10月13日(月)
世間は連休最終日の体育の日らしいですが、本学は開講日です。
講義をしました。あー、身体の調子がいいので、何をやってもいい感じに運びます。
時差ぼけのない海外旅行に行ってきた、そんな感じもします。
10月12日(日)
道主の講習会。そして最後の講習会。国際合気道大会の〆である。
今日はまた一段と日本人参加者が増え、稽古の人数は1000名を越したそうだ。
自由が丘ご一行は東京に戻られ、月窓寺の一部の方は、アドチャーワールドに出かけられたそうだ(坪井先生談)。
柔らかいひとたちと、柔らかい畳で、初めての道主の講習を受ける。
あっという間に二時間が過ぎる。
数日間のうちに出会った人々に挨拶して、また会えることを祈って、みかんを買う。さよならパーティには出ないので、ここでお別れ。
道衣のまま、車に乗せていただき、田辺の「弁慶の湯」(入湯料700円←事前によい情報をありがとうございました!)に向かう。そこで昼ごはんを食べ、車中、笑い転げながら、内田先生車で芦屋まで送っていただく。ありがとうございます。
このたびで出会えた奇跡と軌跡に感謝。深謝。
合気道をやっていてほんとによかったなあと思います。
ビバ!田辺。ビバ!合気道。
10月11日(土)
「明日は雨が予想されています。演武会は雨天決行です。演武会場のみ屋根があり、ほかは屋根がありません。足元も充分気をつけてお越しください」というアナウンスが、何度も昨日の講習会での注意事項のひとつに挙げられていた。よりによって、神事や演武会の際に雨が降るとは…困ったものだと思った。しかし、おそらく、それは、講習会に来ていた誰しもにとっての災難であり、最悪でもあったのだろう。なかには、「明日だけはせめて晴れてくれ」と祈った人もいたかもしれない。それでかどうか、当日は晴れ!見事な快晴であった。天気予報が外れたわけである。
今日は、講習はなく、熊野大社本宮で演武会が開催される。それを拝見しに行くのである。昨日のうちに、白浜の宿に移動し、朝から借りてきたレンタカーに五人で乗り込む。
移動時間を長めに算段しても、午後からの開始時間にいくらか余裕があるので、白浜のビーチに向かい、脚をつけ、ぴちゃぴちゃと騒ぐ。近くの足湯で暖めてから、熊野古道へと入っていく。
古道には、どこにも休憩所らしき場所がない。観光化されているのは、きれいに舗装された道路くらいで、山そのものを見たり、景色を見たり、いいにおいをかいだりすることができる。山は深く、天気もよく、車も快調、すいすいと滑るように進んでいく。清水が湧き出ているので、そこで身を清め、いくらかの水を水筒に分けていただいた。
昼過ぎに熊野本宮に到着。
お参りしたいという声もあったが、おなかが空いたので、独断で目の前に見えた、そば屋に入ることに決定。
入るとそこには、なんと多田先生が座っておられた!(ヤマカワさんとヒラヤマさんもおられた)。がらりと開けたドアのうどん屋におられたことに驚きもそこそこ、あまりに自然に先生にお話してしまった。
「いい道ですねえ。空気もいいですし」
「走りやすくていいねえ。いつから来たの?今日来たの?」
「月曜からです。ほかのひとたちは昨日からです」
「どこに泊まってたの?」などなどお話をさせていただく。
なんとなく、先生の注文されたいてのと同じものを頼んでしまう。おお、みーはー。
先に店を出られる先生方にご挨拶し、食事を続ける。
食後は、熊野本宮大社を参拝。ここでもいろんな発見、ご縁、ニュースがあった。すばらしい、守られているなあと手を合わせる。合掌。
演武会場である大斎原に移動。ここは、旧熊野本宮大社跡地であるそうだ。
神事を拝見し、演武を拝見する。三時間ほどたっぷりと。世界中からの合気道家の演武をとてもよい場所から見ることができた。とりのひとつ手前の多田先生の演武はまた、いちだんと輝かしかった。設営された演武会場のスポットライトのせいもあるだろうが、四隅に据えられた松明が、一段とその場を美しく見させてくださった。
演武会終了後、歩いていると、ふいに出会ったイリエさん(多田先生の演武の受けを取られている方)が、たくさんの直会のチケットをくださった。なんてやさしい方だろう。
頂き物を粗末にせず、有効に使わせていただく。食べる時間はないので持って帰る。
どっぷりを暮れた熊野古道を法定速度できちんと走る。賑やかな集団がムード盛り上げたいになって、うしろからいろんな声を発している。
白浜の宿に着くと、ほぼ同時くらいに、内田先生が到着された。
ああ、内田先生!ありがとうございます。涙。
10月10日(金)
田辺に来て以来、傘をさす必要がまったくない。お天気続きの日々である。
午前の2コマを終え、宿に戻り、昼食をとり、少々のパッキングをする。
またバスに乗って午後の講習へと向かう。
現地に着き、道場に入るなり、窪田先生、菅原先生のお顔が見えた。
お会いするや否や、「ああ、日本語が話せます!」と、おそらく普段よりも親しげに擦り寄っていってしまったくらいである。
「今日は多田先生だから多いらしいよ」とは菅原先生談。そのお言葉どおり、自由が丘、月窓寺、気錬会、甲南などなど、多くの日本人が会場に駆けつけていた。
ああ、同門だあ!
