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2008年6月 アーカイブ

2008年6月 2日

英語で合気道やらナイト

5月31日(土)

お天気が今ひとつの土曜日。早起きしてしまった。起きたのは五時半。
仕方がないので、気になっていた作業をこなす。なんとかうまくいきそうだ。

昼前には、ゆうべから満たされっぱなしの腹にパスタを詰めて出かける。
今日は稽古の場所がロッジなのだ。
近くて、空気がいいのはとてもいいのだが、狭いのが残念。
いつもの場所よりも、だいぶ道場が狭いので、いつもの大人数が、あのまま稽古にやってきたらどうなるだろうと一瞬思ったが、そんな心配をよそに、さくさくと稽古は進む。
とても楽しかった。
愉快だー。
明日もがんばろう。


5月30日(金)

金曜日も楽しい!


5月29日(木)

神戸女学院大学には毎年、ワイオミング大学か十数名の短期滞在者がやってくる。
滞在中、彼らは大学でいくらかの講義を受け、いくらかの見学をし、いくらかの日本の生活を送る。
京都市内観光もすれば、社会見学もあり、日本の衣食住を経験するのだ。
また、多くの日本の文化を学ぶ機会も用意されている。
そのひとつとして、学内の日本文化系のクラブ活動を見学することがある。
それが今日であった。
はじめに、ワイオミング大学の学生さんたちが、合気道の講義を見に来た。
こういうものが日本にはあるらしい。
今日を持ったみなさんは、休憩時間にあれこれと質問をしてきた。
「ほかに何を教えているのか」「何年くらい合気道をしていますか」「ドラえもんってなんですか」など。

そのまま、合気道部の稽古も見学する。なかには体験したいという兵も出てきた。
そこで、今日は生憎お休みの内田先生に代わり、わたしが、ワイオミング大学の学生さんたちに、礼法から、初歩の技を少しだけお教えすることになった。
彼らは、わくわくしながら礼法を楽しんでいる。
こちらもとても学ぶべきところが多い。
なかには筋のよい方もいて、湿気の多い日本の気候は、たいへん暑そうでありながらも、愉快に動いている。
そしてみな面白そうに帰っていった。


5月28日(水)

新しい技に取り組んでみる。
道場内が一瞬沸き立つ。
しかし、新しくとも、動けることが多いのはいい。


5月27日(火)

湊川神社にて申し合わせ。朝から出かける。


5月26日(月)

朝から稽古。本番は近い。


5月25日(日)

東京三日目。東大五月祭の日である。

神戸女学院大学合気道部と同門の東京大学気錬会の演武会は、毎年、この時期にも開催される。もうひとつは11月の駒場祭。

女学院の合気道部にいただいた時間のうち、内田先生にご配慮いただき、わたしも演武をさせていただくことになった。

これまでこの演武会では「受け」で出場させてもらうことはしばしばあったが、「取り」で出場させてもらうのは、じつはこれで二回目である。意外に緊張する。というか、ノリがいまいちであった。

気錬会のみなさん、特にOBの方々の演武に見とれる。
たっぷりした動きとしなやかな動きがいい。

多田先生の説明演武をかぶりつきで拝聴する。
その声に、内容に何度も伺った話もあれば、違う話もある。いずれにせよ聞きほれる。

無事に演武会が終了し、赤門前で一同、多田先生を囲んで記念撮影。
全員でお見送りして解散する。
その後、気錬会のみなさま、女学院のみなさまにご挨拶をしてから、一路東京へ。

東京はたやんに先導してもらい、マサコ、ヒロスエ、うっきーの四人で東京へと向かう(キヨエは東京散歩に出かける)ゆくべきは、いつもの「つばめキッチン」(丸の内オアゾのお店は「グリル」ではなく「キッチン」と呼ばれる)。いつものように、ハンバーグを食す。

身も心も満足、満腹になって、はたやんの見送りを受ける。また会いましょうね。
そののち、東京散歩から戻ったキヨエと共に、四人でぱたぱたと新幹線に飛び乗った。


5月24日(土)

東京二日目。全日本合気道演武大会に行く。

六時起きして、散歩してから武道館へ。
入口前にて席取り部隊として並ぶ(思わず「関取」と変換してしまう。どすこい!)

