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年の瀬に風邪をひく

12月25日(日)

 ケーキを食べ過ぎた。食べ過ぎて初めて、今日がクリスマスなのだと気づいた。メリークリスマス。


12月24日(土)

 合気道をすれば風邪は治ると言うけれど、それはある程度までのことかもしれない。ある程度の限界を超えると(閾値なるものがあるのだろうか)、そう簡単には、風邪も治るものでもないだろう。実際40℃の熱を出して、鼻水垂らしまり、咳とくしゃみでくしゃくしゃになった顔を抑えて、朦朧としたまま頭痛をおして稽古に来た人を見たことがないので判断しようがないが、微熱辺りまでが限度ではないかと思う。

 言葉というのは、実に人に影響与えやすいものだ。誰かが発した言葉の場合、音声が伴うので、耳から伝わった響きと共に言葉は文字と音がセットになって伝わってくる。文章化されたものとして、言葉を読む場合、視覚情報と黙読した場合の無声の音なるものがセットになっている。どちらの言葉が人に影響を及ぼし、影響を与えるのかは、その身体次第であるだろう。わたしは、言葉が身体に刻み込まれ、それとは知らぬ間に無意識に、浸透しているイメージは、視覚の方が強いような気がするが、実際はどうなのだろう。はっとしたり、ぐわっと腹のあたりを、胸の何かをえぐりとられるかのように残っているような言葉がある。それは普段は気づいていないのだけれど、ふと十年前のことが蘇ったり、数時間前の出来事が思い出されたり、一年の同じ頃に同じ場所で同じ時間を過ごしたりするときに出て来ることがある。何かを食べていて、誰かの行動を見て、スズメの鳴き声を聴いて、ある場所を通ると、といった具合に何かの言葉を思い出すというのもある。ほかにも見える景色が言葉を引っ張って来ることがある。それだけに言葉は、繊細かつ豪快であることが必要だ。それは響きとしての言葉という意味において。


12月23日(金)

 ようやく、少しずつよくなってきたらしい。眠りから少しずつ解放される。起きている時間が増えた。


12月22日(木)

 締め切った窓とカーテンからは、表の白は、はっきりと見えなかった。雪が降っているなどという想像は意識のどこにもない。受話器をとる。午前中に病院に行くことを告げるため、電話する。「雪が降っていますよ」といった受話器の向こうの声で、表の寒さを知らされる。午前中は休ませてもらう旨を伝え、受話器を置く。すぐさま慌てて開けたカーテンと窓の外は、真っ白な世界だった。

 夕べは、自分の咳で何度となく目が覚めた。一度咳が出ると、出終わるまでおさまらない。我慢しても静まるものではなく、じわっと喉の奥から痒みのような、空気のような、痰のような、何か得体の知れないものがこみ上げてくる。それを我慢するより前に口が勝手に開いている。咳をすると、腹を使う。腹式呼吸をしているような気分になる。実際腹式呼吸なのだろうか。

先日の風邪の二次感染はすこし落ち着きを取り戻し、今度は咳だけが残っている。処方される薬は、咳止めに力を入れたものに変わった。大嫌いな咳止め薬(水薬)も渡された。「必要になったら使ってください」ということだった。必要なことがないようにありたい。必要がないというのは、考えようによれば、よくなる=治るということでもあるのだから。早くよくなればいい。よくなりたい。

 この時期、雪道を歩くのは久しぶりだ。こどもの頃から、まっさらな雪の道の上を歩くのが快感だった。今日もまた、すこし底の分厚い靴を履いて歩く。病院までの道のりをきゅっきゅっと足音をいつもより丁寧に立てながら歩く。歩くと、歩いてきた足跡が残る。それは、「わたしがいる」場所であり、「わたしがいた」場所である。軌跡だ。どちらもしっかりとした足跡が残っている。そしていつしか消えて行く。なんだかおもしろい。