これは、これでいい。プチ多田塾合宿みたいだったからだ。
講習に出ている数日間のうちに、なぜ、あるいは、外国の方々が、同じく国の方同士で最初は組んでいるのか、気になっていた。だが、今日という日を迎えてみたことで、こういうことかもしれないと思った。
日本は合気道が生まれた国であり、場所であるとはなんとなく知っていても、その見ず知らずの国にやって来たところで、彼ら/彼女らの、合気道の稽古暦がいくら長くとも、どんなに合気道がうまくとも、最初から何も知らない相手と組むのは難しい。最初は自国の者同士で組み、次第にほかの道場の方を組むようにばらけていくようになるのかもしれないなあと思った。日本の、同じ同門の方の顔が見えたとき、少しだけ、そんなふうに感じたからだ。かといって、選んでいる、選ばれている暇もないくらいに人が多いので、あぶれることなど、そちらのほうが難しい!のだが。
とにかく多田先生の講習会はたいへんよかった。盛況でもあった。
講習会の後は、バスに乗り込み、甲南の宿泊組数人も巻き込み、陸の孤島宿でバーベキューパーティに参加。最初から参加していたわたしにとっては、この宿での最後の夜である。
10月9日(木)
午前のひとコマめは、本部道場の横田師範の講習だった。以前、姫路で一度だけ講習を受けたことがある。知っているお顔を拝見するようで気分がよい。
とはいうものの、同じ道場に毎日通っていると、だんだんと顔見知りになってくる。
インドネシア、マレーシア、シンガポール、フィリッピン、ブリガリア、ニュージーランド、イングランド、ドイツ、オーストラリア、ベルギー…。ほかにもたくさんいるだろう。こんなことでもなければ、わたしは一生涯、ブリガリア人に会うチャンスなどなかったかもしれないと思う。琴欧州の観戦にでも行けば別だが、個人的に話ができるとは限らないわけだし(もちろん、講習に来ていた彼らにも、「琴欧州ネタ」はずいぶんと受けた)。
午後の講習を受け終わると、明日の今頃は多田先生の講習会があるし、神戸からみんながやってくるし、ずいぶんと賑やかになるだろうなあと、ここまでの時間を無事に過ごせたことを、少し感慨深く振り返る。
宿にみんなにも馴染んできて、食事のときもおもしろかったし、そのあとも一緒に飲んでみようという気になった。おもしろかった。いい出会いができたと思う。
共通しているのは、みんな「合気道」ということだ。
10月8日(水)
朝食を終えると、9時半からの講習に間に合わせるため、送迎バスへと向かう。
大型バスは8時50分出発。宿は、なぜか島の中にあるので、50人乗りの大型バスは、宿の前まで入り込めない。だから、毎回の稽古の度に、宿から桟橋を渡り、青い空を見上げながら歩いてバスの前まで行かなければならない。早く歩いても、15分くらいはかかる距離だ。景色はよく、空気もいいのだが、毎回この距離を歩いて往復するとなると、すこし気分が滅入る。
身体がだんだんとよくなっては来るものの、最初はこの距離を毎回移動することと、風邪をひいていたのとで、水曜あたりは終日休もうかと思っていた。だが、同室のやさしい日本人二名に励まされ、ゆるゆると講習に向かう。
午前の講習を終えて、宿に戻ると、日本から荷物が届いていた。
ちょうど甘いもの、とくに、「あんこ」が食べたかったので、どんぴしゃな贈り物だった。気の感応だろうか?
