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2008年10月 アーカイブ

2008年10月 3日

風と風邪

10月2日(木)

 今学期は、高橋佳三さんも科目を担当されるというので、アシスタント代わりに朝一から出かける。うちから大学がやたらと近いのでいいけれど。
喉はやはり相変わらず痛い。午後はついに風邪でダウン。

10月1日(水)

 本当なら休講にしたかったがそれも叶わず、道場の日。何とか乗り切る。深い眠りにつく。


9月30日(火)

 ますます喉の調子が悪い。昨日は早く休んだものの、微熱が出てきた。

9月29日(月)

 雨が降る。急な寒さのなかなれど、後期開始の鐘がなる。
 というわけで、後期の講義が始まった。よれよれになりながら、いささか心もとない喉を掲げながらの第一回目の講義。
 思ったよりも反応のいい学生ばかりだったので、安心した。がんばろう。

9月28日(日)

 東京へと向かう。朝日の浜離宮小ホールにて、ラジオデイズ一周年記念特別対談三連発「本日、戦後表現者論でご機嫌を伺います。」を拝聴するためだ。
 ツアコンはいつもの東京はたやん、同行はいつもの大阪ひろやん。
 第一部は、戦後落語家論(三遊亭円丈VS本田久作)。拝聴したはずだが、ほとんど記憶の彼方へ。
第二部は、戦後詩人論(高橋源一郎VS小池昌代)。拝聴したはずだが、詩にはラップのリズムが合うというのがかなり印象深くて、いきなりラップで歌いこんでしまう源ちゃんのリズム感のよさに感激した。
第三部は、戦後マンガ家論(養老孟司VS内田樹)。実は、これを拝聴しに来たのである。このために来たと言っても過言ではない。おもしろかった!

9月27日(土)

 きょうの稽古は身体が柔らかく動いてとてもやりやすかった。やっぱり合宿直後の道場はいいなあ。


9月26日(金)

 休みの日は、朝からゆったりできるはずだが、思いのほか朝早くから、黒い猫の車が、お届けものを持って来てくれることがある。午前中の便は「午前中」つまり「午前9時から12時」の3時間のうちにやってくると決まっているようだが、自宅から、集配所が近いのか、その時間のうちに来たためしがない。どいうことかといえば、必ず9時以前にやって来るのである。それも5分くらい早いのならまだしも、8時過ぎにやってくる勢いなのだ。せっかく遅寝ができそうな休みの日には早すぎる。そうでなくても、朝のばたばたした時間のなかに、これは結構面倒くさい。休みの日は、そのお届け物を知らせる音でいきなり起こされ、ゆっくり寝ていることもできない。あるいは逆に届く荷物が、午後の便の最終の便に指定されてきた場合、到着指定時間は「午後7時から9時」くらいになるのだったと思うが、そのときは最終の9時ぎりぎりにたいていのものが着く。どうも話が極端なのだ。


9月25日(木)

 墓参りには行かなかったが、それなりの供養をして過ごす命日。饅頭を食べておく。合掌。


9月24日(水)

 おめざの「あんこ」が必要なこのごろ。ビバ「あんこ」!ビバ「糖分」!なのです!

9月23日(火)

 ふと食べたくなったので、ハンバーグを作る。はじめにタマネギをみじん切り。次に飴色になるまでよく炒める。合挽きミンチを手でこねる。飴色になったタマネギ、調味料を加えてまたこねる。おいしくなるように、よーくこねこねこねこね…。
 熱したフライパンにバターを敷いて、焼く。ソースは甘めに炊き込む。チーズがあったのでのっけてみる。うまそうにできた。
 その間に、裏ごししておいたかぼちゃのスープを煮立たせておく。牛乳をつかって、シンプルな味付けにする。
スープとハンバーグでいただきます。自分で言うのもなんだが、うまい。二個も食べてしまった。よしっ、またつくろう。


9月22日(月)

 合宿から戻ったが、筋肉痛がまったくない。足にすこし擦り傷があったり、そういった類のものがひじにあったりもするが、身体全体の腫れやら痛みやら痣などは、ない。合宿には、ほぼいつも自ら湿布やバンドエイドを大量に持っていっているが、今回は、まったく使うことなく帰ってきた。合宿中、それがカバンの何処に入っているのか、忘れているくらいに必要なかった。ありがたいことだ。


