いろいろ見てます
5月7日(木)
連休明けが早速雨。頭痛がやまず。雨はひかず。
5月6日(水)
身体の調整がよくなってきたので、だいぶ気持ちが和らいできた。連休中、朝起きると、何度となく夢と見ている自分があった。覚えているのからいないのまでいろいろあるが、毎日毎日夢を見るのも久しぶりである。夢を見るのも久しぶりなら、あんなに食べ盛りなのも久しぶりである。おかげで体重が増えた。
5月5日(火)
ことしが宝塚歌劇団創立95周年と知ったのは、つい先日のことだ。今日は何気なくテレビを見ていると、関連の特集番組がある。それも二時間!よくまあこれだけの企画を夜の時間(ゴールデンタイム)に独占できたものだ。番組は、先ごろ退団したトップスターやこれから舞台が本番にせまった組などを中心に紹介される。
最近では、元宝塚スターが退団後、舞台ではなくお茶の間(という言い方ももう古くなってきたが)に登場する場面が増えたせいか、ナレーターもテレビで活躍している元スターの名前を列挙している。「○△□×さんも▲□組の出身でした」という具合に。そりゃあ、どこかに舞台に定期的に出てくるひとりの役者をおっかけて見るよりも、ぼんやりとテレビを見ていたら、CMやドラマやバラエティなどの番組に出てくる役者のほうが、よほど不特定多数の人間にとって、見覚えがあるだろうし、記憶され、印象づくものだろう。番組を見ながらに、ほんとうに昨今は芸能界に出てくる人が多いなあと、いまさらながら気づかされる。
宝塚(歌劇団)とは、ほんとうに謎めく集団である。それだけに魅力的で魅惑的な存在となりえているのだろう。でないと95年も続かないよねえと思った創立90年のときから、はや5年。今回改めてわかったことがある。それは、どうやらわたしは、ああいう組織だった集団を無意識に好んでいるのではないかということである。舞台という生モノが好きなのはもちろんだが、時折見たくなるのは、それだけが理由ではないだろう。衣装の派手さや豪華な動き、そしてラインダンスを見たさに好んでいるのではなく、むしろ言葉は悪いが、ああいう上意下達システム的なものが内在する場を好む傾向にあるのかもしれない。言い方を変えれば、きちんと先にいるもの後から入ってきたものの関係が、明確にあるものについて、なにか魅了されるものがあるのかもしれない。もちろん、実際の宝塚の世界内部に足を突っ込んだわけでも、調査したわけでもないので(調査したところでそれは外部の者からの視線でしかないだろうが)、実のところは、なんとも言いがたい。けれど、それでも、これまでの短いながらも経験してきた出来事を鑑みるに、どうもそれに類する集団や組織にいることを、ほぼ無意識のうちに好み、そして現時点でもなお、そのなかにいるような気がするのである。
このあたりのことは、自らの無意識の領域に踏み込むか、根ざしているような気がしてならない。もう少し掘り下げて考えてみたい。
5月4日(月)
テレビでは、『桑田佳祐の音楽寅さん』という番組で、ソラミミ『アビイロード』なるものをやっていた。感想、最高。見ていて、涙が出そうになるくらい面白かった。
番組そのものは、4月から9年ぶりに復活したもので、ざっと説明すれば、桑田佳祐がたくさんでてきて、たくさん好き勝手やっている、とても愉快な音楽番組なのである(サザンオールスターズ自体は昨年無期限休止活動を宣言したが、桑田氏をはじめとして、個々人はそれぞれに活動を続けている)。番組には毎回爆弾的な仕掛けがあり、この日は復活第3回目。
今回は、いわずと知れたあのビートルズのアルバム『アビイロード』全17曲をすべてソラミミで歌うという企画。題して『アベーロード』。
「空耳」というば、あの『タモリ倶楽部』のコーナーにあるような、空耳アワーに代表される、ちょっとよそを向いていたら、そんなふうに聞こえる主に外国曲にあてた日本語のことを思い出しそうなものだが、今回は、そんな部分的なものではない。『アビイロード』の一曲一曲に、ぐいぐいとソラミミな日本語を当てはめ、昨今の日本の現状というか思想というか政治というか、そういったものを桑田氏が歌うのである。まさにロックである。がははと大きく笑っているのである。見ていて再びビートルズが聞きたくなると同時に、こういうとき、日本人でよかったなあとほんとうに思う。この日本語がわからなければ、笑うこともできないからだ。また、日本にいてよかったなあと思う(だって、オンエアのときに海外にいたら見られてないものね)。
このソラミミ作品、ぜひCD化してほしい。もちろん買う。絶対買う。それどころか、何枚も買いそう。
5月3日(日)
連休が始まる途端に気が重く 柏餅食べ食べ 横になる
(これでは背が伸びるどころか、牛になりますね~もう!)
