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冬の別れ

1月20日(火)

 今日で講義も打ち上げ。やんややんや。

 この一年間、何のご縁に導かれてか、一緒に講義を受けてきたひとたちと、駅で「さよなら~」と手を振る。これまで何度も経験してきたことなのに、そして、近々また会えるのに、今宵もまた、どこかさびしい気持ちになった。

1月19日(月)

 『20世紀少年』の映画化のため、あの太陽の塔が、今日だけ、「こんなこと」になっているらしい。ちょっと実感がこもりすぎて、こわ~い。


1月18日(日)
 
 今日は、東京バレエ団の<ベジャール・ガラ>モーリス・ベジャール追悼特別公演を観に、兵庫県立芸術文化センターに行く。
 演題は「ギリシャの踊り」「中国の不思議な役人」「ボレロ」の三つ。
「ボレロ」には、あのシルヴィ・ギエムが舞台に立つ。もう二度と彼女の踊りを観ることができないと見聞きしていただけに、こんな近くの会場で見られるのなら、行かない訳はない。というわけで即チケット入手。とはいえ、一番高価なA席なんて15000円もする。できるなら舞台は、前の方で大きく見たいほうだが、一事が万事そういうわけにもいかない(それにチケット予約の電話がつながった頃には、いい席は、ほとんど売り切れてもいた…)。
まあいい。このセンターの大ホールには、何度か出かけたことがあるので、客席と舞台との、だいたいの見当はつく。A席でも場所によっては、実はとても見にくいことがあるし、それはS席でも同じことが言える。また、どんな感じの人が前に座るのか、当日になってみるまでわからない。運悪く、背が高かったり、座高が高かったりするひとが前に座ると、まったくよく見えないのである。それは悲しい。ということで、一番安いE席を取る。

当日の「E席はいい席」のとおり!前には、誰も座るひとがおらず、見通しも、見晴らしはとてもよかった。またホール全体が小ぶり(だと思う)なので、舞台がわりに近いのもいい。地上四階建ての四階の高さから、舞台を見下ろす。ちょっと高いところは怖くもあったけれど、「あの動きを一度でいいから観てみたい!」という思いにはかえられなかった。

 最初に東京バレエ団のバレエが二つ。
 まだかまだかと待ちながら、東京バレエ団の踊りを拝見。席が席なので、舞台での展開をまさに真上から見ることができた。バレエ団の団員は、右に左にひとりで踊るというよりも、全体がほぼ同じに、そして、全体的に対照的に動いていた。ベジャールというひとの成せる技なのか、実に左右対照な構図を取っている。素人なので、それ以上はわからないが、どこかに安定を求めているのだろうか?とも思えた。

さて、シルヴィ・ギエムである。感想はすごかった。すごすぎた。に尽きる。
素人目に感じた、どうすごいのかをあげると、動き自体は、おそらくただ単純なものであるだろう。腕を上げたり伸ばしたり、膝を曲げたり伸ばしたり、少し飛んでみたり、手を大きく開いてみたり、リズムをとって足を曲げてみたり。もしかしたら、日常生活のなかでも、私たちが見たことのないような奇抜な動きは、なかったかもしれない。だが、その何でもない動きを、ただ何でもないように動かしている。いや、わざわざ動かそうとしているわけでもない。「動いている」という実体そのものがない感じだ。動き始めにも終わりにも「おこり」がない。かといって「居着き」もない。動き自体が「動き」として孤立しているのではなく、あまりに自然に、舞台や空間と見事なまでに溶け合っている。

 そこで何が起こっているのか、一瞬目を疑うほどにすごかった。この動きを強く目に焼き付けておこうと、更に前のめりになる。舞台へとかぶりつく。
ホールの舞台中央に置かれた、赤くて丸い舞台上でのしなやかさは、人間がつくったものによる、人間の何でもない動きによって見出された美しさであった。

 ああ、できるなら、全幕シルヴィ・ギエムの舞台を観てみたい。そんなことはあるだろうか?いや、強く念じればあるかもしれない。願ってみよう。

1月17日(土)

 地震が起きた日からことしで14年が経つ。

1月16日(金)

 今日は、『太王四神記-チュシンの星のもとに-』を観に、宝塚大劇場に行く。(http://kageki.hankyu.co.jp/revue/103/index.shtml)
 同じ合気会のヤマダさん(仮名ではない)がチケットを譲ってくださったからである(ありがとうございます)。それも二枚も譲ってくださったので、これまた合気会のヒロスエさんとお誘いしてみると、「行ってみたい」との旨。ということで、一緒に観劇させてもらう。

 この舞台は、ご存知ヨン様こと、ペ・ヨンジュン主演の韓国ドラマが原作だ。宝塚歌劇95周年記念の舞台らしく、韓国歴史ドラマを宝塚版にうつしたところが、妙味なのだろう。
これまでTVで少し見た程度で、原作のドラマはちゃんと最初から最後まで見ていない。よって、前もって、だいたいの流れと登場人物を抑えた程度で観劇したが、それでもわかる仕掛けになっていた。脚本家の力はすごい。そしてさらには、おもしろいと思えた。ああいうドラマは好きなのである。
これを機に、韓国ドラマのほうをちゃんと見たいと思う。物語のつくりとしては、おもしろそうだからだ。誰かDVDをお持ちじゃないかしら~?貸してください。それも字幕版で。

1月15日(木)旧正月

 ちょっとだけ正月気分から開放された感じ。

1月14日(水)

 今日の稽古は少数精鋭でしたが、愉快でした。さくさくこなす感じがまたいいですね。

1月13日(火)

 ぼんやりしてもいられないのだ。もう始まっているのだ。

1月12日(月・祝)

