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トドも凍る一月

2月3日(金)

 節分なので流行の太巻きを食べた。「ちょいと今日は見かけどり?」なんて思いつつ、恵方の南南東に向かって、口を大きく開いて食べてみた。おいしかった。
節分の豆を買って食べた。眼をつぶって、何も見ずに掴んだ豆の数が数え年と同じなら、縁起がいいと聞いてきたので、今年もそうしてみた。眼を開けて、数えてみると、その数なんと56。いったい幾つなんだ。


2月2日(木)

 水曜ではなく木曜に、スイスに行ったひとたちは、戻ってくるのが一月後。すーいすいと何するのだろう。すーいすいすいっとイスの上にでも座るのだろうか。なんて、ばかなことをやっと考えられるようになったのは幸いだ。


2月1日(水)

 さてと、2月だ。


1月31日(火)

2006年の1月ほど、1月という時期を長く感じたことはない。
この1月を振り返ると、出てくる最初の声はやっぱりこれだと思う。
昔から「1月ゆく、2月逃げる、3月去る」などと言うわりには、そんな感触はどこにもなかった。わたしにとって、この「1月」は、「ゆく」どころか「滞る」だった。

長く感じたのには、それなりにいろいろと理由があった。思い出してみると、やっぱりいろいろ出てくる。理由のひとつは風邪をひき、大熱と闘っていたこと。風邪により出足が遅れた。仕事も、新年も、稽古も、何もかも。そのうえ実際病気だったのだから、身体の調子を取り戻すまでの時間がかかった。「本調子」という言葉を使えば、その到達点までがかなり遠い。歩くのも、食べるのも、話すのも、書くのも。身体がどこにあるのかわからなかった。いまでもまだ「本調子」のところには行き着いていない感がある。
もうひとつは、毎年誕生日前後の頃というのが、まったくもって状況がよくないになるということ。星の流れがよくないのか、宇宙の流れに悪い位置にいるのか、何なのかは知らないが、日常にせよ、自身の身体の具合にせよ、状況がうまく運ばない。
「毎年うまく運ばないから、『またこの時期が来たなあ』と思うことで、逆に自ら暗示をかけているのではないの?」
もしかしたら、この手の声が飛んでくるかもしれない。しかしそのようなご心配には及ばない。そんなことは決してないのだから。というのも誕生日の前後の時期が来るまで、その一年前のことを思い出すことなんて、ほとんどないからだ。それにほんとうに流れが悪いのだ。「星占い」のようなもので実際に月の流れがどうのこうの、なんてのを見てみると(ほんとうにこういうときに限って見てしまう!)まったくもって、月の流れが悪いらしい。もう真っ黒。ツキもどこへやら。さっきまで快調に走っていた車が、突如現れた雪の壁に突き当たり、急にうまく走れなくなったみたいに事態が滞るのだ。
さらにひとつは、稽古がないのに残業ばかりがあることだ。大学の試験期間中とその前後は、クラブの活動が禁止される。よって、学内での活動は一時期停止となる。中学や高校のときと同じで、うっかり活動すると、試験期間が終わっても施設や会場の使用許可がおりなかったり、活動停止の罰則が与えられたりする。だから、好き勝手に動くわけにもいかない。大学の一般入試も月末にあるので、これまた学内では好き勝手に動くことができない。稽古をしていないとかなりのストレスになる。幸か不幸か、風邪で体調も芳しくない時期があるとはいえ、何か今までのスケジュールをがらっと変えたみたいで、思うように前に進まない。
そんなふうにして、体力が落ちたような気にさせられているところに残業だ。
病み上がりには日常のこまごまとしたことでさえも、たいそうきつく、しんどい。原因不明のままに胃が痛い。いや、身体への不調の原因と思われるものは、ほんとはちゃんといくつかあるが、本当のことをまとめて書くと、心身ともにさらに不快な気分に襲われ、疲れてくる(ほんとやだね、こういうの)。よって省略。
とにもかくにも、こうして異様に長い1月が終わる。
あと、今月一番多く口にしたのは、餅ではなく、風邪を始めとするあれやこれやの薬だということだけは、辛いながらも書き留めておこう。


1月30日(月)

月曜日は憂鬱だと、わたしは思うけれど。


1月28日(土)・29日(日)

くえを食べに白浜に行った。肉みたいな魚だ。くえくえくえ、チョコボーール。


1月27日(金)

月曜日、23日。昼間に会議。身体に悪い。残業。
火曜日、夕刻、すこし残業。何とか三宅接骨院にだけは、よろよろと辿り着く。その帰路、心身ともに嫌な寒気がする。
水曜日、残業。頭がうまく働かない。解放されたのは、『ミュンヘン』もとっくの前に始まった頃。ううっ、涙。
木曜日、身体に悪い時間を過ごす。身体によい時間を過ごしたいのだが、残業。
金曜日、明日からの準備をしている暇など、ほとんどなかった一週間だったことに気づく夜。残業。


1月22日(日)

身体のどこかが壊れそうだ。


1月21日(土)

久しぶりの外出。ていうか稽古です。ううっ、世間の風が目に沁みるぜ。


1月20日(金)