ここで「日本から」と言うのも変な話だ。
ここは田辺市のはずなのだが、陸の孤島であり、市街地も遠く、宿と体育館の往復以外、何処にも出たことがない。加えて毎日顔を会わせるのは外国人ばかりで、まるでどこか海外に来ている錯覚に陥るくらいである。テレビも見なければ、新聞も読まないので、いま世間で何が起こっているのかてんでよく知らない。戻ったら、驚くようなニュースがあるだろうか?ノーベル賞は誰が受賞したのだろう。
午後の二時間の稽古のあと、届いたチョコレートを同じバスに乗った人びとに配る。
ちょっとした甘いものがうれしく思えるのは、どの国でも同じことらしい。
午後の稽古を終えるとあたりはすっかり日も落ちて真っ暗である。
大型バスを降りると、一台の車が親しげにわれわれを待ってくれていた。宿からの送迎バスが迎えてきてくださっていたのだ。なんでもメキシカンが観光に行ったので(今日は京都らしい)、稽古に行った全員を一台の車に乗っけても大丈夫な人数になったからというのが、理由だそうだ。宿の側としても、あのひとを乗せて、このひとは乗せないというようなことはしてはならない、というのが理由だったみたいだ。
ビバ!メキシカン。
あなた方の観光好きが多くのひとの喜びをもたらせてくれたのである。
宿まで車に揺られながら、わいわいと騒ぐ。
宿に戻り、お風呂に入ったあと、届いたお菓子を食べながら、同室のブルネイ人と話す(マレーシア語はわからないので、使うのは共通語である英語だ)。
夜には近くのスポーツセンターで開催されるレクチャーがあるので、それに行く。われわれが泊まる宿からはたった5人しか行かなかった。日本人3名、ブルネイ人2名。あとは観光に行きまだ戻っていないのと、眠りにつき、休養をとり、洗濯をする、ビールを飲むなどしていたらしい。
もちろん会場には、100名ほどの参加者がいたけれど。
さっき田辺に到着したばかりのジョヴァンニさんの顔が見えた。多田塾合宿で会うのがほとんどのイタリアの方だが、すごく前からの知り合いに思えるくらい、なんであろうか、日本語に飢えていることがわかる。
10月7日(火)
朝食は朝7時。
館内放送によって、食事時間を知らされる仕組みになっているらしい。
昨晩、同じ宿舎に30名ほどのメキシカンが滞在しているのはわかったが、彼らは稽古もそこそこ、今日は観光に行ってしまった。ほかには南アフリカ、ニュージーランド、ブルネイ、タイ、ロシア、マレーシア、グァム、ブラジルからの参加者が、同宿している。彼らはちゃんと稽古に向かっている。
朝に一時間ずつの講習が2コマ、昼食に宿に戻り、午後に2時間ほどの講習が1コマ。
なかかなに混雑している。込み合った道場で受けを取ることは難しく、無理せず、緩やかに技を行うことになる。誰もがやさしい。
今日も早めに就寝。身体がだんだんと快方に向かっているのがわかる。
10月6日(月)
午前、大阪からバスに乗り田辺に行く。
第10回国際合気道大会が一週間、和歌山県田辺市にて開催されるためだ。
大荷物を抱え、道衣を持って、出かける。昨日までの体調は相変わらず芳しくない。処方された薬も忘れずに持っていく。
予測した移動もスムーズにでき、昼過ぎ、早くも会場に着き、ぼんやりと景色を見上げる。空が青い。
少しだけ会場付近を探索し、着替えを済ませると、わらわらとバスに乗った一群がやってきた。世界各国(のちに49か国と知らされる)から、合気道の名のもとに、田辺に集まってくる。
この日だけでも参加者300名近くいただろうか。
日本人の参加者がとても珍しく、同行したカナチャン、ナガヤマさん以外には日本語を話す相手がいない。母国語を英語としない国の人びとも多く来られている。それでも共通語は英語ということになるのだろう。
緊張しながらも外国の方々に接する。一様に、みなとても身体が柔らかい。恐ろしいくらいに柔らかく、そして親切なのだ。
セミナーをふたつ受けて、宿泊先に移動。大型バスに揺られ、さらに先の陸の孤島へと移動する。
夕食は、うどん、お好み焼き、おにぎりといった「超日本食」。あるいは、デンプンONデンプンともいう。
宿の外で食事をするなかで、メキシカンがたっぷりとその宿に滞在していることを知らされる。その日、昼間に獅子舞がやってきたことがニュースにもなったらしいが、よく知らない。
身体が万全でないため、社交もそこそこ、早めに就寝。
10月5日(日)
風邪がまだ治らない。来週から田辺で研修だというのに、大丈夫だろうか。できるだけ用心して動くことにする。
10月4日(土)
ぼろぼろの状態で稽古指導。
風邪をひいているので、まともな声が出ない。美声なんてもちろんでない。
10月3日(金)
完全に風邪。薬を飲む日々。喉が痛い。