9月19日(金)~21日(日)

 西日本に台風直撃が予測された合宿。二泊三日の初日は、前日の夜になって、台風の進行方向が南に逸れたのが幸いし、申し訳なさそうな曇り空が広がる。二日目は、たいそういいお天気。暑い。残暑であった。三日目は曇りつつ雨が降り、帰りは曇り空を維持したまま、家に着くとどしゃぶりの雨。いつもの手順からすれば、天気の順序が狂った展開である。

 バスに乗り、ときわ野の宿を占拠し、畳を敷いて、稽古して、稽古のたびに風呂に入り、不思議な組み合わせで食事の席につき、まことに味の的が絞りにくい味の昼ごはんを一度は食べ、BBQを完食し、大いに笑って、飲んで、転がって、眠って、花火をして…。盛りだくさんの人数に、盛りだくさんのイベント続きで、ほんとうに楽しい合宿であった。すこしくらいの雨なんて、気にならない。道衣を三着持って出かけた甲斐もあったものだ。
 次回もまたこんな感じの合宿がいいな。

2008年10月14日

ビバ!田辺

10月13日(月)

 世間は連休最終日の体育の日らしいですが、本学は開講日です。
 講義をしました。あー、身体の調子がいいので、何をやってもいい感じに運びます。
 時差ぼけのない海外旅行に行ってきた、そんな感じもします。


10月12日(日)

 道主の講習会。そして最後の講習会。国際合気道大会の〆である。
今日はまた一段と日本人参加者が増え、稽古の人数は1000名を越したそうだ。
自由が丘ご一行は東京に戻られ、月窓寺の一部の方は、アドチャーワールドに出かけられたそうだ(坪井先生談)。
柔らかいひとたちと、柔らかい畳で、初めての道主の講習を受ける。
あっという間に二時間が過ぎる。
数日間のうちに出会った人々に挨拶して、また会えることを祈って、みかんを買う。さよならパーティには出ないので、ここでお別れ。
道衣のまま、車に乗せていただき、田辺の「弁慶の湯」(入湯料700円←事前によい情報をありがとうございました!)に向かう。そこで昼ごはんを食べ、車中、笑い転げながら、内田先生車で芦屋まで送っていただく。ありがとうございます。

このたびで出会えた奇跡と軌跡に感謝。深謝。
合気道をやっていてほんとによかったなあと思います。
ビバ!田辺。ビバ!合気道。

10月11日(土)

 「明日は雨が予想されています。演武会は雨天決行です。演武会場のみ屋根があり、ほかは屋根がありません。足元も充分気をつけてお越しください」というアナウンスが、何度も昨日の講習会での注意事項のひとつに挙げられていた。よりによって、神事や演武会の際に雨が降るとは…困ったものだと思った。しかし、おそらく、それは、講習会に来ていた誰しもにとっての災難であり、最悪でもあったのだろう。なかには、「明日だけはせめて晴れてくれ」と祈った人もいたかもしれない。それでかどうか、当日は晴れ!見事な快晴であった。天気予報が外れたわけである。

 今日は、講習はなく、熊野大社本宮で演武会が開催される。それを拝見しに行くのである。昨日のうちに、白浜の宿に移動し、朝から借りてきたレンタカーに五人で乗り込む。
移動時間を長めに算段しても、午後からの開始時間にいくらか余裕があるので、白浜のビーチに向かい、脚をつけ、ぴちゃぴちゃと騒ぐ。近くの足湯で暖めてから、熊野古道へと入っていく。

古道には、どこにも休憩所らしき場所がない。観光化されているのは、きれいに舗装された道路くらいで、山そのものを見たり、景色を見たり、いいにおいをかいだりすることができる。山は深く、天気もよく、車も快調、すいすいと滑るように進んでいく。清水が湧き出ているので、そこで身を清め、いくらかの水を水筒に分けていただいた。

 昼過ぎに熊野本宮に到着。
 お参りしたいという声もあったが、おなかが空いたので、独断で目の前に見えた、そば屋に入ることに決定。
 入るとそこには、なんと多田先生が座っておられた!(ヤマカワさんとヒラヤマさんもおられた)。がらりと開けたドアのうどん屋におられたことに驚きもそこそこ、あまりに自然に先生にお話してしまった。
「いい道ですねえ。空気もいいですし」
「走りやすくていいねえ。いつから来たの?今日来たの?」
「月曜からです。ほかのひとたちは昨日からです」
「どこに泊まってたの?」などなどお話をさせていただく。
 なんとなく、先生の注文されたいてのと同じものを頼んでしまう。おお、みーはー。
 先に店を出られる先生方にご挨拶し、食事を続ける。

