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春吹きし 憂し雨期は降る 穴葎

12月20日(水)

 朝は大学で礼拝に参列。この時期になると、礼拝も単なるお説教的なものだけでなく、「学科別クリスマス礼拝」という枠組で、各学科趣向を凝らすのがこの大学での慣わしとなっているようだ。われらが総文は毎年音楽隊を結成。今回もまたその一員として参加させてもらう機会を得た。とてもよい機会に恵まれている。出番はことしもオススメのアルトリコーダー。

 アルトリコーダーを初めて手にしたのは小学生のときだ。いやあ、思い出すなあ。と言っても、思い出すのはリコーダーを吹くのとほぼ同時に学んだ「リコーダーのことを笛と呼ぶな」というもの。理由は実はいまでもよく知らないし、結局誰からもきちんと聞かされた記憶がないまま小学校を卒業したのだけれど、なぜかそんなことを言われた。子どもの頃から面倒臭がり(かもしれない)わたしは、わざわざ叱られるような真似をしてまで、その理由を探求しようともしなかった。ただ単に、探求するほどの興味が湧く理由でもなかったのが、ほんとうのところかもしれないが。

 さて、総文音楽隊の礼拝は教職員学生有志で結成される。隊長のチャプレンお導き(ヘッドハンティングとも言う)の下、メンバーが集う。誰が出るとはまったく決まっていない。単なる偶然であり単なる必然である。また予め楽器が決まっていて、それを演奏できるひとが選ばれるわけでもない。何かできそうなひとが寄り集まって結果、楽隊が形成される。楽器がひとを選ぶのではなく、ひとが楽器を選ぶのである(おお、マルクス的)。
 ひとが変わるということは、その分、編成隊の音も様相もさまざまに繰り広げられる。これは実におもしろい。これまで見てきたなかには、リコーダー合奏もあれば、一台のヴァイオリンを中心にほかの楽器が盛り上げるというのもあった。クラリネット、オーボエといった木管楽器がぞろりと並ぶこともあった。ソプラノリコーダーが主流になって音を奏でる時代もあった。ことしは、かなりオーケストラチックだった。オルガンが消え、コントラバスとヴァイオリンの台数が増えた。フルートも多い。かなり管弦楽団的だとも言える。しかし、いつの時代もアルトリコーダーはひとつしかない。不思議なことに。

 この礼拝に参加するといつも思うのは、一年を振り返るよき機会を得ているということである。「またここにいられるんだなあ」といったしみじみとした感謝とともに、静かに祈りを捧げることができる。一年をとおして、自分がどのように変わり、どのように進んできたのかを感じるよきときだ。また、ここで顔をあわせられる人と出会えてよかったと思えるよき時間だ。礼拝自体は実に短い。だが、そんな一瞬を大切にしたいと思わせる時間だ。こんなふうに凝縮した時間と場所は現代ではあまり多くないのではなかろうか。いくら建物が荘厳であろうと、講堂が立派であろうと、礼拝堂が美しかろうと、クリスマス気分に浮かれようと、しみじみと祈りを捧げられる場所はあまりない。熱心なキリスト信者どころか仏教者であるにもかかわらず、生かしてくださっている神に、わたしは、感謝の祈りを御前に捧げる。
楽隊への参加は、大学生のときにふとしたご縁をいただいてから、ことしで9回目を数えた。さて、来年はどうなるだろうか。どんなふうに変わっているのか、どんなふうに感じる自分がいるのか、また楽しみである。

 午後からは甲野先生の講演会、実技講習会。わくわくしながら玄関を飛び出した今朝からそわそわしている。昼も過ぎると次第に待ちきれなくなり、こっそり到着時間に合わせて♪ま・ち・ぶ・せ♪(まちぶせ中、「チームまちぶせ隊」の先生や職員の方の、実に興味深い履歴をうかがう)。

