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2009年2月 アーカイブ

2009年2月 6日

とっても濃い一週間

2月6日(金)

 短時間に集中的に連絡雑用などをこなす。全部片付くとすっきりする。

2月5日(木)

 浮遊感覚めやらぬ今日。なんといっても濃い三日間でしたから仕方ありませんね。身体がどこかで喜び、自由気ままに動きたい思いを止められません。濃すぎる出来事を、「濃い」とかいうだけで、中身のほどをうまく説明できません。「こんな感じ」とか「あんなふう」という程度にしか。どこかで実践してみたいです。

2月4日(水)

 甲野先生の集中講義の日なので、大学に行く。三日目。
 毎日山を登り、事務手続きをして、会場へと向かう。ずっとこのような日が続けばいいが、そうもいかない。三日間を過ごせたこと、参加できたことに深く感謝したい。
 今日も、昨日の続きや身体の使えない部分など、身をもって感じることしばし。股関節が硬いなあと思う。なんとか柔らかくしたい。身体が柔らかいことは、やはり何かと、モノの見方も感じ方も変化すると思うから。
 さ、稽古だ。
 でも、甲野先生いわく「一生懸命努力するのはアマチュア」らしい。うーむ。むむむ。

2月3日(火)節分

 甲野先生の集中講義の日なので、大学に行く。二日目。
 岡田山の天気が怪しい。先生ご自身は、今日はお身体の具合がいまいちな様子。
 合気道の技にある一教について、護身的な使い方について、またいろいろと新しいことを教えていただく。教えていただく際に目にすること、感じることがあるので、そこで起こっていることはたしかことである。だが、すぐさまできるわけでもない。こういう実感があり、こういう実践の仕方があるという認識だけが生きている。
 さ、明日もがんばろう。

2月2日(月)

 甲野先生の集中講義の日なので、大学に行く。
 「最近技がぐっと変化し、すごく変わってきている」というふうなことを各地から見聞きすることしばしば。実際お会いするなり、先生ご自身もそうおっしゃっている。おそらく事実なのだろう(いえ、別に疑っていたわけではありませんが)
今日は、あんまり多くは受けさせていただくことができなかった。講義なので、登録した学生さんがたくさんいる。そこを押しのけてまで、甲野先生にひとり集中するのも厚かましいし、おこがましいし、何よりタイミングが難しい。
 さ、明日もがんばろう。

2月1日(日)

 姫路で兵庫県立体育大会の合気道大会に行く。
本部道場から師範が一名お見えになり、ご指導いただく。毎回思うが、西宮から姫路は、近いようで遠い。

1月31日(土)

 雨。シンポジウムに出かける。「大学で文学を教えるということ」について拝聴。

1月30日(金)

 あっという間に一月も終わりが近づく。忙しすぎて、いちにちをじっくり振り返っている時間がない。何をしたいのだろう、わたし。なんてセンチメンタルなことでさえも。

2009年2月15日

春一番

2月14日(土)

 春一番が吹いたらしくとても暖かな午後。
稽古する道場も、ようやく寒さより暑さを感じるようになった。どっぷりと汗をかく日は心地よく、ほんのりと稽古する仲間はおもしろく。

2月13日(金)

 隙間を見つけて今日も掃除は続く。とはいえ今日の天気は怪しく、そのためか捗りはかなり悪い。ダンボール山の解体は昨日までに無事に済んだものの、次は新聞山が待ち望んでいる。なかなかしぶとい。必要な記事をちゃんと整理しなければならない。集めただけでは、ただの古新聞である。それが終わればこんどは押入れの掃除が待っている(待てってね~)。
雨が降りそうだ。今日の予定を思い出す。

2月12日(木)

 先日から始めている掃除の続き。机のまわりはあらかた掃除が済み、積み上げていた紙の山は、山からゴミになった。ゴミはゴミ袋へと放り込まれ、数日後のゴミの日を経てゴミ処理場へと行くのだろう。
 さて、今度は部屋の反対側のダンボール山の解体と処分である。なかに何が入っているのか、もちろん入れたのはこのわたしであるからわかってはいるものの、思い切って接しないと、なかなかすぐには解体作業には移ることができない。ここいらもじっくり時間をかけて対するとしようか。

2月11日(水)

 今日は特別稽古を行う。といっても普段は、祝日は稽古休みなので、今日は珍しく稽古したというだけのことである。充実したよい日であった。

2月10日(火)

