10月26日(月)
演武会ツアーとでもいうべき時間は、完全な休息ができず、週末のない時間でもあった。休む時間もないまま、よろよろになりながら、講義をする。異の不調もあり、ふと気を抜けば、どこか倒れそうになる。
10月25日(日)
合気道芦屋道場の演武会があり、招待演武に呼ばれたので出かける。司会も頼まれたので引き受ける。演武会続きである。
10月24日(土)
学祭演武会千秋楽。現役学生の合気道部、杖道会部員に加えて、招待演武、OG演武も増えて、たいそうにぎやかしい。
今回も師範演武の説明演武に呼んでもらえた。うれしかった。
演武会には、全国各地から、いろいろな友人知人が見に来てくれた。それだけでもありがたいことだ。この場を借りてお礼申し上げます。ありがとうございます。
いくらかの屋台を冷やかし、うろうろと歩き、しゃべっているうちに、あっという間に撤収の時間。畳を元に戻すのである。初めにあったのとおなじようにするのだ。
ほかの団体もそれぞれの場所に戻っていく。流れが違っていた空間もまたあっという間に元の時間に戻っていく。お祭りだけが、過去の出来事のように切り取られ、断片だけがそこかしこの空間に浮かぶ。しかし、もう私たちの目には、それは見えない。まさに、祭りのあとだ。
10月23日(金)
学祭初日。演武会も初日。お天気もよく、にぎやかに迎える。
合気道部と杖道会の合同の演武会である。いずれにも出場させてもらう。それなりの満足のいく演武をしたということにして、心地よく終える。
演武会の終わったころには、学内で中沢新一さんと内田先生の対談がある。それを聞きに行くために、今日は道場に残って、朝から握ったおにぎりなどを食している。すると、後方の扉から、中沢さんを大学案内されている内田先生がやあやあと入ってこられた。
初めて見る中沢さんに(おおこれが!あの中沢さんかあ~)と思い、(『僕の叔父さん 網野善彦』を書いたあのひとかあ~)と思いをさらに馳せる。気づくと記念に握手してもらっていた。
当の対談には、明日の宣伝も兼ねて道衣で出かけてみる。
10月22日(木)
毎年のことで、学祭の前日は大学全体が準備の時間に充てられる。いつもの4限が休講になり、翌日の金曜日も学祭のため全日休講となるのだ。合気道部では、明日の演武会に向けて畳の搬出をする。これも毎年のことで、だんだんと回数を重ねるごとに、そこに何かしら経験からしか生まれ得ないであろう合理性が出現しているのがわかる。
大学中を見渡すと、ほんとうに、どこもかしこもこれから始まるお祭りのため、動き出している。コンロを運んだり、掲示板を出したり、机を移動させたり、椅子を持ち運んだり、ポスター掲示したりしている。瞬時に学内中が賑やかになる。
ふと振り返ると、いつの間にか、いつもと同じ場所のなかで、いつもと違う時間が流れ始めている。いつもと同じ場所のある空間だけが、いつもとすこしだけ違う時の流れ方をし始めているのだ。明日からの時間は、完全にいつもと違って流れるのだろう。まるで異空間に運ばれた気分になるのだろう。気づけば外はもう真っ暗だ。
10月21日(水)
熱が下がらずにいるが、思ったよりも意識は明瞭だ。病ほど日記に書きやすいものはなし。自らの病状を記すほど、残す意味のなきものもなし。病床文学を名乗るほど、たいそうなものではないが、自らの経験している病状を記述するのは、日本特有の文化だろうか?
10月20日(火)
今日くらいに倒れておかないことには、おそらくこの先の大切な時期にぶっ倒れるだろうと予測して、先に倒れておく。ふいに熱っぽいので測ってみると、37度近くの微熱。ぼんやりするわけだ。