 1時20分に講義開始。「5分遅刻ですね」と言うのが教壇に立たれた甲野先生の最初のおことば。先生の、その姿を間近で見ようと、一番前の席からすこし後ろに座り、じっくり拝聴する。座るのは最前列よりすこしだけ後ろというのがいい。だいたいのどんな講義であっても、そのくらいの場所が見やすくて聞きやすい場所なのだ。

 甲野先生のお話に出てくる身体の構想から構造、仕組み、発想についての視点に思わずうなずいてしまう。お聞きするだけで、なんとなーっく消化しきれずなので、パッキングされてしておく。いろんな話題が、おせち料理というか予測もつかないオードブルの皿に出てくる食材のように、次から次へと溢れかえっている。とりあえず消化することを目的とせず、保存しておこう。自身がうまく消化するに至らないときは、ちょっと冷凍保存もいい。
講習会での話は、聞いているだけでは勿体無くて、すぐさま身体を動かして、何かを試してみたくなる。聞いているのと、動いているのとでは、同じ話であっても印象がまるで違う。うううううー。早く実技の講習会にならんかねー。
 
 そう思った矢先「ちょっと」と甲野先生から教壇での実演に呼んでいただく。あれこれ体験させていただいて感じたのは、すごく身近なわかりやすいことばで先生が語ってくださること。重みがずしーっとやってきた。
 点を繋げると一線になるし、円にもなる。事実、点を繋げたものが我々人間の目には、線と見えているという。点を繋げた線のような重みが、ふと気づくとずっしりと身体の奥底に響いてくる。決して途切れることはないし、いつ始まるのかもわからないまま急に重みがやってくる。でも、重みというのはいやなものではなく、気づくと頭には「?」でしかない。おそらく身体は「???」くらいだろうか。
それらは、甲野先生の比喩では、「バカ社長」(頭)と「でしゃばり新入社員」(手先)で示された。身体の動きを一箇所に集めて行うのではなく、全身を使って行うことを体験させていただいた。細かく、微細に、微妙に使う。細かな仕事をするように。身体には、「有能で堅実な社員」(腰、胴、胸、腹、足などなど)もいるのだから、昨日今日入ったばかりの「新入社員」に任せておかず全部使うべし。細かく使うべしということだった(←自身のメモ書きはこの流れを記述)。

 実技講習会で甲野先生は、身体のなかのあらゆる力や部分を文字通り、「宝の持ち腐れ」とならないよう、細かく全体で動くとおっしゃった。しかしそれを、身体のなかの部分を取り上げて、誰にでもわかるかたちや仕方で見せるといった説明や具体性を示すことはできない。なぜなら、いつ、どこで、どのように、なぜ、何が、どうなって、こうなって、そうなって、あっちやこっちへ行っているのか、動いているのか、感じているのか、それはわからないからだ。気づいたらできている。「こう」と思った瞬間に終わっているというような、実に細かい事柄なのだ。(私自身のことばなので、理解し損ねている間違っているかもしれないが)おそらく見える共通項としては密度の問題なのだろうかと思う。いま、わたしが強く興味を持っている方面の出来事とちょっと繋がりそうである。

 ほんとうによい機会に恵まれた。身体をことばで考えていこうと思う。それ以外にも、 今日の出会いはまた格別だった。おもしろかった。本日のすべての出会いに感謝。感謝できる身にもまた感謝。
甲野先生、ありがとうございました。これからも楽しみです。
 内田先生、ほんとうにありがとうございます。先生の弟子でほんとうによかったです。


12月19日(火)

 久しぶりに自由な午前中。いつもなら道場に稽古に行く。ところが今年に限っては、年末に畳張替えがあり、利用施設が使えなくなった。残念である。それでも風邪ひく身体にとっては、これが随分ありがたい休養となった。


12月18日(月)

 風邪が流行っているらしい。今回の風邪の初期症状は、ここ十年くらいのうちでかなり広範囲で勢力を拡大して蔓延しているノロウィルスと、たいへんよく似ていると聞く。似ている症状のひとつに「胃腸あたりの無体な異常」があるそうだ。だが、そのようなはみられない。どうやら風邪のようだ。これで安心してよいものかどうかはわからぬ。わからぬが、先週からゆらゆらと続く喉の痛みがピークに達していく。さらに鼻水が出る。喉が痛い、鼻水が出るとくれば、おそらくこれは風邪だろう。

