12月16日(土)
「武術的立場」(であってますか?)と題された朝カル対談第三回目。
聞き手内田先生対談の最終回のゲストは、神戸製鋼コベルコスティーラーズの平尾剛さん。
先日の試合観戦以来、「ラグビーは好きなスポーツ」と公言して憚らないことに決めたわたしは、今回の対談をとても楽しみにしていた。とはいえラグビー好きは、先日の観戦以来のこと。まだ直感的なことが多く、どこかラグビーは魅力的だとくらいしか言えないのだけれど。
さて、そもそものラグビーを教えてくださり、毎日新聞紙上で隔週「身体観測」連載中の平尾さん。日々の言葉遣いやラグビーへの言葉遣いに興味があった。身体に起こる出来事やチームとしての動き、身体に起こる感受性など、ある意味誰もが持ちうる言葉で語られる。そういう立ち位置を選ばれた平尾さんに、以前からとても興味があった。
対談会場に到着。対談前の控室には、既に先生方がみえているのでご挨拶。そのうち続々といつもの視聴メンバーのみなさんが登場される。
対談では、内田先生の「ラグビー近代帝国主義論」がピカイチにおもしろかった。なるほど、ラグビーはそういうわけだったのか。「すごい」と唸ってしまった。それに噛み合わせるかたちで、言葉と身体で語る立場を背負っている(いく)強さが見え隠れした平尾さん。実にうらやましかった。わたしもそうなりたいと思う憧れの方だ。
ひとは言葉を使う。でも、言葉を使って何かを語るのは難しい。それは語彙という意味でも、語り口という意味でも、語る場所という意味でも。いまのわたしに何らかのもどかしさがあるとすれば、その語彙が足らないこと、もちろんそれもあるが、それよりもむしろ語るべき目的があまりにはっきりしていないことだろう。専門にする事柄が専門に達していないので、何度も暗中模索するのだ。でも何かを語りたい衝動に駆られる。気分ばかりで前に進めない。これはもどかしい。辛いし身体にも悪い。語りたいには違いない。
思いのたけは、身体の外に出そう。だから書こう。いったいぜんたい今日の、何がわたしにそう思わせたのか、経路のほどは定かでない。定かでない経路を辿るより、わたしは、生きていくために必要な「そのとき」が来たのだと感じている。だから、わたしの顔は緩み、微笑を得たのだと思っている。それは、この前急に村上春樹の作品が読みたくなって、数年ぶりに読み返しているのと同じように。ある日突然、何でもないことが、何でもあることのように変わることがある。今日は今日で触発されてばかりだ。触発されるひとに出会うと生きていてよかったと思う。ほんとうにそういうご縁に心から感謝して。
12月15日(金)
年末恒例夜通しパーティの日。
ことしは、Tシャツを作って指揮をした。多少オーケストラチックに厳かに。
12月14日(木)
歳末恒例討ち入りの日。赤穂浪士を思い出した。
12月13日(水)
喉の痛みは尋常ではないね。こりゃ。
12月12日(火)
呑みのお誘いがあるのに、呑みに行けないのは、何とも辛い。
12月11日(月)
またもや葛根湯と風邪薬に世話になる日。
12月10(日)
夕べの客が帰ったので、布団を干したり、部屋を片付けたりしているうちに、一日が終わる。
12月9日(土)
師範不在のため、代稽古をさせていただいた。
「おもしろかったです」という声をかけていただき、うれしかった。これからも、精進して行こうと思う。
それにしても、先生~。
12月8日(金)
葛根湯と風邪薬に世話になる日々。
12月7日(木)
すごーい雨です。
12月6日(水)
特訓。もちろん中の舞のです。
12月5日(火)
遂に12月になってきましたね。
12月4日(月)
・ 中の舞がうまくできない。覚えが悪いので仕方ないが、悪いにも限度がある(と自分を律する)。
・ どうやったらうまく覚えられるだろう。なんかぶきっちょだ。
・ というものの悩むより先に稽古。(ま、がんばろ)と自分を励ます。
・ 「特訓です」という先生の言葉をきちんとお聞きする。