11月10日(金)
ことしもハロウィンパーティに参加した。今回はチーム「オズの魔法使い」での出場であり、役職名はライオン。かの有名な「勇気のないライオン」である。年々凝り性になっていく自分がいる。
11月9日(木)
喉が、いがらっぽいぞ。風邪かな。それとも気温のせいかな。
11月8日(水)
バカはほんとうに疲れる。でも、相手がこどもなら、バカでも仕方ないのだろうか。それでも、取り付くしまもないほどに、腐れ切ったこどもの場合、それをこどもと呼ぶのは少々気がひける。どうすればいいのだ。
11月7日(火)
そろそろコタツが欲しい頃ですね。
11月6日(月)
講義も少しずつかたちを見せる。わたしも少しだけ、何かが少しだけスムーズになった。
11月5日(日)
三連休の最終日は『プライスコレクション、若冲と江戸絵画展 The Price Collection The Age of Imagination』を観に行く。会場は京都国立近代美術館。実はこれ、開催開始は秋分の日の頃。だが今秋は忙しさにかまけて終ぞ来館の機会を失っていた。一昨日の文化の日に、ようやく一大決心して足を運ぼうとするも原因不明の肩こりと秋の京都に行く→しかも三連休の初日!に身の危険を感じ、またの全国巡回時の他館来訪に思いを馳せたのである。しかし思いは止まず(俄かに若冲病)、最終日の今日やはり京都に出向いた。まるで提出期限ぎりぎりのレポートかペーパーみたいに、美術館へと飛び込んだ。
目覚めは七時半。休みの日にしては起床が早いが朝から京都に行くとなると、そのくらいには目が覚めなければ間に合わない。身支度して、阪急電車に飛び乗り、一路河原町へ。バスに乗って京都国立近代美術館。初めて来たが、わりにきれいな建物である。
早速展覧会場の三階へと急ぐ。まずは狩野派が屏風で軽くお出迎え。『紅白梅図屏風』など、高校のときの日本史の資料が懐かしく思い出される。この度の円山応挙には、『駱駝図』くらいしかなかったのが残念。長沢芦雪は『猛虎図』『軍鶏図』『白象黒牛図屏風』『幽霊図』など、印象深く映るものが多い。亀岡規礼の『猛虎図』もあった。長沢芦雪のそれとはまた違う味わいがある。どちらがいいとか悪いとかではない。毛並みの感じがまるで違う。虎の毛並みが浮き立って見えてくるには変わりないが、浮き立ち方に個性があるのだ。江戸の始めの頃はまだ、虎は空想上の動物だったときく。中国や大陸から寄せられる資料を基にして、絵師たちは虎を写し、想像で描いたのだそうだ。順路に従ってやや進んでいくと、ようやくお待ち兼ねの伊藤若冲の登場である。若冲の『紫陽花双鶏図』は、わりに知られているので目にすることも多い。だが、やはり実物は何かが違って見えた。何かは分からないが全体の品のよさを感じた。
京都錦小路の青物問屋の息子に生まれた伊藤若冲は、絵を描くこと以外、世間の雑事には全く興味を示さなかった人物らしい。当然商売には熱心でなく、酒もたしなまず、生涯、妻もめとらなかったとされる。父の急逝により20代で早くも家督を継いだ若冲は、暇を持て余し、画材を買ってきては身近な動植物を観察し、書き写した。それにも飽き足らず、神社仏閣で絵画を借りては模写する日々。40歳で早くも隠居し家督を弟に譲り、画壇デビューというのが略歴である。そんな若冲の『葡萄図』『猛虎図』『旭日雄鶏図』『群鶴図』『鶴図屏風』『芭蕉雄鶏図』『鶏図』『鯉魚図』『伏見人形図』『花鳥人物図屏風』『鳥獣花木図屏風』など、実に格調高く、収まりがよい。水墨画もあるが鮮やかな色合いのものも多い。同じひとが描いたとは思えないほど、あれこれ個性がまったく違うものばかりである。これだけ並ぶと壮観である。『花鳥人物図屏風』は水墨画12枚を貼り込んだ押絵貼屏風。2扇ずつが向き合うように構成されている。筆の動きが簡単なのに美しく、しかもいまにもそこで描いている若冲の筆の動きが見えそうだった。ほかに人気なのは『鳥獣花木図屏風』。これは方眼の桝目を埋めていく「桝目描」という技法を用いたもの。桝目数一隻焼く43000個!ひとつひとつが画面に移るドットのようで、鮮やかな色で描かれた動植物は今にも動き出しそうだ。まるでテレビでアニメを見ているようなそんな気にさせられた。
