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三月なかば

3月16日(月)気分は神さま?

 装束を付けていただく。
五月の本番の舞台で、舞うものの装束を付けてもらうのである。今回の出番は『高砂』なので、それに関するもの。初めて透冠を身に着けさせてもらう。
 ずべてを装着(そう、これは着るというよりも「装着」に近い感触だ)すると、なかなかに重いので、歩いて普通に動くだけで、だんだんと暑くなってくる。面もあるので、視界が狭くなる。今回はなぜか明るく感じた。
これで、着替えて、舞って、謡って、また着替えて、舞って、謡って…という具合に、本番のお能の場合なら、これで二時間を過ごすのだそうだ。舞台に立たれる方は、どんなにかすさまじい経験をされているのだろうかと改めて思う。


3月15日(日)繰り返す。

 稽古稽古稽古。

3月14日(土)ちょいと、試しにさようなら

 昨日からの雨で地面がぬかるんでいる。
 わたしゃあ、ちょいとぐたぐたしたところを歩くのが苦手なで、今日の移動は、たくさん歩くコースではなく、電車に乗るコースを選ぶ。電車の接続がよかったのか、いつもより早く会場に着く。

昨日まで実家で過ごしていたためか、どこか異世界を浮遊している感じがある。戻って来るなりこちらでの生活があるのに、いまいち立ち位置が定まらない。どこにいるのか、気持ちが入らない感触。それはそもそも実家が異世界なのか、あるいはそこで過ごした時間がすでに自らにとって、それとは気づかぬうちに遠い記憶となっていて、遠い記憶の場所で過ごしたからだろうか。

ともあれ、おそらく現実の世界では現実的に時間が進む。
来週に控えた合宿のため、現実的に稽古に参加する人が多い。稽古に参加する人が多いので、道場の人口密度があがる。人口密度があがると、次第に暑くなる。もちろん暑さはこれだけが理由ではない。表の気温があがってきているので、にょきにょきと誰もがそれこそ筍みたいに活性化しだすのだろう。つまり、表に出やすくなるのであろう(推測)。

人も多く集まった今日の稽古は、会員I氏の送別稽古でもあった。4月から新しい生活が始まるのである。
稽古のあとは、壮行会が内田先生のご自宅にて会員有志により開催された。
I氏のリクエストで「粉もん」という希望があり、メインはお好み焼きになる。ほかにも、パンやカルパッチョ、サラダ、ワイン、ビールなどもたくさん並べられる。早めに会場入りした有志によって、ちゃくちゃくと壮行会の準備がなされる。お好み焼きは、キャベツと葱を細かく切り刻み、粉などと混ぜ合わせたタネがどんどんセットされてくる。何の気なく、プレートの前に座って油を敷くうち、わたしは最終的にお好み焼きの焼き要員になっていた。おそらく60枚くらいは焼いただろうか。


3月13日(金)たしか

 ひとつきほど前も13日が金曜日でしたね。

3月12日(木)飽食の時代

 ほとんど食べ過ぎに近い状態で横になる。間断なく食べるとは、こういうことか。

3月11日(水)

 稽古の後、特価で新鮮なスーパーの立ち寄ってみた。かなりお安く新鮮だ。付近の住民の方々が我先にと買いに出るのもわかる気がする。

3月10日(火)掃除機でゴー。

 部屋の中には綿埃。なぜこんなに、目にはっきり見えるほどに埃が出てくるのだ?

3月9日(月)

 今日もがんばろうと思うこと、たくさん。

3月8日(日)

 大阪能楽会館にて「能と囃子の会」を鑑賞する。
 来る五月、ここで会が催される予定なので、その下見を兼ねて、能楽会館に出向く。来てみてすぐに気づいたのは、かつて、この会館に来たことがあったということだ。中に入って造りを見るうちに思い出した。
 到着がお昼ごろだったので、「とん蝶」をいただいた。
普段は配るためのセットはしても、いただくことはないので、ちょっとうれしかった。思わず受付のおじさんに微笑んでしまう(まったく知らない人)。

うれしそうにドアを開けると、茂山七五三の狂言之舞『三番三』。
普段は、狂言之舞を見る機会があまりないので得した気分。狂言之舞は、かなり大胆によく舞うものなのだなあ思う。
続いて、同じ社中の帯刀さんによる舞囃子『西行桜』。
いろいろ観て、同じく帯刀さんによる連管『五様欄曲』。
またいろいろ観て、合間に「とん蝶」をいただいて、心の準備をしているうちに、下川先生の半能『葵上』の時間になる。『葵上』は、たいへん迫力のある演題だ。半分というかすこしだけだったので、今度は全部見てみたい。

3月7日(土)