 食後は、熊野本宮大社を参拝。ここでもいろんな発見、ご縁、ニュースがあった。すばらしい、守られているなあと手を合わせる。合掌。

 演武会場である大斎原に移動。ここは、旧熊野本宮大社跡地であるそうだ。
 神事を拝見し、演武を拝見する。三時間ほどたっぷりと。世界中からの合気道家の演武をとてもよい場所から見ることができた。とりのひとつ手前の多田先生の演武はまた、いちだんと輝かしかった。設営された演武会場のスポットライトのせいもあるだろうが、四隅に据えられた松明が、一段とその場を美しく見させてくださった。

演武会終了後、歩いていると、ふいに出会ったイリエさん(多田先生の演武の受けを取られている方)が、たくさんの直会のチケットをくださった。なんてやさしい方だろう。
 頂き物を粗末にせず、有効に使わせていただく。食べる時間はないので持って帰る。
 どっぷりを暮れた熊野古道を法定速度できちんと走る。賑やかな集団がムード盛り上げたいになって、うしろからいろんな声を発している。
 白浜の宿に着くと、ほぼ同時くらいに、内田先生が到着された。
ああ、内田先生!ありがとうございます。涙。

10月10日(金)

 田辺に来て以来、傘をさす必要がまったくない。お天気続きの日々である。
 午前の2コマを終え、宿に戻り、昼食をとり、少々のパッキングをする。
またバスに乗って午後の講習へと向かう。
現地に着き、道場に入るなり、窪田先生、菅原先生のお顔が見えた。
お会いするや否や、「ああ、日本語が話せます!」と、おそらく普段よりも親しげに擦り寄っていってしまったくらいである。
「今日は多田先生だから多いらしいよ」とは菅原先生談。そのお言葉どおり、自由が丘、月窓寺、気錬会、甲南などなど、多くの日本人が会場に駆けつけていた。
ああ、同門だあ!
これは、これでいい。プチ多田塾合宿みたいだったからだ。

講習に出ている数日間のうちに、なぜ、あるいは、外国の方々が、同じく国の方同士で最初は組んでいるのか、気になっていた。だが、今日という日を迎えてみたことで、こういうことかもしれないと思った。
日本は合気道が生まれた国であり、場所であるとはなんとなく知っていても、その見ず知らずの国にやって来たところで、彼ら/彼女らの、合気道の稽古暦がいくら長くとも、どんなに合気道がうまくとも、最初から何も知らない相手と組むのは難しい。最初は自国の者同士で組み、次第にほかの道場の方を組むようにばらけていくようになるのかもしれないなあと思った。日本の、同じ同門の方の顔が見えたとき、少しだけ、そんなふうに感じたからだ。かといって、選んでいる、選ばれている暇もないくらいに人が多いので、あぶれることなど、そちらのほうが難しい!のだが。

とにかく多田先生の講習会はたいへんよかった。盛況でもあった。
 講習会の後は、バスに乗り込み、甲南の宿泊組数人も巻き込み、陸の孤島宿でバーベキューパーティに参加。最初から参加していたわたしにとっては、この宿での最後の夜である。

10月9日(木)

 午前のひとコマめは、本部道場の横田師範の講習だった。以前、姫路で一度だけ講習を受けたことがある。知っているお顔を拝見するようで気分がよい。

 とはいうものの、同じ道場に毎日通っていると、だんだんと顔見知りになってくる。
インドネシア、マレーシア、シンガポール、フィリッピン、ブリガリア、ニュージーランド、イングランド、ドイツ、オーストラリア、ベルギー…。ほかにもたくさんいるだろう。こんなことでもなければ、わたしは一生涯、ブリガリア人に会うチャンスなどなかったかもしれないと思う。琴欧州の観戦にでも行けば別だが、個人的に話ができるとは限らないわけだし(もちろん、講習に来ていた彼らにも、「琴欧州ネタ」はずいぶんと受けた)。