早速買い付けていた風邪薬を大量に胃に放り込む。買い付けている辺りが昨年の学習である。葛根湯も飲む。生姜湯も飲む。薬のせいか、気のせいか、次第に喉の痛みは和らぎ、緩やかになっていく。その次の鼻。症状は一気に鼻へと来たもんだ。

ああああ~、洟が出る出る、洟が出る(っべべっべん)。
じゅるじゅる。ずるるるるるー(きたないなあー)。【即興洟歌ソング】

しかし、よくもまあこれほどまでに生産されるものである。鼻水の成分はなんであろうか。洟をかんだときにはいつも思う。いつも思うのだが、それは大概意識が朦朧としているか、急いでいるかのどちらかのときなので、充分考えるゆとりがないまま、鼻水は世の中のごみと消えていく。
 
今日は早めに失礼させていただこうと思う。思いはしたが、そうは問屋が卸さぬもので、人生は意外なところで、意外なところで喜びと繋がっている。


12月17日(日)

 なぜ朝日新聞を購読しているのかについて、少し考えた。
こんなところに書くのもなんだが、実家はわりに節操のない家なのか勧誘を断らない主義だったのか知らないが、わりにいろんな新聞を購読していた。基本的には朝日新聞ベースだったと思うが、読売はもちろん毎日、神戸、日経を手にしたことがある。日曜版だけだが赤旗新聞まで購読していた(産経だけは読んだことがない)。数年ごとに新聞が変わり、ときには別の新聞社のものが重複していた時期もある。さらに最近知ったのだが、週に何日かだけスポーツ新聞もサービスしてもらっているらしい。さぞかし月間古新聞量の多い家だろうと想像する。

 さて、なぜに朝日新聞かその訳を考えてみる。すると、少しだけわかったことがある。
 木曜の夕刊に「三谷幸喜のありふれた生活」というエッセイが連載されているからだ。このエッセイをすぐさま読みたくて購読している。かつては金曜夕刊掲載だったが、いつからか木曜に変わった。
タイトルの示すとおり、ここには脚本家三谷さんの「ありふれた生活」がおもしろおかしく書かれている。挿絵はイラストレーターの和田誠さん。これも大好きなのだ。エッセイは、先日の12月14日の木曜日付けで314回を数えている。書き連ねられたエッセイは、もちろん単行本化され、『三谷幸喜のありふれた生活』『三谷幸喜のありふれた生活2-怒涛の厄年』『三谷幸喜のありふれた生活3-大河な日日』『三谷幸喜のありふれた生活4-冷や汗の向こう側』『三谷幸喜のありふれた生活5-有頂天時代』(いずれも朝日新聞社刊)と題されて世に出ている。だったら、その単行本を買えばいいじゃないかということになろう。だが、当たり前だが、単行本というのは、いくらかの分量にならないと出版されない。一年くらい経ってようやく読めるくらいの量になる。ファンとしては、そんなになるまで待てないのである。
また、エッセイはリアルタイムに書かれているものが多い。どういう具合に映画の段取りが進んでいるとか、誰のパーティに呼ばれたとか、舞台上でのハプニング、裏方のちょっとした出来事、飼い猫の日常などが題材になっている。だから、それが書かれた時間に近い頃に読まなくてはあまり意味がない。後から読んでもたぶん話がわかりにくい。なかにはほんとに瞬間ならぬ旬の時間に読まなければ、ちょっと笑えない話もある。というのが読む側のひとつの楽しみ方であり、読む側の言い分なのである。