 暖かくなって来たからだろうか、今日はまた稽古に来ている人数が多い。先週が少なかったから、その反動もあるだろうが、きっと合宿が近づいていたからというのもあるはずだ。人の多さと、三月の温かさとで、すべてが暑い。

 今日の稽古には、久しぶりに丸亀の呉服屋さんである守さんも稽古に来られていた。極端に説明を省けば、どっしりとやわらかく、讃岐富士のような方である。

 稽古の後は大阪に移動し、朝日カルチャーセンターにて、内田先生と釈先生の対談を拝聴。テーマは「祈りの諸相~祝いと呪い」。シブく、おもしろかった。朝カルでのすばらしい出会いに、今宵もまた感謝するばかり。

3月6日(金)

 降水確率100%。傘を差しても、歩いていれば、ズボンが雨でびたびたに濡れる。靴は、色が変わるほどに雨にかかりっぱなし。
 さて、そんな土砂降りの中、三宅接骨院の治療後、大山崎山荘美術館へと向かう。『さて、大山崎~山口晃展』があるとかなんとか。
作家の山口晃氏について、実はわたしは何も知らず、ほんとうに名前すら知らないほどの不案内だったのだが、「見てみるといいのです」というヒロスエ氏の強い言葉によって、この日は、雨の中、出かけた。
 阪急電車に揺られて、初めての駅に降り立つ。
美術館に着いてみると、そこは山荘美術館というだけあって、概観からして、たいそう立派な別荘が美術館に改装されているのがわかる。美術館は1996年、アサヒビールの手によって修復されたらしい。だから、正式名称は「アサヒビール大山崎山荘美術館」という。美術館としての歴史は新しい。この美術館は、先の(っていつだよ!)山崎の合戦で名高い天王山の南麓に位置する。新幹線に乗れば、新大阪と京都の移動中、天王山が見えるはずだ。たぶん。
 『さて、大山崎~山口晃展』は観る者をかなり喜ばせた。
絵の中すべてに遊び心満載で、マンガチックで、ぱっと見るだけでは、何がなんだかわからないのだが、じっと見ると面白部分満載なのである。
たとえば、洛中図のようなものは、街の様子を精密に写すのは当然なのだが、色合い鮮やかに描くだけでなく、こっそり駄洒落やイケズな事柄が盛り込まれているのである。
屏風も油絵もデッサンにほとんど狂いがなく、美しいとしか言いようがない。
モネの絵(本物)が並ぶに館での「見立て」も、大笑いしてしまった。
すべてが「美しい」のさらに向こうにある面白さに挑んでいる感じだ。
ちゃらっと描いたコネタ集のようなメモもまたよかった。これらは、ガラスケースのなか入っていたので、じーっと覗き込みながら観る。
どれもこれも、美しいなかに、きょろっと斜向かいにものを見るような描き方がよい。
いちばん気に入ったのは、各地に登場していた「馬車(うまぐるま)」(勝手に命名)。バイクに馬の顔がついている。わたしはこれを見て、射手座の半人半馬を思い出した。

3月5日(木)

 強烈な睡魔に襲われながらも、黙々と過ごす。もう春なのか?

3月4日(水)

 事務仕事も、たまにはいい。

3月3日(火)

 ひな祭り。雛人形は元気だろうかと思い出す。

3月2日(月)

 気がつけば、先週から休みが一日もない!ので、倒れる。

3月1日(日)

 今日は剣・杖の特別稽古があるので、てくてくと出かける。
 このところ、日曜日に特別稽古があるのは珍しい。
最初は杖を身体に馴染ませるところから。
馴染ませるといっても、べたべた触るのではない。端的に言えば、身体の一部として杖を使うのである。「身体の一部」として使うというのは、簡単そうで難しい。なぜなら、「使おう」という意思が起きてから杖と触れ合ってしまうと、それでは我が強すぎて、杖と身体がうまく馴染まないからである。
馴染んでいるというのはちょうど、私たちがお箸を使おうとかお茶碗やお椀を持とうという意思をわざわざ発生させなくとも、その持ち方やかかわり方が、すでに身体の中にあるので、自然に使えるのと似ている。鉛筆をもって、簡単に文字が書けるのもまた、ほぼ同じことだろう。
要は、あれこれ考えず、自らの意識のなかに、「使う」という意識がのぼらない状態で杖に触れることが大事なのだ。だから、杖と相対してはならない。「杖を使う」あるいは「杖を動かす」という発想のなかにいる限り、ぎこちなさから開放されないのはそのためだ。
一の杖基本、組杖を行う。打突の大切さを感じる。
次は木刀で合気剣の稽古。横面打ちの三種。これまた、いつもやっていることなのだが、おもしろい。
そして、手入れしておいた居合刀を抜く。刀礼、抜刀と納刀だけでも充分におもしろい。おうちで稽古しようっと。

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2009年3月17日 16:56に投稿されたエントリーのページです。

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