 午後の講習を受け終わると、明日の今頃は多田先生の講習会があるし、神戸からみんながやってくるし、ずいぶんと賑やかになるだろうなあと、ここまでの時間を無事に過ごせたことを、少し感慨深く振り返る。

 宿にみんなにも馴染んできて、食事のときもおもしろかったし、そのあとも一緒に飲んでみようという気になった。おもしろかった。いい出会いができたと思う。
共通しているのは、みんな「合気道」ということだ。

10月8日(水)

 朝食を終えると、9時半からの講習に間に合わせるため、送迎バスへと向かう。
大型バスは8時50分出発。宿は、なぜか島の中にあるので、50人乗りの大型バスは、宿の前まで入り込めない。だから、毎回の稽古の度に、宿から桟橋を渡り、青い空を見上げながら歩いてバスの前まで行かなければならない。早く歩いても、15分くらいはかかる距離だ。景色はよく、空気もいいのだが、毎回この距離を歩いて往復するとなると、すこし気分が滅入る。
身体がだんだんとよくなっては来るものの、最初はこの距離を毎回移動することと、風邪をひいていたのとで、水曜あたりは終日休もうかと思っていた。だが、同室のやさしい日本人二名に励まされ、ゆるゆると講習に向かう。

午前の講習を終えて、宿に戻ると、日本から荷物が届いていた。
ちょうど甘いもの、とくに、「あんこ」が食べたかったので、どんぴしゃな贈り物だった。気の感応だろうか?
ここで「日本から」と言うのも変な話だ。
ここは田辺市のはずなのだが、陸の孤島であり、市街地も遠く、宿と体育館の往復以外、何処にも出たことがない。加えて毎日顔を会わせるのは外国人ばかりで、まるでどこか海外に来ている錯覚に陥るくらいである。テレビも見なければ、新聞も読まないので、いま世間で何が起こっているのかてんでよく知らない。戻ったら、驚くようなニュースがあるだろうか?ノーベル賞は誰が受賞したのだろう。

午後の二時間の稽古のあと、届いたチョコレートを同じバスに乗った人びとに配る。
ちょっとした甘いものがうれしく思えるのは、どの国でも同じことらしい。

午後の稽古を終えるとあたりはすっかり日も落ちて真っ暗である。
大型バスを降りると、一台の車が親しげにわれわれを待ってくれていた。宿からの送迎バスが迎えてきてくださっていたのだ。なんでもメキシカンが観光に行ったので(今日は京都らしい)、稽古に行った全員を一台の車に乗っけても大丈夫な人数になったからというのが、理由だそうだ。宿の側としても、あのひとを乗せて、このひとは乗せないというようなことはしてはならない、というのが理由だったみたいだ。
ビバ!メキシカン。
あなた方の観光好きが多くのひとの喜びをもたらせてくれたのである。
宿まで車に揺られながら、わいわいと騒ぐ。
 
宿に戻り、お風呂に入ったあと、届いたお菓子を食べながら、同室のブルネイ人と話す(マレーシア語はわからないので、使うのは共通語である英語だ)。
夜には近くのスポーツセンターで開催されるレクチャーがあるので、それに行く。われわれが泊まる宿からはたった5人しか行かなかった。日本人3名、ブルネイ人2名。あとは観光に行きまだ戻っていないのと、眠りにつき、休養をとり、洗濯をする、ビールを飲むなどしていたらしい。
もちろん会場には、100名ほどの参加者がいたけれど。
さっき田辺に到着したばかりのジョヴァンニさんの顔が見えた。多田塾合宿で会うのがほとんどのイタリアの方だが、すごく前からの知り合いに思えるくらい、なんであろうか、日本語に飢えていることがわかる。

10月7日(火)

 朝食は朝7時。
館内放送によって、食事時間を知らされる仕組みになっているらしい。
 昨晩、同じ宿舎に30名ほどのメキシカンが滞在しているのはわかったが、彼らは稽古もそこそこ、今日は観光に行ってしまった。ほかには南アフリカ、ニュージーランド、ブルネイ、タイ、ロシア、マレーシア、グァム、ブラジルからの参加者が、同宿している。彼らはちゃんと稽古に向かっている。
 