 年に一度開催される手塚治虫文化賞の主催新聞社だからというのが、購読のもうひとつの大きな理由である。文化賞の経過や報告について、見開き紙面でたっぷりに書かれているのはここだけである。だから、見逃すわけにもいかない。その後どうなっていくのかもまた細かな記事とはいえ、追うことができる。でも、落ち着いて考えると、文化賞の開催発表時期は大体決まっている。エッセイの連載日時もいまでは木曜日の夕刊と知れている。
そう考えると、ほとんどどれを読んでもいいような気がしてきた。必要な時期だけ必要なものを買うのもいいし、夕刊のみ購読(夕刊購読って、そんなことできるのだろうか?)などはできないものだろうか。ちょっと考えてみようかな。


ところで話は戻るが、314回目の三谷幸喜エッセイには「アナグラム」について書かれていた。先日捻挫をした三谷氏(そう、捻挫したんですよ、この方。話せば長いので理由は割愛)は、「捻挫をしたときはできるだけじっとしていなきゃダメ」と平野レミ氏(料理研究家:和田誠の妻)に言われる。その言いつけを守り、どうしてもの予定以外はできるだけ外出せず、家で安静にしているときの話。エッセイのイラストを書いている和田誠氏(イラストレーター:平野レミの夫)の新刊『ことばの波止場』が出たので、それを読んでいたときのこと。和田氏の本に「アナグラム」について触れる箇所があった。捻挫の安静で暇を持て余していた三谷氏は、これ幸いとそこに出てくることばを使ってまた別のアナグラムを作る。例えば和田氏が使った「黒柳徹子」は「納屋ロッテ小菊」。三谷氏はこれを「つなぎ家てこ六」としたというような具合。自身の「ミタニコウキ」という名前は、子どもの頃既に「海に来た子」という具合に考えたということだから、やっぱり言葉を使う人だったんだと改めて思う。

「自分の名前でアナグラム」というのは、わたしはこれまで一度もしたことがなかった。ちょっとおもしろそうなので試しにやってみた。これが意外に難しい。というか興味深い。
本名は「フルハシウキ」。なので、まずは「着古しは鵜」という訳のわからないのができた。これは鵜(鳥の名前ですね)の羽でできた上着を大分着古してしまったという意味合い。でもちょっとセンスがない。次に浮かんだのは、「指揮はウルフ」。最近指揮することがあったので、そのせいだろう。「指揮をしたのは実は人でなく狼だった」というような、これまたとてつもなく落ちのない話し。「指揮」を「四季」としてもよい。「季節は狼なんだね」ということになる。しかしよく見ると、これらふたつは、「は」を本来の“HA”ではなく“WA”で発音してしまっている。この辺り、ちょっと正当なラインから外れているのでよくない。
その次にできたのは「春、牛寄附」。春になったので、牛をどこかに寄附してあげようというもの。牛が牧場から、新たにまたどこか別の場所に送られていくさまは、ちょっと物悲しい。でもこれまた、いまいち。それに読点を入れなければ読み辛いアナグラムというのもよろしくない。
次は「ハウル敷布」。映画『ハウルの動く城』の敷布があったんですよ。ほら、そこに。敷布には、でかでかとハウルの顔が描かれている。だからハウル敷布。でも「ハウル」という名前が、いったいどこまで世間に知れ渡っているのか、際どいところである(これをもじって、「ハウル氏、寄附」というのもある。だが、前出のものと同様の理由で却下。それにハウルというひとのヤミ献金みたいだし~)。
さらに「走る風紀」。これはまずまず。「は」を“HA”で発音し、読点もないという点はクリア。意味は、風紀を乱さない模範的な人物というようなもの。四角四面な風紀委員を思い出す。ま、「歩く辞書」とか「生き字引」みたいな感じで理解できるとよいでしょう。
そうこうするうち、とっておきのひとつが出た。「春樹諷刺」。「春樹」というのは、もちろん敬愛する村上春樹氏の「春樹」である。世界のハルキですから、ハウルよりも浸透性が高い。(ムラカミ)ハルキの諷刺するものという意味。これまでのなかでは、一番かっこよく見える。ということで、気分がいいのでこれにします。「春樹諷刺」。それも「ふうし」の「ふう」は「風」ではなく「ごんべん」つきです。かっこいいでしょ?

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2006年12月25日 11:20に投稿されたエントリーのページです。

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