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怒涛の週末

12月14日(月)

 眠い目をこすりながら、朝一で能のお稽古。何とか早起きして出かける。ばしばしと教えていただき、うちに戻る。
 午後一で講義。にこやかに指導し、にこやかに前に進む。だいぶ形になってきた。いいことである。受講者同士も係わり合いができているようで、そういうのが良い方向に見え隠れするのはいいことである。
 夕方一で朝カル。二日とあけず出かける。まるで朝カル好きみたいだ(もちろんきらいではない、が)。「内田樹VS福岡伸一」を拝聴。福岡先生が見事な話し方で、聞きほれてしまった。おもしろかったなあ、動的平衡の話。会場に着くまでに、ふらりと歩くだけで、会いたい人や会うべき人にじゃんじゃん会う(足立さん、森本さん、小西さん)。多田先生の昨日の話を実感する。
 夜一で中之島。大阪マルシェのほんまもんをいつもしているあたりで、屋台が出ている。行くなり140Bの江さん、大迫さんに会う。にごり酒を飲む。うまい!ぶらぶらとイルミネーションの中を歩き、黒門さかえの出店でうどんを食す。うまい!劇うま。そこで二杯目のうどんを買っているとき、青山さんに会う。
 ハードだったが、今日いい日だった。
 明日もまた朝一で礼拝に出る。

12月13日(日)

 朝早くの格安新幹線に乗り、東京へと向かい、多田塾研修会に参加する。
 ことしは、一度も研修会に参加できなかったので、ことしは、これが始めて最後になる。せめて年に二回くらいは行きたいけれど、なかなかそうも言っていられない。来年は二階行くぞ!
 道場に着くなり、工藤さんから「神戸から?」の質問。「はい、そうですよ」と答えると、「このためだけに?」となる。もちろん、このためだけに来て、このためだけに帰るのである。そのあと指摘されたように、稽古時間よりも移動時間のほうが長いかもしれない。しかし、そういう問題でもないのだ。研修会に来るのは。
その場にいなければわからないし、その場にいなければ知ることができないことがたくさんある。学ぶことも、稽古することも、その仕方もわからないことが多くあるのだ。それらを見聞きし、身体で会得し、大切に、丁寧に過ごさなければならない。だから、一瞬でも聞き盛らずまじと、身体中が真剣になる。
 今日の多田先生の時間は、それほどに、貴重で、大切であった。その空間にいるということは、いられるということは、運命的にもすごいことなのだ。

12月12日(土)怒涛の週末

 今日は場所が変更になり、大学で稽古。
道場の場所が狭いので、段級を分けた二部制となる。前半が級の人で、後半が段の人が集まることになっている。段を持っている人は、前半にも参加しても良いという仕掛けである。
 わたしは近所なので、こういうときは午前中が実にのんびりできる。とはいえ、いつもより開始時間が一時間早くはある。そんなこんなで過ごしていたら、あれよあれよという間にうちまで、お迎えが来る。こちらはまだ、のんびり刺身などを食べている時間なのだ。そのうち、先に着いた人から電話がかかってくる。先生がお見えにならないのだが・・・といった不安な声。まあ、そういうこともあるでしょうって。そそくさと支度をして家を出て、軽く登山。別に遅刻はしていない。
 そのまま、ほぼ四時間近く稽古する。たっぷりと。
 そしてまた下山し、荷物を降ろして、一服。軽く腹ごしらえをして、大阪に出る。
今日は、朝カルの韓氏意拳入門の最終日なのだ。さきほどまで、お会いしていた守さんに再び会う。
 大事に時間を過ごし、形体の訓練を行い、身体を使った一日が終わる頃はすっかり夜。なぜか、プチ打ち上げをすることになった。


12月11日(金)

 母が来る。いろいろと話しまくる。食べて食べて食べまくる。おなかがはちきれそうである。

12月10日(木)

 音楽学部舞踊専攻の第一回卒業記念講演に芦屋市のルナ・ホールに出かける。四年前に集まった12名のメンバーたちが来年の三月の卒業に際し、舞踊を披露する。次の春をして完成年度となるのだ。
島崎先生による卒業生全員のための舞踊は、一等明るかった。素人ながら毎回見ているので、舞踊専攻の学生さんたちが驚くほど上達しているのが手に取るようにわかるのだ。
身体の動きをどうすれば美しく見せられるのか、身体のパーツによる稼働域だけでなく、そこに人がいることによって、空気や環境はもちろん、身体を取り巻くその世界全体がどうなるかを再現しているようにも見えた。そのうえで、彼女たちの美しさを隈なく表現する最高の舞台であった。そう思う。いいもの見たなあと感慨深くなる。
さらには、望んでも仕方のないことであるが、ああいう風に身体を動かすことは、ほんとうに心地の良いことだろうなあと、ひしひしと感じるのだ。感じながら、身体だけは、どこかよくなった感触が残される。そして、身も心も軽くなる。