九時過ぎには会場前に到着したものの、すでに多くの人だかり。
いったいみなさま何時から並んでおられるのだろうか。

年々参加人口が増え続けていると聞く、この演武会(ことしは参加者だけで8000人!10000人を超える日も近いだろう)である。
誰もがよい席で、よい場所で、見たいと思うのが性なのだろうか。

席取りは、東側キヨエ部隊と西側うっきー部隊に両者に分かれ、左右双方から攻めるといった作戦を練る。ガタイと勘のいいゼンチャンが先頭に立つ。見事な機転と行動のおかげで、出場する畳の前の、とてもいい席をどどどっとゲットできた。
さて、ここからどうして席を確保しておこうかと思った矢先、ちょうど内田先生を先頭に、関西当日入り組が到着。すぐさま座ってもらう。

12時ちょうどに開会式が始まる。
おなじみの挨拶やら登場で会場が沸き立つ。
われわれの出場は1分半。

着替えて、場所に移動しているほうが、ずいぶん長いのかもしれないが、年に一度の合気道の祭典である。万難を排して行くべし。

毎年この場所で、このときだけしか会わないし、会えないひともいて、すべてにおいて場内が活気だつ。

無事に終了。
毎年の楽しみにしている高校生の演武もことしもあった。
多田先生の演武、道主の演武をじっくりと拝見して、ことしは5時20分に終了となった。

外はあいにくの雨。

急遽、室内に変更になったビアパーティ会場へと急ぐ。
多田塾門下生が、どどどっと一堂に会して乾杯する。
これほどおいしいビールもない。

その後はいつものように、二次会へ。
そしてお宿をお願いしていた学士会館へ。
楽しい夜は、ほんとうによく眠れる夜だ。


5月23日(金)

急遽、全日本合気道演武大会の席取り要員になった。

東京へは飛行機で行く者、バスで向かう者、新幹線で向かう者、じつにさまざまである。
急遽、要員となったわたしは、新幹線で東京へと向かう。実は席取り要員になるのは、これがはじめてである。

ただ、前日入りするのもなんなので、この日の月窓寺道場の稽古にも参加させてもらうことにした。

稽古には、多田先生がいらっしゃった。

すごく濃い時間であった。


5月22日(木)

第一段落を感じる。山はまだ高い。


5月21日(水)

朝日現代クラフト展を観に阪急百貨店にゆく。
ヒロスエさんの作品が入選したのである。

並べられていたのは、白く、うっすらした、ある種儚げでもあった。そんな作品であった。
しかしそれでいて、何かを一心に訴えているような、そんな気がした。
(横浜展はいま開催中)

次回はぜひともグランプリをとっていただきたい。
そして、できれば授賞式で、「みなさまごきげんよう」と手を振ってもみてほしい。


5月20日(火)

無性にうどんが食べたくなった。
その日、母が送ってきてくれたのは、うどんだった。
念じれば叶う。

ほかにも、うどんが食べたくなったひとがいた。
うどん、うどんと思っていると、うどんのあるところにひとは集ってくるものなのか。
結局、みんなうどんが好きだ。
だから、みんなでうどんを食べた。
みんなで食べると、ふだんよりもいくぶんおいしくなる。

2008年6月11日

気がつけば梅雨

6月9日(月)

先週の舞台から早くも一週間が経つ。信じられないくらいに早い。

6月8日(日)

 猫にえさをやって、食べている様子を覗き込む。
今日は珍しく、魚の皮と背脂あたりがあたったのか、猫はしあわせそう。
 昼過ぎから、モーターをフル回転させて、脳を駆動させる。
 どこのモーターかって、そりゃあ脳ですよ、脳。ぶるんぶるん。

6月7日(土)

 第三弾「身体性の教育」を聞きに行く。
 あー、おもしろかった。三軸って不思議だけど、おもしろい。
天気もよくて、たいへんよかった。

6月6日(金)

 本日もフル回転なり。

6月5日(木)

木曜日もたいへんだ。雨もたいへんだ。歩くのもたいへんだ。

6月4日(水)

いつもの水曜日が来た。水曜日は道場の日である。
だんだんと、この曜日の、この流れにもなじんできた。
道場には、最近昇級された方も多く、稽古は熱心に参加されている。
仕事や用事で、休まれるときも、もちろんある。
仕方なく休んでしまうことが、却って悔やまれる方も多いみたいだ。
だんだんと、合気道がおもしろくなってこられたのでしょうか。

稽古を「続ける」というのは、簡単そうで意外と難しい。
なぜなら、「続ける」ためにはまず、毎週同じ時間の同じ場所同じ格好で、そこにいなければならないからだ。
先述のように、いつもいつも、稽古に行けるとは限らない。
仕事の都合も、家庭の事情も、自らの都合も、健康状態だってあるだろう。
だから、毎回の稽古を大事にする姿は、とてもいい感じに輝いている。
(以下略)

6月3日(火)