朝に一時間ずつの講習が2コマ、昼食に宿に戻り、午後に2時間ほどの講習が1コマ。
なかかなに混雑している。込み合った道場で受けを取ることは難しく、無理せず、緩やかに技を行うことになる。誰もがやさしい。

今日も早めに就寝。身体がだんだんと快方に向かっているのがわかる。

10月6日(月)

 午前、大阪からバスに乗り田辺に行く。
 第10回国際合気道大会が一週間、和歌山県田辺市にて開催されるためだ。
大荷物を抱え、道衣を持って、出かける。昨日までの体調は相変わらず芳しくない。処方された薬も忘れずに持っていく。
 予測した移動もスムーズにでき、昼過ぎ、早くも会場に着き、ぼんやりと景色を見上げる。空が青い。
 少しだけ会場付近を探索し、着替えを済ませると、わらわらとバスに乗った一群がやってきた。世界各国(のちに49か国と知らされる)から、合気道の名のもとに、田辺に集まってくる。
 この日だけでも参加者300名近くいただろうか。
日本人の参加者がとても珍しく、同行したカナチャン、ナガヤマさん以外には日本語を話す相手がいない。母国語を英語としない国の人びとも多く来られている。それでも共通語は英語ということになるのだろう。
 緊張しながらも外国の方々に接する。一様に、みなとても身体が柔らかい。恐ろしいくらいに柔らかく、そして親切なのだ。

セミナーをふたつ受けて、宿泊先に移動。大型バスに揺られ、さらに先の陸の孤島へと移動する。
 夕食は、うどん、お好み焼き、おにぎりといった「超日本食」。あるいは、デンプンONデンプンともいう。
宿の外で食事をするなかで、メキシカンがたっぷりとその宿に滞在していることを知らされる。その日、昼間に獅子舞がやってきたことがニュースにもなったらしいが、よく知らない。
 身体が万全でないため、社交もそこそこ、早めに就寝。


10月5日(日)

 風邪がまだ治らない。来週から田辺で研修だというのに、大丈夫だろうか。できるだけ用心して動くことにする。

10月4日(土)

 ぼろぼろの状態で稽古指導。
風邪をひいているので、まともな声が出ない。美声なんてもちろんでない。

10月3日(金)

 完全に風邪。薬を飲む日々。喉が痛い。

2008年10月24日

祭りのあとにまた祭

10月23日(木)

 肩甲骨の不思議を感じて、いつもの山を下山。
ふたたび登り、あれこれと仕事をこなして、学祭準備のため、畳を搬入する。気になるお天気も昼には上がり、なんとか、畳に雨がかかることは避けたれた。
帰りにはまた雨が降る。明日から本番。
気になる雨は、そのままに、ちょっと静かな祭りの前。

10月22日(水)

 ゑぴす屋ぷれぜんつ『レッドクリフ』を観賞させていただく。
 久々のトニー・レオンとカネシロタケシの共演とありゃあ外せません。映画館に見に行くつもりにしていたものが、試写会にお邪魔させていただくと、さらにうれしいものですね。あー、おもしろかった。やったね!続きが楽しみ。
 そうそう、この映画は映画館で見ないと迫力が半減します。

10月21日(火)

 やっぱりマンガはおもしろい!続きはいずれ。

10月20日(月)

 今期から新しく使用できることになった体育館は、無駄が省かれて、やたらと広い。新しいので、当然ながら、まだどこもかしこもきれいであるし、そこのところはいいのだが、新しいがゆえの難点もまたつきものである。列挙すればこんな感じだ。

・ 二階は、窓のみの構造になっていて、その窓が自動なので、一部分だけの開閉が難しい。
・ もしかしたら一部のみの開閉もできるのかもしれないが、見た目には無理であり、特に説明を施されたわけでもない。
・ 窓には、網戸が整備されていないので、もう10月だというのに、体育館のなかに蚊がぶんぶん飛びまくる。
・ 蚊がやってくるので、時間もところもかまわず、かまれる。
・ 体育館は、広くて天井も高いのだが、そのためか音が割れる。
・ おそらく建物の材質のためか?音の響きがとても悪い。音が拡散する。きっと「応援する」ときなどは、予想以上に反響するため、少ない人数にたくさんの応援をしているかのように感じられるのだろう。
・ 大声を出せば共鳴して、声がそこらじゅうに拡散する。
・ 発声法を変えてみるが、一定の音量を保てない授業は、たいそうしづらい。
・ かといって小声で話せば、それが響くという造りでもない。
・ 帯に短し襷に流し、か?

