6月9日(月)
先週の舞台から早くも一週間が経つ。信じられないくらいに早い。
6月8日(日)
猫にえさをやって、食べている様子を覗き込む。
今日は珍しく、魚の皮と背脂あたりがあたったのか、猫はしあわせそう。
昼過ぎから、モーターをフル回転させて、脳を駆動させる。
どこのモーターかって、そりゃあ脳ですよ、脳。ぶるんぶるん。
6月7日(土)
第三弾「身体性の教育」を聞きに行く。
あー、おもしろかった。三軸って不思議だけど、おもしろい。
天気もよくて、たいへんよかった。
6月6日(金)
本日もフル回転なり。
6月5日(木)
木曜日もたいへんだ。雨もたいへんだ。歩くのもたいへんだ。
6月4日(水)
いつもの水曜日が来た。水曜日は道場の日である。
だんだんと、この曜日の、この流れにもなじんできた。
道場には、最近昇級された方も多く、稽古は熱心に参加されている。
仕事や用事で、休まれるときも、もちろんある。
仕方なく休んでしまうことが、却って悔やまれる方も多いみたいだ。
だんだんと、合気道がおもしろくなってこられたのでしょうか。
稽古を「続ける」というのは、簡単そうで意外と難しい。
なぜなら、「続ける」ためにはまず、毎週同じ時間の同じ場所同じ格好で、そこにいなければならないからだ。
先述のように、いつもいつも、稽古に行けるとは限らない。
仕事の都合も、家庭の事情も、自らの都合も、健康状態だってあるだろう。
だから、毎回の稽古を大事にする姿は、とてもいい感じに輝いている。
(以下略)
6月3日(火)
ぼんやり考えている時間もそうはないのに、ぼんやりと遠く空を眺める。眺めては、思うことがある。
それは、今日は何を食べようかなであったり、あの本を読みたいなあであったり、眠たいなあであったり、この家に住むのもだいぶ慣れてきて、居心地がよくなってきたなあであったり、ほかには個人的なことであったりする。
ところで家とは、そこにひとが出入りしてこそ家である、というようなことを言ったのは誰だったか。たとえ、家そのものが立派で、高級で、すばらしい家具や調度品が用意されていても、そこに肝心のひとが住まなければ、家は家ではない、というようなことも併せて言われていたように記憶する。そのことばにわたしはすごく納得がいって、とても深くしみこんでいる。家はひとが住んではじめて、家たるものになるのだろう。
その意味では、わたしの住む場所は、たいそう家っぽいのだ。最近。
6月2日(月)
昨日のお天気がうそみたいに、一気に入梅した。
いきなりなお天気だ。雨がとんでもなく降る。
仕方なく、ズボンの裾を少々めくりあげて歩く。
七分丈くらいになった。それはもうひどく似合わない。
いっそ長靴買おうかな。
6月1日(日)
下川正謡会大会。
地謡「小督」、仕舞「松虫」と謡「葵上」のワキで舞台に立つ。
何度立たせてもらっても、慣れるものではない、この舞台。
それでも今年はようやく、でも、ほんのすこしだけ、舞台にいる時間を楽しめたような感じがした。
それは舞台が孤独ではなく感じたからだ。
あと、たいそう地味なことだが、間違えずに(ただそれだけのことですが、わたしにとっては、たいそう大きいことなんです)動けたからだ。
それもほっとした。
そして、どっと疲れた。
また来年まで、がんばろう。
ことしもたくさんの方が、全国のあちこちから見に来てくださった。
久しぶりの方、数年ぶりの方、昨日会ったばかりの方、初めてお会いする方、
数日振りの方、能の舞台にはいつも来てくださる方などなど、
みなさま、それぞれのお時間を作って、見に来てくださった。
ほんとうにありがとうございます。
楽屋見舞も、たくさんいただいた。
この場を借りてお礼申し上げます。お心遣い、ありがとうございます。
来年の舞台まで、また精進してまいります。
どうぞよろしくお願いいたします。