12月9日(水)

 すいすいと物事が進む日もある。水曜日はそんな日でした。すいすいと進んだので、すばやく眠るといたします。

12月8日(火)

 炬燵を出した。寒かったのだ。

12月7日(月)

 今日は異常に寒いと思ったら「大雪」だった。二十四節気は、馴染みの深い立春や春分、秋分、時折書く暑中見舞状や冬至や夏至を気にして調べることはあるが、それ以外の日はあまり気にせず過ごしている。ところが最近どういうわけか、それぞれの日が気になって仕方がない。新聞を見れば、その日の節気が書いてあることもあるが、わざわざそこだけを注目して見ないので、見過ごすことも多い。それよりもカレンダーに記してあるのをじっと見ることがある。とはいえ、最近は代表的な立春、春分、秋分、夏至、冬至くらいしか書かれていないカレンダーが多い。話しは少しずれるが、大安や友引とか仏滅というものは、ほとんどどのカレンダーにも書かれているのに、だ。
 来年はいろいろと細かく示されているカレンダーを使うと決める。

 さて、そのような大雪の今日は、まことにその字が示すが如く、とても寒い日だった。昼過ぎの窓から射す光は、明らかに冬の色あいを見せている。先日までの、明かりの具合とはまったく違う。冬の光が射しこんでいる。廊下の明かりが暖かくも感じられると同時に冷たさを含んだ色味を帯びている。さすがに表も寒い。少しの移動もコートを羽織るがいいのかもしれない。だが何分面倒くさがりなので、のちまた到着先でコートを脱ぐのが厄介に思えるのである。道衣を着ると、途端に寒暖のコントロールが効いてくるのか、それとも単なる慣れの問題か、何も羽織らずに移動していてもさほど寒くも感じないところもあるかもしれない。たしかに気温は低く、肌に感じる寒さはあるが、寒くないのだ。むしろ道衣の上にコートを羽織るといった格好の歪さに、たまらなく気持ち悪さを感じる。着物用の、あるいは道衣を着るときに合わせたコートならばそれはよい。ファスナーの付いたジャンパーやコートを羽織るのはどうか。マフラーを巻くほうが、俄然格好としてはよく見える。

12月6日(日)

 頭痛はまだやってきて、時々、頭そのものではなく顔全体を悩ませる。どうしてこんなに頭がいたいのでしょうね。今日は一日休みます。日曜日だからいいでしょうか。

12月5日(土)

 起きるなり頭痛がする。夜更かしをしたわけでもないのに痛いのだ。風邪だろうか、それとも疲れだろうか。目が覚めて寝床の中から出るまでに、何度も静かに呼吸してみたが、一向に落ち着く気配はない。静かに過ごせば過ごすほど、痛さの先がはっきりしてくるだけだ。頭が痛い。
今朝方から雨が降っている。それも、とてつもなく激しい降り方をしている。雨のせいで気圧が下がり、それが頭を圧迫しているのだろうか。そうとでも思いたい。思ったところで頭の痛さが治るわけでもないのだが、ほんの気休め程度で還元されるなら、そういう思いも必要だろう。人生のほとんどを悩まされ続けてきた頭痛ならば、それはもう少し前に、おさらばしたはずだ。何かの間違いであってくれ。このままでは動かないので、頭痛薬を飲んでみる。

12月4日(金)

 そろそろ来年の手帳を準備せねば。ぼんやりしていて師走になった!

12月3日(木)

 木曜日は介護のレッスンに加わる。先回のヨガは、体験するだけで、身体がたいへんなことになってしまったがが、一週間も経つと痛さも和らぎ、なんとか動けるようになっていた。それとは別に、右足の親指と左の首がずっとおかしい。痛さの流れが連関しているような気がする。今度診てもらおう。

12月2日(水)

 身体の動きは気持ちの動き。気持ちの動きは身体の動き。思いが身体をとおして前に出る。身体をとおして思いが伝わる。思いの好悪や善悪は関係なく。伝わるのなら、いっそそれらは、好いものでありたいし、善きものでありたい。

12月1日(火)

 急激な腹痛に襲われる。

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2009年12月15日 16:21に投稿されたエントリーのページです。

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