10月29日(月)
丁寧に生きることが大切だと思うこの頃だ。
欲しいものが念じれば手に入ることもある。その事実に深く感謝したい。
ついでに申しておこう。
いま欲しいのは、ドリップ用に挽いたコーヒー豆と指ソックス。
指ソックスは、このところ周りの人が履いているのを見ていて、随分履き心地がよさそうに感じたからだ。指も動くし、通気性もよさそうだったからだ。足袋ソックスも好きな部類だろう。それもいい。
ドリップ用に挽いたコーヒーは、もうすぐ底をつくからだ。ただそれだけの理由だ。
コーヒー豆が切れてしまうと、たちまち紅茶一家になってしまうことだろう。晴れた日の朝にいっぱいのコーヒーを飲むというのが結構すきなのだけれど、それが紅茶に変わってしまうのか。ティーパーティかね?それもまたいいだろうか。
10月28日(日)
さらに祭りのあと。
って、特段何もないけれど、お天気もよくて、洗濯物がよく乾いていた。
10月27日(土)
祭りの続き。演武会二日目。
昨日よりもお祭りムードが高まっている。
いろんな受けやら取りがあったけれど、充実のときの連続であった。これだからやめられないのである。
すべての演武が終了し、記念撮影も済むと、お祭りモード全快で演武に出たあとの少しの疲れと空腹を満たすかのように、屋台を冷やかしはじめ、食べる。
わいわいとしゃべりながら食べる。
それがまた愉快だ。
会場の撤収時間になると、畳を動かす。
畳を担いで、もと来た道を、同じように動かすのだ。
同じように動かして、会場をもとの教室に戻し、何もなかったかのように片付ける。
祭りのあと。
さっきまで、やいのやいのと言っていた敷地内が、急にしんと静まり返って、またもとの学舎に戻っていく。あの寂しくも儚げな瞬間が好きで、わたしは演武に出ているのかもしれない。
10月26日(金)
祭り初日。
午前中は、稽古とリハーサルがあり、午後から、「さあ、学祭演武会だ!」の時間となる。
初っ端の松田先生の受けに始まり、最後の師範演武の受けまで、あれこれと、受けをとらせていただける。ことしは全部で七回の出場(「一日一回公演」という条件付のもとでは)、例年の自身の記録を勝手に塗り替えていることになる。
こういうとき、過去の記録(まさに「記録」していた)は、ありがたいものだ。
また今日は、演武のない、すこしの空いた時間さえも、司会に借り出される。ひさしぶりである。おかげであれこれと、充分に楽しめた。続きはまた明日。
10月25日(木)
祭りの前。
なぜかはわからないが、この空気が好きだ。
どことなく慌てた様子で、なんとなく忙しく学生たちが、動き回る。ポスターを貼り、会場を設営し、室内のレイアウトを作り、看板を立てる。おそらく、それは、どの団体も同じなのだろう。
合気道部はことしも畳を運ぶ。
軽トラに積み込む作業から始まる。その準備に我も我もと集まってくる。
畳のある部屋は二階で、会場となる教室も二階になる。だから、いつも、誰もが背中に一枚畳を担いで階段を駆け下り上り下りする。それはもう見た目は、一反木綿のようだ。そのまま空を飛べたらもうすこし楽だろうか。
会場ができたあとはそのままそこで、稽古とリハーサルである(とはいえ、明日の演武会もリハーサルに近いものだそうだ)。念入りにリハーサルと最終チェックを受けている後輩たちの演武を眺めているうち、稽古時間が終了。われわれは明日。
すっかり日も落ちた、満月の前夜の空を眺めながら、帰宅。
明日は雨かもしれない。それでも祭りの前の日の夜は、いつもココロが騒がしい。
10月24日(水)
稽古して、またもやいろいろと感じるところがあった。
ほうこうすれば、ああすればと思うのだが、また同じ状況で同じ感覚で同じ印象が来るとは限らない。なぜなら、時間もその日も温度も湿度も体温も感覚もすべて違うからだ。
参加するメンバだって違う。
そのときの身体のなかの細胞だって違う。
朝食の味ひとつで変わることだってあるだろう。
前日に何を飲んだか、何を歌ったかにもよるかもしれない。
身体はそれくらいに過敏に反応することもあれば、それくらい変化の激しいものであるのかもしれない。
10月23日(火)
なぜか家族に纏わる話を多く聞く日だった。
ひとつは、親子、それも母子で旅行に行きなさいというもの。旅のすすめみたいな話であった。
もうひとつは、小津安二郎の映画に関する「親子」あるいは「家族」について。こちらはどちらかというと、父子のほうが話の比重を占めていた。
どちらも、なぜか心に深く響く。
そろそろ実家のおふくろさんたちに会おうか。
10月22日(月)
しずかに、ぼーっとしている。