今日は新年に入って初めての金曜日だ。
先週は、まさかの高熱で遂にダウンし、昼夜問わずに倒れこんでいた。40度近いとも噂されるそれはほんとうに近年まれに見る大風邪だった。ずっと熱を高いままに維持し続けている。平熱が非常に低い35度5分あたりなので、40度近くなるともう世界は宇宙空間である。かくいう、いまでもじつは本調子ではないのだが、普段が「元気」に見えていたことが、今日までのわずかな時間のなかでも、ほんとうによくわかった。病み上がりの、あるいは病床のなかにいて、掛けられる声のほとんどが、「元気がなくなった」「元気がどこかへ行ってしまったみたい」「元気が消えた」「なんだかしぼんだ」だったからだ。「いつも元気に見えるから、医者に行っても治療を簡単に済まされてしまうんじゃないの?大げさにでも言いなさい」といった冷ややかな指摘もあった。ふーむ。わたしは、元気な子だったのだ。まあ元気が一番、カステラ二番。だとすりゃ、三時のおやつは文明堂か。
でも結構病気って、疲れますね。体力いるし。早く元気になるべーい。


1月19日(木)

近くの厄神さんのお祭りがあるようで、昨日今日は、門戸厄神駅から西に続く厄神さん界隈にもたくさんの屋台が出ている。とりあえず匂いに誘われるまま表に出る。ふらふらとした手つきで、たこ焼きを買っているところを友人に目撃された。なんだかわからぬが、気恥ずかしい。


1月18日(水)

ようやっと、まっすぐ歩けるようになった。


1月17日(火)

三宅先生にお会いし、お話していただけることが今の救い。


1月16日(月)

とりあえず日常に復帰。マスクの下には謎の顔。まだ熱が怪しい高さ。


1月13日(金)から1月15日(日)

金曜日。風邪で熱が下がらず。ふらふらとやっとの思いで病院に行って診察を受けに行く。薬を処方されるが、最終的な体力がまだあるように見えるらしく(ほんとはないのだけれど)、あまり強い薬が出ない。何とかリンゴあたりを口にするのが精一杯。だから、「ああ、このまま倒れてどうにかなったらどうしよう。せめてもう少し部屋を片付けておくんだったなあ」とちょっと悲観的な発想が出てきてしまった。その日の夜、遂に実家の母に電話した。内情のみ報告し、実家に戻って養生するか、母が見舞いに来てくれるか、どちらかを選択を考えてみたが、考えられるだけの想像力がうまく働かなかった。
土曜日、日曜日。終日休業。母が来てくれたおかげで、なんとか快方に向かう。


1月12日(木)

十日戎に集まった賽銭を数える「賽物(さいもつ)勘定」が12日、大阪市浪速区の今宮戎神社で始まったと夕方のニュースは伝えている。賽銭の中には小切手もあり、「いい福」や「福来い」をもじった1129円、2951円のものが目立つそうだ。「福よ来い」をもじった29451円。「5ケタの小切手はここ数年ほとんど見なかった。景気が上向いてきているということでは」とは神社側の言い分。9~11日の3日間の人出こそ昨年より7万人少ない110万人だったそうだが、賽銭の総額は昨年とほぼ同じということだから、やはり景気は上向いてきたのかもしれない。
「いい福」をもじって1129円。最初はこれを「1192円」と読み違えてしまった。とっさに、この神社が鎌倉幕府か源頼朝と何か遠縁関係でもあるのかと思ってしまったが、単なる見間違いだった。風邪の、熱のせいだ。しかしそれからも、どうしても1129が「いい福」とは読めず、「いい肉」に見えた。「福来い」の2951も同じことで「肉来い」に見える。何なら「肉恋」のほうがどこか現実味があっていい。「福よ来い」もやっぱり同じで、29451は「肉よ来い」と見える。「肉横井」なら肉屋の横井さんの宣伝になる。


1月11日(水)

「風邪」の「邪」って、「邪悪」の「邪」と同じだった。
急な発熱により倒れる。ウィルス潜伏の確認時間が必要なため、指定された水曜の朝、インフルエンザの検査に行く。結果、インフルエンザでなかった。しかし、それでも風邪は風邪。風邪だとわかったからといって、熱が下がるわけでもなければ、出講停止の診断書を書いてもらいえるわけでもない。熱は下がらない、食べ物は作れない、ボーっとする、さらに熱が上がるで、より不運な状態。ほんとにインフルエンザではないのだろうか?と心底疑ってしまう。こんなにも熱があるのに。


1月10日(火)

火曜日は仕事始め。
出かけるも午後から急に体調悪化。強烈な喉の痛みと頭痛、悪寒に襲われる。体の節々、関節等も痛み、歩くのもおぼつかない。とりあえず用事だけこなし帰宅。途中で内科に寄る。かなりの高熱。よく普通に一日を過ごしていたものだ。


1月9日(月)

ラジオをつけると、一日中プレスリーばかりが流れている番組があった。聴いてみると、ここ数日、プレスリーをすごく聴きたかったことを思い出した。我ながら、ぴったりの選局に感動。こういうとき、すごくうれしいのだ。「ハウンドドッグ」なんて、意味もないのに、今年の歌みたいに聴こえてくる。


1月8日(日)

お能の新年初稽古。
下川先生に年頭のご挨拶をし、謡から初稽古。ぱりっと身を引き締めて臨みたい2006年。今年は仕舞もがんばりたい。がんばるぞ。


1月7日(土)

合気道、新年稽古始および鏡開き。
稽古後、内田先生宅に移動し、御神酒、お善哉をいただいて年頭の顔合わせとご挨拶。

人の「顔」について、内田先生のかなり実体験を含めた印象的かつ実用的な話がなされた(レヴィナスとは関係ない)。大盛り上がりの場では思い出されず、白熱の会話の随分後になって思い出したことだが、わたしは、内田先生のゼミ生を選んだきっかけは、何を隠そう「顔」であった。ときどき誰かに言ったことがある。最終的には「顔」で選んだのであるよ。

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2006年2月 4日 08:52に投稿されたエントリーのページです。

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