5月2日(土)
連休だが土曜日なので稽古。連休のかかりなので、いつもより人数も少なく広く感じられる。それでも30名はいたと思われる。今日も暑い!
5月1日(金)
ついに五月。四月はいろいろと決心して動いてみたが、自分の中の忙しさにかまけて動いてもうまくいったり、いかなかったりのことがたくさんある。まだまだ先は長く険しいが、怯まずに進んでいこう。しかし、どこかに仕事はないかなあ。ああ、仕事ください。
4月30日(木)
朝から暗い気持ちになる。どんより。まだ首が完全ではないまま。先週の涙が出るほどの痛みを思えば、天と地ほどの差で、だいぶよくなっているのだけれど。
4月29日(水)
環境問題を取り上げる番組を見るとなぜか、「ああ、今日は休日なんだなあ」と思わせられる。別に普段の日から、環境問題を考える番組はあるだろうし、取り上げてもいるのだろうけど、このときとばかりに番組になるのには、おそらく連休はどこも混んでいるから、どこにもでかけないで家にいよう→家でじっとしていよう→そうだテレビでも見ようか→なんとなく、ぼーっと画面を見るという層を狙っているのだろうかと思われる。いつもならテレビを見ない層も含めて、いきなり視聴率が上下することがあるのだろうか?
4月28日(火)
久しぶりの感触のある教室。まだ四月のせいか、教室に入ること自体、薄らぼんやりした感覚がある。この場所で合っているのだろうかという自問自答をしつつ。生憎の雨が多い気がする火曜日は、身も心もパッとさえない感触が随所に残る。
4月27日(月)
疲れすぎて眠っていた。わりに慎重な性格なので、倒れる寸前で、倒れるようにできているのだ、この身体。「無理はしない」という心情になる前に、「無理なこと」を無理とわかり、無理なる状況に追い込まないようになっているのである。
4月26日(日)
特別稽古の日。徒手も杖も組杖も全剣連の形もいろいろとあった。盛りだくさんの内容で、充実した稽古の日であった。首は、痛かったことを忘れるくらいにまで回復している。代わりに、肩から腰にかけて、疲労がたまっているかのように痛む。来週には診ていただけるので、それまでの動かし方が肝心だ。
4月25日(土)
稽古のはじめ、身体を慣らすのに、恐る恐る受身を取ってみる。するりと前受身ができた。先日からの首の痛いがあるので、控えていた。今日は再び初心にかえったつもりで、きちんとやろう、そう思って、大事に身体を調整しつつ動かしてみる。わりに動けたので、よかったなあと思う。健康は大事だ。ここで調子にのってもいけないのだが、そのあとはがんがん進む。
4月24日(金)
湿布を貼ると、貼っている間は痛みが遠のく気がする。だが、湿布の効果が切れてくると、だんだんと痛さが舞い戻ってくる。痛みの度合いが通常よくある寝違いとは異なり、それどころか、痛みにおかしささえ感じられたので、救急で三宅接骨院にお願いし、診ていただいた。原因は、やはり寝違いではなかった。身体の一部が捻れているのが原因らしい。そこを重点的に診ていただき、なんとか痛みが軽減される。来週の早いうちに再度来診するよう言われる。まだ完全ではないのだ。
4月23日(木)
朝から首が痛い。どうやら夕べ寝違えたらしい。寝違えたのなら、時間と共にだんだんと痛さがやわらいできそうなものだ。だが、時間の経過と共に、右に左に前後に首を動かすことがままならぬくらい痛くなってきた。よほど今日は休もうかと思ったが、なんとか起きあがるところまではできたので、湿布などを貼り、痛みを堪えて、出かける。どうやら寝違いではないように思える。
4月22日(水)
とても長い一日でした。