3月31日(金)
自己都合により退職。お世話になりました。
3月30日(木)
「闘病記」は、どこの世界にも存在するのだろうか。少なくとも日本においては、そういうものを読む文化があるのだろう。「闘病記」というジャンルがあるくらいだし、読む人もいるし、たとえ読む宛先がなくとも書く人はいるのだから、というような話を以前どこかで聞いたことがある。たぶん。
「闘病記」には程遠いかもしれぬ。のちのちの記憶のために、メモ程度に書いてみた。
いやあ、だんだん暗くなるねえ。
やですねえ、暗いの。わたし、暗いの嫌いなんです、根が明るいので。
すべては、「うっきーの愛せなかった仕事」のせいよ、きっと。
■
昨年の六月、尿道結石と診断される。腰でもなく腹でも胃でもない、どこか内臓あたりに痛みを感じ、最初は内科に行く。精密検査を受けるように言われ、夏休み最初に出かけた総合病院である。
実を言えば、検査のとき、「命に別状があれば、昨日までに会った人ともお別れだな」と真剣に思った。部屋は片付いているなとも思った。
結果を言えば、検査のときに想像したような悪いことは起こらず、元気に回復を見せた。特別な原因は見当たらないが、癖になるといけないので充分な注意が必要と言われた。
夏休みの頃は、大きく身体を壊すこともなく、なんとかかんとか過ごしていた。
九月の終わり頃から慢性的な風邪に襲われる。
続く十月、十一月、十二月と喉の痛みがずっと続く。
風邪と診断されるがいっこうによくならず。処方された感冒剤が効きにくい。もともと効きにくいのだから、飲んでも効くはずがない。
十月には肌荒れが目立つ。
最初は、栄養が悪いのだろうか(よく食べているのに)、化粧品が悪いのだろうか(とても薄いのに)、睡眠不足だろうか(悪いやつほどよく眠る)と思ったが、どうもそうではないらしい。これまでの健康体イメージゆえに周囲の心配の声も多い。目の周りも赤く、酷く荒れ、腫れる哀れな姿。
十二月中旬、遂に高熱を発して一週間ほど寝込む。
最初は喉から、そして身体がだるくなり、熱の日々を過ごした。この数日は、ほとんど記憶にない状態。
年末年始は、かろうじて休養。
新年明けてまた高熱を発し、一週間ほど寝込む。
症状は年末のものと似通っていたが、さらに強い悪寒を感じる。食欲ももちろんない。インフルエンザでないため、出講停止扱いにもならず。
体力が一時的に落ちていたのか、一月下旬、湯上りの脱衣場で倒れる。幸い怪我はなかったものの打ち身が酷く、しばらくは瞬きすると痛む。
二月は静かに過ごす。下旬頃、ようやく日常的な思考や笑いができるようになる。
三月初旬、再び喉の痛みを覚える。
三月中旬、再度、肌荒れが目立つようになる。下旬には治る。
三月下旬、いきなり花粉症。
■終わり。
3月29日(水)
「昼ごはんを一緒に食べるのもこれが最後ですね」と言われて気づいた昼の味。
3月28日(火)
花粉症のような症状に襲われ、終日くしゃみ。
3月27日(月)
夜は、宝塚にて学長主催のお食事会に出席。
3月24日(金)~26日(日)春合宿
春合宿に行く。いつもの神鍋へ。
初めて合宿に参加してから早くも7年が経つ。
数年前に一度、「下川先生の出られるお能の舞台を拝見する」という事情により、秋合宿初日の夜に到着した以外は、すべて参加している。
数えてみると参加回数14回。参加し始めてからは、ほぼ皆勤である。
今回は、朝の集合場所の芦屋に着く頃から、既にテンションが高い。
それは気のせいではなく事実である。
日常とは違う世界へ行く、という気負いというか喜びがそうさせるのだろう。
ここしばらく「普段を過ごしているわたし」をご存知の方からすれば、到底想像もつかない姿であるだろう。
またもや荒れ狂っていた肌の調子も、合宿が終わる頃にはころっと治っている。現金なものだ。
皮膚科に勧めたいくらいである。
「あのー、ご存知ですか?『合気道療法』ってのがあるんです」。
二日目には審査を受ける。
審査は級から段へ、それも若い方から順次進められていくのが常である。よって、三段の順番が来るのは、最後の最後。
審査は、先輩エグッチと一緒に受けることができた。随分しあわせなことである。始めた日には、こんな日が来るとは夢にも思わなかった。単純に「うっきーの欲望」とも言われる。でも、思いが募って叶うなら、思う力は大きいと思う。
審査を受け、無事に三段を頂いた。
内田先生から、お褒めのことばをいただいた。
ありがとうございました。
今後とも精進いたします。よろしくお願いいたします。