四階のギャラリーで、さらに江戸絵画の大放出。菱川師宣、竹田春信、勝川春英、蹄斎北馬、酒井抱一、柴田是真など。柴田是真の『百福図』なんてとてもかわいらしい。鈴木其一の作品も多かった。すべてを含めてよいものを見た。
見終えて階段を降りていると、フロアから隣接する建物が見えた。ほどよい景観の立派な建物である。なんだろうと思い、覗くと向こうの建物の大きな窓のいくつかにアルファベットが見える。黒字のゴシック体で「L」。その次が「○」(○の中身は金色)。次が「U」でまたゴシック体の黒。となれば次は「V」だ。ここまでくれば、そこがルーヴル美術館展の会場だということに気づかない方が難しい。こちらも最終日。ここまで来て気づいたのも何かのご縁。ということで、いきなり美術館はしごである。
会場が京都市立美術館の『ルーヴル美術館展~古代ギリシャ芸術・神々の遺産~』も、今日まで。実は展示よりも建物見たさに近寄ったのだが、まあせっかくだし、中身も見てみることにした。題目が示すとおり、ギリシャの芸術が並んでいるが、実はあまり興味がないというか、当方かなり暗い方面なのだ。アフロディテ、ニケ、ソクラテス、アリストテレス、アレス、運動競技者まであった。どれもこれも数年前のルーヴル美術館で一度見たっきりの間柄。再びこの日本で会えるとは思わなかったものよ。それにしてもひとが多いなあ。さっきよりもはるかに多いなあ。やはり日本における芸術の人気は、断然西洋寄りなのだろうか?日本には日本の、こんなにいいものがたくさんあるのに。
ギリシャ彫刻や彫像などの多くから、主に肉体美を追及したような艶かしいラインを見せつけられた。よく知られた話だが、ギリシャの運動競技は裸体で行われた。そのため、そのラインが崩れることなく彫像されていることは当然ですかね。美しいとはこういうことか?背中が美しいのはいいですな。仏像とはまた違った味わいもあって。でも、やっぱり仏像のほうがいいなあと思う秋。
二つの、まったく性格の違った展示を見終えて四条河原町へと戻る。そのまま錦商店街へ。漬物や乾物や天ぷらやなどを見ながら、ようようと歩く。なぜだか知らないが、この通りが好きだ。どれだけ疲れていようと京都だなあとわけのわからないことを感じる。京都に来るといつも立ち寄る。錦・高倉屋で漬物を買う。今回は壬生菜の浅漬けと静紫の浅漬け。ちらっと横に目をやると、糠床を探るご主人。横顔に見覚えがある。よく見るとバッキー井上さんだ。これまで何度もお店にお邪魔し購入しているが、まさかお店に出られているとは思っていなかった。だから「ご無沙汰してます」の次は、「お店に出られてるんですねえ」という今思えばいささか無礼千万な言葉だった。言い訳するわけじゃないが、バッキーさんは、あのお店をプロデュースするがための言葉を駆使し、操る方であって、実際売る側に回っておられるとは思っていなかったのである。ともあれ久しぶりなので、丁重にご挨拶し、失礼してくる。とってつけて言うわけではないが、ここのお店の漬物はほんとにおいしい。嘘だと思うなら一度ためしてください。ほんとにおいしいですから。
帰りは再び阪急電車に揺られる。若冲のあの印象的な色使いが忘れられず、いつも近くで見られるように、携帯の待受画面を「紫陽花双鶏図」にした。これでしばらくは鶏と一緒だ。
11月4日(土)
連休二日め。といっても普段の同じこともある土曜日。
11月3日(金)文化の日
手塚治虫を偲んで。
11月2日(木)
先日29日に行われた、本田秀伸選手の再起戦の様子を映したDVDを見たいです。欲しいです。(勝ったそうですし!)