ぼんやり考えている時間もそうはないのに、ぼんやりと遠く空を眺める。眺めては、思うことがある。
それは、今日は何を食べようかなであったり、あの本を読みたいなあであったり、眠たいなあであったり、この家に住むのもだいぶ慣れてきて、居心地がよくなってきたなあであったり、ほかには個人的なことであったりする。

ところで家とは、そこにひとが出入りしてこそ家である、というようなことを言ったのは誰だったか。たとえ、家そのものが立派で、高級で、すばらしい家具や調度品が用意されていても、そこに肝心のひとが住まなければ、家は家ではない、というようなことも併せて言われていたように記憶する。そのことばにわたしはすごく納得がいって、とても深くしみこんでいる。家はひとが住んではじめて、家たるものになるのだろう。

その意味では、わたしの住む場所は、たいそう家っぽいのだ。最近。

6月2日(月)

昨日のお天気がうそみたいに、一気に入梅した。
いきなりなお天気だ。雨がとんでもなく降る。
仕方なく、ズボンの裾を少々めくりあげて歩く。
七分丈くらいになった。それはもうひどく似合わない。
いっそ長靴買おうかな。

6月1日(日)

下川正謡会大会。
地謡「小督」、仕舞「松虫」と謡「葵上」のワキで舞台に立つ。

何度立たせてもらっても、慣れるものではない、この舞台。
それでも今年はようやく、でも、ほんのすこしだけ、舞台にいる時間を楽しめたような感じがした。
それは舞台が孤独ではなく感じたからだ。
あと、たいそう地味なことだが、間違えずに(ただそれだけのことですが、わたしにとっては、たいそう大きいことなんです)動けたからだ。
それもほっとした。
そして、どっと疲れた。
また来年まで、がんばろう。


ことしもたくさんの方が、全国のあちこちから見に来てくださった。
久しぶりの方、数年ぶりの方、昨日会ったばかりの方、初めてお会いする方、
数日振りの方、能の舞台にはいつも来てくださる方などなど、
みなさま、それぞれのお時間を作って、見に来てくださった。
ほんとうにありがとうございます。

楽屋見舞も、たくさんいただいた。
この場を借りてお礼申し上げます。お心遣い、ありがとうございます。
来年の舞台まで、また精進してまいります。
どうぞよろしくお願いいたします。

2008年6月24日

ウッキー、学会に行く

6月23日(月)

月曜の朝がこんなに眠いなんて!

6月21日(土)、22日(日)学会@松山

四国愛媛は松山大学にて、学会が開催される(日本マンガ学会)。
初日が研究発表で、二日目がシンポジウム。

今回、研究発表には、学会によって、初めてテーマが定められた。
テーマは、「手塚治虫「再考」。
いちおう、これでも、いままで、いろいろと考えてきた端くれでもあるので、思い切ってエントリーした。とはいうものの、まさか最初の審査に通るとも思わなかった。正直、やらない後悔よりも、やった後悔のほうがいいとは思ったところもある。

さて、初日、学会発表の時間。
「手塚治虫にとっての師弟関係」について発表。
賛否両論ありながらも、おもしろい機会をいただけたと思う。

昼から夕方まで連続して発表を聞き、その後懇親会にも参加。
立食パーティ形式なので、各人うろうろしている。
あんまり知り合いもないので、誉めてくださったベルント先生を中心に懇談。
その先生は、初めて会ったのに初めての気がしない。なぜだ?
さらには、「誰と会いたいか?誰と話したいか?」と言いながら、
いろんな方を紹介してくださる。まことに不思議なご縁である。感謝。

顔を覚えてくださっている馴染みのヨシムラさんやムラカミさんにご挨拶し、ほかにも貴重なご意見を承る。参考にして、今後につなげてゆこう。

歩いていると、発表の質疑応答時間に発言できなかった方から、さまざま意見を頂戴する。質疑応答時間は限られているので、誰しも言いたいことがあるのはわからないでもない。登壇すると、どうやら顔を覚えられてしまうらしいことも。

歩いていると、声をかけられたのは、手塚プロダクションの社長さん。
お名前こそ存じているものの、お顔はあまり知らず、ふいに向こうから、呼び止められ、
「君の言いたいことはわかるよ。ちょっと、まっちゃんに言われたっつって、一回来なさいよ(連絡しなさいよ)」
と言いながら、名刺をくださった。
おおおー。名刺を見た瞬間の驚きと言ったらない。
社長は、そのまま出版局長、資料室長まで呼んでいただいて、
「ちょっとこの子に名刺やって」と言ってくださった。
わわわー。名刺を見た瞬間の驚きと言ったらない。
そして、みなさんがそのまま、話を聞かせてくださった。
それだけでもたいへんうれしかった。
ちょっとこれは見学に、調べに行かねばなるまい。
これが神のお導きでなくして、何であろうか。