 明日が祝日でなんだかうれしい。
 今日から年度末大掃除を始めている。年度末といっても、実はここ数年はサボリ気味だったので、なかなかたくさんの紙やどこかのシンポジウムでもらったチラシやら広告などが、あちこちに散乱している。いるものといらぬものを仕分けする。捨てる。なかには、懐かしんでそのとき書いたノートなどがあって、しばらく見直す。いいことが書いてあるときは、ついうっかり時間をかけて見返してしまいそうになる。そして、(ああ、あのときはこんなふうに考えていたなあ)と、そのときそのときの自分の感触や感情や感覚を思い返す。懐かしくも、おもしろい感情に自らが読みふけってしまうこともある。
 そんなもんだから、あまり捗らない。

2月9日(月)

 久しぶりに杖の稽古に出かける。昼過ぎ、阪急電車が事故で遅れたそう。珍しいことだ。

2月8日(日)

 今日はわたしの誕生日である。誕生日なら誕生日らしく、うちでのんびりケーキでも食べながら、産んでくれた母に感謝し、育ててくれた両親に感謝し、親類縁者に感謝し、周囲のお世話になっている方や周りの方々に感謝し、こうやっていまを生きていることそのものに感謝すべき日である。だが、実際そうも行かず、今日はいちにち、下川先生のお宅で新年会の日であった(これもまた感謝すべき事柄であるが)。
「新年会」といっても、よくあるお正月にあるような、飲めや歌えの会とは程遠く、次の発表会つまり初夏にある舞台に向けての新年練習会の日なのである。本番の舞台さながらの番組を組んでいただき、社中のみなで謡、舞、地謡をし、準備、片付けまでする。普段のお稽古では、なかなかお会いすることの少ない方々の出番を拝見し、一緒に舞台に立たせていただくのだ。
 わたしは今回、朝から晩までまさにいちにちじゅう、まさに「出ずっぱり」であった。謡は朝一の『熊野』のツレに始まり、『隅田川』ワキツレ、『安宅』の子方と、少ないながらも細かく出続ける。自身の舞囃子は『高砂』。それも今日の番組全体のトリであった。夕方もどっぷりくれたころである。朝から晩まで走り回っているその間にも着替えて、舞台に見台を出したり、引いたり、毛氈を敷いたり、引いたり、ものを運んだり、片付けたり、若輩者はとにかくすることが多い。
仕舞そのものは短いのだが、舞囃子になると、長いのと、動きがややこしいのと、拍子が難しいのと、身体で拍子を覚えねばならぬのとで、なかなか舞い切ったあとの、「いい感じ」が出てこない。帰り道の内田先生との話しのなかでもあったが、なかなか拍子というものが難しいのである。
拍子は「のる」のではなく「はずす」のだ。しかもその拍子は、一定基準で「はずす」わけではないから、これがまた難しい。たとえば、「タンツータンタン」と拍子があるとすれば、その拍子に合わせて足を踏むというのではなく、その拍子に決まった速度で「はずす」わけでもない。「タンツータンタン」で、「はずす」ための、はずしかたは、感覚を身体で覚えるしか方法がない。身体に染み込ませる感じだ。文字表記にすることは、やってできないこともないだろうが、そうしてしまうと、平面的になり、途端に非常につまらないものになるのだそうだ。無味乾燥で、おそらく実際に動くより、ずっとつまらなく、おもしろくも、なんでもないものになってしまうのだろう。わたしは、まだまだその境地まで行っていないが、言わんとする意味は、わからないでもない。

 というわけで、初謡初舞で始まる誕生日。どっぷりつかれた。
空を見ると、日もどっぷり暮れて、ほぼ満月。今日はいちにち、こんなふうにすごしていたので、知らぬうちに、さまざまなひとから、メールやメッセージやプレゼントをいただいていた。ことしもまた、今日から、いい日になるなあと確信したのである。

2月7日(土)

 誕生日プレゼント第二弾として、カレンダーをいただく。先週に引き続いてのプレゼントだそうだ。先週とはまた違った構図のクォン・サンウカレンダーをもらう。さっそく部屋に飾ると、部屋はひときわ賑やかになった。こうしてカレンダーを飾れるなんて、ありがたいことだなあ。
ところで、こういうスターカレンダー?は観賞要素が強いのか、カレンダー本来の役割である日付が、あまり用途をなさないほど小さく印刷されている。そんなことにいまさらながら気づく。しかし、ありがたいことだ。どうもありがとうございます。

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