11月1日(水)
「あと二ヶ月」と言われる日になった。
10月31日(火)
慌しかった10月も、今日で終わって今夜はハロウィン。
10月30日(月)
昨晩の就寝が早すぎたのか、今朝は5時半に目が覚めた。それでも逆算すれば9時間の睡眠時間。よく寝ているにはよく寝ていることになる。ぐーぐー。
よく眠った日の朝は目覚めがよいか、そのまますぐに起きるか、そのまままどろんでいるかのどちらかだ。
そのまますぐに起きていればいいのだが、今日は布団のなかでごそごそと二度寝。それでも7時には再び起き出して、活動を始める。
夕方から講義一つ、稽古二つに参加して、帰宅。どっぷりと疲れた。
録画しておいた『のだめカンタービレ』を見ながら、再びまどろむ。まどろみの日。
10月29日(日)
應典院の第46回寺子屋トークの「死者とのコミュニケーションは可能か」を聴きにいく。対談講師は釈徹宗先生と内田樹先生のお二方。
「現代霊性論」的な流れになるのかと思い、馳せ参じた次第である。
馳せ参じたといっても、実際は翌日までの学祭と打ち上げで、ちょっとよろよろしている。充分な睡眠がとれていないことはたしかだ。顔がどんよりしている。それでも應典院へ行ってみた。
講演を拝聴し、とても強く感じたことがある。恐れ多くも宗教観が同じであるということ、あるいは似ている、同一視できる、異論がないということが、自らが関わる人間に、最も重要かつ必要なことではないだろうかと思った。それが一緒じゃないとちょっと苦しそうな気がするのだ。
衣食住も宗教的観点から捉えることができるだろう。さしてあまり違いの目立たない、あるいは違和感がない、居心地の悪くない感じがあれば、それで満足だ。そういう相手とは実際長続きするようなそんな気がする、そんな秋の午後だ。
さすがに疲れて、午後9時には完全就寝。
10月28日(土)
演武会二日目。
今日も今日はでゆるゆると、楽しんだ。
演武会後は打ち上げ。
みんなが出て、がんばったあとの喜びも大きいのか、片付けたあとの疲れが出たのか、祭りの後の静けさか、学生のみなさまは、どっと笑って、喰って、飲んで、はしゃいで大騒ぎ(各人のゼミやらクラブの予定で参加できなかったひとが、お気の毒)。
静かになったのは、宴途中の演武会ビデオ上映会の一瞬だけ。そのときですら、拍手喝采大喜びの連続の演武が画面上に流れていた。ほんとうに静かになったのは、おそらく誰もが退散してからのちの、ずっとあとのことだろう。ほんとうに「祭りのあと」である。
内田先生、ありがとうございました。
10月27日(金)
学祭初日。演武会も初日である。
ここ数年、演武会ではさまざまな「色物」(※)をさせてもらう機会に恵まれていた。しかしそれからしばらく経った今年、残された「色物」が少なくなってきたということに気づいた。(あとやっていない技といったら、座技、半身半立、返し技、三人掛け、四人掛けくらい…である)。
そこで今年は、これまでも一度もやってことのない逆半身片手取りと行うことにした。
取りがひとつ、受けがふたつ、杖の打太刀、師範演武の受けで出させていただく。光栄。
(※)色物:合気道の技には、杖や太刀、短刀、座技、二人掛けなど、いろいろとパフォーマンス度の高い技もある。大学三回生メインにこれらの難易度の高い技を演武会で行うのが我が部の伝統である。演武会だし、お祭りだしということで、毎年あれやこれやの技が披露される。局地集中的な技の総称であり、決してお色気ムード満載の演武のことではない。
10月26日(木)
「明日から演武会」。
そう思うと一年があっという間だ(というふうには、実はあまり感じていない)。
「ああ、今年もこの季節が来たなあ」と思うと同時に、その場に足を踏み入れ、準備やら稽古やらで、あまりそれ以上の感慨深くなる暇がないのだ。
それに学祭演武会前日は、準備段階からどんどんテンションが上がってきて、緊張感が漲ってくるので、ほんとうに忙しいのだ。
そういや明日は太刀もする。昨年に引き続き、これも本邦初公開だ。