二日目は、シンポジウム。
午前と午後の二回に分かれて開催される。間には休憩を挟む。
午前が「手塚のルーツ/ルーツとしての手塚」(竹内オサム氏、中野晴行氏、夏目房之介氏、座長宮本大人氏)
午後が「手塚治虫の現在」(伊藤剛氏、古徳稔氏、田中圭一氏、座長小野耕世氏)
二つのシンポジウムが、三人のパネリストと座長がひとりという形式で行われた。

学ぶべきところも貴重な話も聞くことができた。
ちょっと、そろそろ動くべきか。

そのまま学会閉会となり、松山大学を出て、路面電車に乗って道後温泉へ。
ここまで来て温泉に行かないのもなんなので、道後温泉本館と近くの椿の湯につかる。
温泉近くの商店街でお土産を物色。温泉街ならではのものから、「坊っちゃん」にちなんだグッズ、一六たるとグッズまで、いろんなものが売っている。
二日間の疲れと勝手な承認と喜びを祝って、トンカツを食べる。

6月20日(金)

明日からの学会のため、バスの夜便で松山に行く。
梅雨の時期だし、天変地異も含めて何が起こるのかわからない昨今のこと、たとえば当日乗るはずの飛行機が、うっかり飛ばないとかで時間に間に合わないのも、当日乗るはずの電車が動かず止まっても困るので、前日から現地入りすることにした。


6月19日(木)

普段どおりの木曜日のはず。雨は少し上がってもきた。

6月18日(水)

いつもどおりの水曜日。雨がざあざあ降ってきた。週末の天気はどうだろう。

6月17日(火)

今日は行ってよかった大学院ゼミ。やっほー。

6月16日(月)

ちょっと時差ボケ?んなはずないよね?

6月15日(日)

ぐいぐいと見知った顔に会える今
稽古の楽しみ 愉快な時間

本部道場で多田塾研修会に参加。
あー、目が開きまくり、くしゃみはほとんどでなかった。
行ってよかった!感動の嵐。

6月14日(土)

志木合気会創設二十周年記念演武会・講習会に行く。
生まれて初めて「埼玉県」の地を踏む。
「埼玉県」にはこれまで、何の用事もなかったので、出かけることがなかったのである。これまでの人生、ちょっと振り返ってみればわかるのだが、合気道に出会う前から、ほんと、用事のないところへは行かない性分なのである。
そのうえ、「埼玉県」について、ほとんど予備知識もない。
ふーん、こんなところにあるのかあ。
意外に東京からは近いことが判明。
しかし東京までが遠いことが再確認される。


会場に向かう途中、通り過ぎた東武東上線には「なります」の文字があった。
駅はどこもかしこも工事中で、そのため、車中から見える柱や看板のあちこちには、
白い画用紙に印刷した文字で大きく「なります」と書かれたのが貼り付けられている。
だからとっさに「何が鳴るんだろう?ベルでも鳴るんだろうか」と思った。
だが、それは何のことはない駅名なのであった。
「なります」は「成増」と書く。
漢字で書くほうが、いろんな誤解を招きかねない(ような気がする)。
落書きもされないように思う(のはわたしだけか。誰もしてなかったが)。


柳瀬川駅で偶然に会ったナガヤマさんと志木体育館へ移動。
到着して、食事して、着替えて、演武して、関係道場の演武をずいぶんと近くで拝見。
多田先生による演武も、もちろんできるだけ近くで拝見させていただく。
講習会は、多田先生によるご指導。
暑いながらも、あっという間の一時間半(この時間のうちにくしゃみがとまらなくなる)。
その後、バスで近くの懇親会会場へと移動する。
志木合気会の方の丁寧な段取りと計画のおかげで、楽しくすごさせていただいた。
三輪先生にたいへんお世話になり、ご挨拶し、
亀井先生にも自身のお名前を覚えていただいていたことを再確認した。うれしいかぎりである。
二次会へも参加させていただき、わいわい過ごす。
その日のうちに着くようにお暇して、東京はたやんちへお邪魔する。

6月13日(金)

気がつけば金曜日。明日から関東。

6月12日(木)

気がつけば木曜日。今週末も忙しいぞ。

6月11日(水)

今日も道場、がんばろう。

6月10日(火)

恩人、現東京在住人の誕生日。晴れやかな日である。お元気ですかー。

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