうかがい、参列者は静かに黙祷を捧げる。
礼拝には中高部のハンドベル、合唱が出演し、大学の音楽学部によるオーケストラ、声楽専攻による合唱は、いつもの講堂を荘厳な雰囲気で包み込む。
斉藤先生のソプラノは、まことに身体にしびれる声であった。一度そのお声を舞台に拝聴してみたいなあとまで思えた。
 飯先生の司式は、なぜか毎回「受ける部分」が用意されているので、そこを聞き漏らすまじと耳を大きく傾けた。
神様によって運ばれた夜は、またひとつ心地よい時間を過ごせた。ことしもここにいられてよかったと、本当に思えた。

12月17日(木)

 大学の稽古も稽古納め。
 寒波がやってきたようで、手足がとても冷たく、手が悴み、足が思うように動かない。寒いのを通り越して、心身が痛い。
 こんなときは、あったかいおでんが食べたくなる。かといって、おでんを煮ている時間もない。買いに行くのもなんだかなあと思う。そんなことを考え、話しながら歩いている帰り道、ふと近所にうまそうな居酒屋があることを思い出した。随分前に江さんに教えてもらったことのあるお店だ。
教えてもらっただけでそれから一度も足を運んだことがない。見に行くのはおろか、思い出したことさえない。その割には、(おそらくあの店ならおでんはあるだろう)と今日、勝手な予想をたてた。足を運んでみると予想は当たり、おいしいおでんを食べることができた。
店の構えは古く、年季が入っている。切り盛りする親父さんの佇まいからして、ほんとうの居酒屋である。決してチェーン店ではない。電車から降りてきた帰宅途中のサラリーマンが、ふらっと訪ねてくるようなお店だ。かといって騒がしくもなく、静かで清潔で、カウンターだけの小さなお店である。
ひとりでは入るのには、わたしにはまだちょっと勇気がいる。だから、ひとりでは行ったわけじゃあない。

12月16日(水)

 今日は道場の稽古納め。一年間大きな事故や怪我や出来事もなく、過ごせたことに感謝。毎回、足を運んでくださる会員の方々のおかげで、静かではあるが、前に進んでいる。ゆっくりでもいいから、もう少し愉快に、大きくなるように、来年からもいろいろと工夫していきたい。
 稽古納めの後は納会。今年は会員の方のなかに、三宮で鶏専門のお店を開いている方が来られるようになったので、そこを会場にお願いした。たいそう美味である。
早めに始めて早めに終わろうということで、四時に始めて七時に解散。なんともさっくりした会である。
参加可能な方がほぼ全員が集まり、終始賑やかな宴となった。毎回納会を開けるようになったそのことを静かに振り返りつつ、感謝するばかりの夜であった。

12月15日(火)

 朝一で礼拝に出る。
礼拝は毎日10時30分から始まるが、それまでにリハーサルを行うということで、今日は一時間前に理事長室に集合となった。
 毎年この時期なると、学内では学科ごとのクリスマス礼拝がまもられる。そのうち、総合文化学科の出演者のひとりとして参列。
一年に一度そのような機会に恵まれることは、まさに夢のような出来事だ。
今回、飯学長(ああ、なんとすばらしい響き!)に運良くお声かけいただき、チャペルへと向かった。
 ソールチャペルの二階に上る。久しぶりの景色だ。なんとよい眺めだろう。素敵なチャペルだ。担当を任されたアルトリコーダーを吹く。ソプラノの独唱、ギター、ソプラノリコーダーの音と合わせる。何度となく合わせるうち、音の色合いや曲の大きさがわかってくる。指も動く。またリハーサルを重ねるうち、当初の指示とは違うことがどんどん加えられる。吹く予定でなかった箇所、吹く予定になかった演奏曲などが与えられるのである。音の流れはわかるのだが、即座に楽譜を読めないわたしは、急に楽譜を渡されてもたいへんなのだが、それもまたよし。合わせるうちに話がわかってきた。讃美歌は、いいものだ。そして、このような機会を与えてくださった神に深く感謝。宗派や流派に関係なく、チャペルにいると、不思議とそのような気にさせられるものなのだ。ご縁はどこにあるかわからないものだということもまた。


 夕刻は合気道仲間の高橋家@池田市内で宴会。随分前から約束していたのが、時期が合わず、いつの間にか鍋の季節になっていた。
大学から大慌てで現地に向かう途中、ふとしたことでカニをたくさんいただいたので、それもお土産に持っていく。
一同(タカハシ、ムカイ、タハラ、ヒロスエ、ウキ)、恐縮しつつ戴く。
そして、しばし無言。
というのもカニは食べている間、必死になって殻を剥くという作業が入るので、途端に会話が途切れるのである。何度も経験したことだが、こういうときはテレビをつけていると、常に誰かがしゃべってくれているようで、助かるものだ。
そうではあっても、鍋を囲める仲間がいるということは、まことに良きことだなあと、いまさらながら悦びをかみ締める。カニの神様やそこに通じる人々にもまた感謝。

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2009年12月23日 12:51に投稿されたエントリーのページです。

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