 吹きすさぶ風が冷たい。いや、冷たすぎる。年が明けてからというもの、身体に伝わる風の冷たさ、痛さが一気に変わったように感じる。急に冬を思わせる気候に、ダウンコートが手放せない。
 今日は、合気道の特別稽古に行く。今日が成人の日であることとは何の関係もない。
祝日なので場所が確保でき、それで稽古していただけたというわけである。
祝日とはいえ、通常の稽古とは時間も曜日も違うので、人数がだいぶ少なくてよかった。怪我もなく、たっぷりと身体を動かせた。柔道場の外は朝から5度くらいだっただろうから、稽古中も汗なんてかかないと思っていたが、たっぷりと汗をかいた。冬の汗は風邪もまた導く。危険だ。

1月11日(日)

 下川先生の舞台を拝見しに長田の上田能楽堂へ。
阪急電車からの接続が悪く、移動に思わぬ時間がかかってしまう。その間に外は白いものがちらつき、完全に冬。寒い。寒い。寒い。朝から、くしゃみがとまらないので、出かけるのが少々億劫ではあったが、仕舞を拝見してよかった(「通小町」)
見所も寒いので、風邪をひかないように、それだけを重視して静かに、お暇する。

1月10日(土)

 甲南合気会稽古始めと鏡開き。
昨年の12月20日の稽古納めから、三週間も日が経っているので、稽古開始前から、道場にはたくさんの方々が待っている。互いに「あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします」と新年の挨拶を交わし、ことしも無事に迎えられたことにまずは感謝。
 稽古が始まる。
身体の伸びは、まあまあというところ、か。
実際、お正月は、ほぼ食べて眠っての繰り返しだったので、あまり動いていない。以降もその間も、できるだけ動くようにはしているが、明らかに運動量が減っているだろう。多分に体重増加が想像される(恐ろしいので、年末から計っていない)。
 のびのび動いて、いつもよりたっぷりと呼吸してみる。

 稽古のあとは鏡開き。内田先生のご自宅に移動し、恒例のお神酒とおぜんざいをいただく。これをいただけなければ、結局新年が明けた気がしない。何はなくとも、この行事だけは参加し続けている。かれこれ何回目になるだろうか。これまた継続は力なり?か。

 ことしも健康に気をつけて、元気に稽古したい。目標を持って精進したいと思う。
本年もよろしくお願い申し上げます。


1月9日(金)

 そろそろ新年お正月ボケボケモードから開放されるべきだと思う。

1月8日(木)

 大学もまた稽古始め。講義始め。稽古始め尽くしである。

1月7日(水)

 本日は芦屋合気会稽古始め。
この日から、わたしの仕事始めが始まるというわけだ。ただ考えようによっては、新年明けて7日もたったころから始まるというのは、遅いといえば遅い。ゆったりしているといえばゆったりしている(実際に見えないところで始まってはいるが)ありがたいことに、この年末年始はとてもゆっくりすることができたので、このペースには感謝している。

 今日はまた稽古始めであると同時に、ひっさしぶりの稽古なのだが、さほど大きなブランクも変な感触もなく、のびのびと動けたことがよかった。もちろん、道場のみなさんと互いに、新年の挨拶が交わせたこともよかったことのひとつだ。

稽古後は会場を移して、開設以来三回目の鏡開き。移動した和室や利用した料理室のどこに何があって、どの場所に何を運ぶのか、場所に行ってみなければわからないし、想像もつかない(配置場所や物自体が増えたり、減ったりして、毎年どんどん変わっている)。
また、その日、誰が何を担当するのかも決まっていない。会場を設営するのか、湯を沸かすのか、包丁を取りに行くのか、鍵を開けるのか、団子をこねるのか。わかっているのは、そのとき、そのときのやってきたメンバーで、場所とかたちを作るということだけである。そもそも、その日の稽古にはどの会員が来られるのかわからない。だから、みなさまの担当も何も決めずに、一気におぜんざいを作成する。それでも、誰もがきちんと動いてくださる。それどころか、年に一度のこととはいえ、だんだんと段取りがよくなってきているからすごい。これまた稽古の賜物なのだろうと新春早々、自画自賛的なことを思う。ありがたいことに。

来春四月からは道場も四年目を迎える。
とはいえ、まだまだ月日の浅い道場である。人間で言えば、三歳くらい。ぼちぼちと、ゆっくりではあるが、なんとか自分自身で行きたい方向に、歩けるくらいの頃だろうか。幼稚園に入るくらいまでの年頃には、もう少し前に向かって歩けるように、自分で考えて、ものの名前がわかって、自分自身をなんとなくでも感じられるように、進んでいきたいと思う。
本年もよろしくお願い申し上げます。

 そして本日、稽古始めをもうひとつ。仕舞と謡の稽古である。
 鏡開きのあと、てくてくと下川先生のところまで歩く。
久しぶりだったが、この日ばかりは新年なので稽古に行っておきたいと思い、稽古に向かった。合気道のあとゆえ、いろいろなことがらが連続すると想像できたが(おぜんざいをいただくなど)が、それを考慮しても今日を「稽古始め」としたかったのは、できるだけ正月のうちに、それも松の内に出かけたかったという、ただそれだけの思いである。

 新年早々に舞、謡う。
どちらかというと、わたしは仕舞いが苦手だ。でも、ことしは、それも避けることなく、一生懸命に、場所を覚え、かたちを習得し、動きに馴染みがでるようにしてきたい。腹から声を出し、発声する。澄み切った気分になる。ことしもがんばろうと思う。
 本年もよろしくお願い申し上げます。

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2009年1月22日 10:32に投稿されたエントリーのページです。

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