いったいぜんたい誰が設計したのだろうか?
 大きければいいというものでもない。


10月19日(日)

 久しぶりの休みなのはいいが、また熱ができてきた。微熱が一番辛い。
 休みは休みらしくだらだらしたいのに。それは自発的にするからこそいいのであって、必要に迫られて、横になるというのは、自発的な行動からは程遠い。


10月18日(土)

 身体が柔らかいんです(個人比)。田辺効果は、まだまだ有効のようです。

10月17日(金)

 雑用、所要等をこなす。夕刻、近所の山を登る。

10月16日(木)

 昨日立ち寄った実家に一泊し、今日は西宮に戻る。
 偶然時間が空いた母が、果ては視察か探検か、いっしょに着いてきた。
 昼ごろ、駅前の蕎麦屋『夢打庵』で、蕎麦をすする。「厄神蕎麦」を注文する。ほんとうに美味なり。「鴨南蛮」がこの店の人気のメニューとか。残念ながら火曜日は定休日。

 部屋には、先日、井上雄彦さんと映してもらった写真が飾ってある。
 見るなり母は、「誰、この人?オトコマエやん」と言って眺めている。
それはね、『スラムダンク』や『バガボンド』を描いた漫画家なのよと説明した。内田先生が対談の企画のある本があってね、6月に一緒にお稽古させてもらう機会があったと加える。
 「ええ感じのひとやね」と言う母。そして、なぜか『スラムダンク』は知っていたので、『バガボンド』の絵を見せておくれと言ってくる。見せると、また読んでみたいわ、こっそり侵入しようかしらと言いながら、帰っていった。


10月15日(水)

 先日、田辺での講習会ではたくさんの外国人に出遭った。そのうちのひとり、オーストラリアのメルボルンのひとたちは、田辺での滞在中、道場に行くといつも、親しげに話しかけてきてくれた。
 「昨日はよく眠れましたか?」とか「今日の稽古はどうでしたか?」に始まり、講習会が終わった後に「またね」とか「また午後にね」と声をかけてくれる。「大阪に行ったことがありますか」のもあった。

そのような会話を日々交わしている講習会の中日の夜には、自由参加のレクチャーがあった。その日は偶然入口で会ったのだが、そのとき、オーストラリアの、かのメルボルン氏は、DVDの販売店員に対し、「『田辺に武道具店はあるだろうか?』と尋ねたのだがどうやらわかってくれない。彼らに『そこで杖と木刀は買えるのだろうか』というのを通訳してほしいのだが」と頼まれた。そして、珍しく親切に、いろいろと手助けをした。

 そんなこんながあって…わが道場にゲストにやってくることになる。
 なんでも田辺での講習会後すぐに帰国せずに、数日大阪に滞在するとのこと。
 ちょうど大阪と神戸の間にある芦屋で、わたしが道場をやっていることが知れると、遊びに行きたいという話になったのである。さらには流れで、高砂にあるナガヤマさんのところにも行きたいというのだ。大阪から芦屋はともかく、高砂は、芦屋から電車に乗って、それから一時間以上は移動時間にかかることになるよと説明しても、ちょうどいいから行きたいというのである。

 長い前置きになった。
そんなこんながあって…突然海外ゲストが来場された。
 来場されるのは、かのメルボルン氏(スティーブ)だけかと思っていたら、メルボルン氏2(グレッグ)までいた。
 稽古は、いつもと変わらず日本語で説明。
それでもなんとか通じるものである。それだけではなく、稽古そのものも楽しんでいただけたようである。これまた幸いである。遠路日本まで来て、最後が残念だったなら、悲しいですからね。
道場の方々も最初は、「どこの人だ?」と興味と関心を持っていたようだ。いざ稽古が始まると、国籍が何であろうと、どこの人であろうと、合気道をすることに、それはさして関係がない。というかそんなことを気にしているようでは、稽古にならない。だって、一教をかけるのに、国籍云々を気にしているなんて、なんだかおかしな話ですよ。
合気道に国籍は関係ないということを、身をもって経験してきたわたし自身の一週間の、さらなる続きの出来事である。

10月14日(火)

 まだ浮遊感が続く。いい感じに練られている(気がする)。

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