 お粥を食べて、薬を飲み、眠る。眠る。眠る。
ここ数日、食べる、薬を飲む、眠る、その繰り返しだ。眠ることで体力が回復し、身体がよき方向へと回復していく。薬の作用で身体のウィルスをやっつけて、食事によってエネルギーを確保する。
睡眠ほど身体の調子を整えるものもないのだろうか。フライング気味に倒れた12月の朝。気づいたのは、今月に入った辺りから原因不明のまま大分ひどく荒れていた肌が、何事もなかったかのように元のようになり、荒れ具合がひいていたことである。

 夕方頃、何度目かの眠りから起きだし、再びカーテンと窓を開ける。もう、ほとんどの雪が解けてなくなっている。乾いた屋根や道路や道や家が見えた。見たことのある風景が戻っていた。今日は冬至。寒く短い冬だ。
わずかに残った雪で、雪だるまを作る。小さく座っただるまはぎこちなくもしっかり足取りで大地を踏みしめていた(って足はないけど)みしっと音を立てながら、その短い命を精一杯生きているかのように見えた。


12月21日(水)

 寝込んで早くも三日目になる。
 それでも昨日と一昨日は、「仕事に行かなーくちゃ」という最後の志が働いて、薬を飲み、正常とは思いにくい量の咳をしながら、悩めるほどの頭痛を抱え、出かけたと聞く。
それが良かったのか悪かったのか誰にもわからない。たぶん数時間で「早退」を判断したのは間違ってなかっただろう。そう思う。だって、咳をすることで、周りの人にうつす可能性があるし、咳も遠慮しがちになる。咳は遠慮しがちにできるものでも、努力して止められるものでもない。咳が出たら最後だ。むせて咳をする以外に手はない。それに当の本人が薬と熱のせいで、頭がうまく働かず、ほとんど仕事にならないだろう。あと喉が痛いので話をしにくい。しかしまあ、こんなときに限って遊びに行ったものだから、結局は、あのジョンがウッキーの世話をすることになったってわけだ。

 ウッキーの声は、心もとない声というより、だみ声、あ、いや、違った。ハスキーボイスってやつだった。だから、かなり渋い声で迎えてくれた。今だから言うけれど、一瞬、部屋を間違ったかなと思ったんだよね。出てきた顔が何度も見たあの丸顔だったから、まあ、よかったけれど。

 ちょっと前の竹内まりやの歌詞にこんなのがあった。ジョンは犬だが何でも知っている。だって、この世界はおもしろいのだから。
歌詞というのは、これ。「瞳と瞳が合って指が触れ合うその時 すべての謎は解けるのよ」というやつだ。すこし前ドラマの主題歌になった。見てなかったけれどね。
哀れなウッキーの様子をこれに当てはめると、瞳と瞳が合うとよろよろしていたし、指に触れると熱っぽかった。すべての謎が一瞬にして解けるかのように、症状がかなり重いことが察知できた。風邪如きでは、竹内まりやの歌のようには、そうそうロマンチックにもなれない。(しかしあの歌に登場する女の人はかなり都合がいいね)。

それにしても。いつもバカみたいに騒いで元気なヤツが風邪をひくと、こうまで極端に体力が落ちるのかい?それともボクが知らないだけで、風邪をひくと大概のウッキーは、こうやってよれよれになってしまうかい?

 風邪は十月の半ばからずっと引き続けているらしい。この十二月になってもまだしばらく続いていたようだ。それでも十一月の終わり頃、回復を見せ始め、ようやく本調子になり始めた。それが先週の半ば頃から、今度は深く突き刺さるような喉の痛みを覚えるようになったのだという。平熱が低いとはいえ、今回は熱も上がり、何かにつけて正気ではなくなり、ぼんやりとしてしまうらしかった。幼い頃から喉はよく腫らすのだそうだ。「扁桃腺」とは、腫らすために腫らすものかと思えるくらい、よく腫らしていて、実際生まれたときよりも随分免疫力が向上しているかもしれないというのが、ウッキー本人の独断的推測だった。喉を腫らしていても食欲がある。食欲があるから、よく食べるし、薬を飲んでも使うエネルギーをすぐに補充することができる、だからわたしは回復が早い、と言うのを聞いたことがある。今回もそう言っていた。だが、これをだみ声で言われても、どこか説得力に欠ける。そう、風邪をひいたウッキーからの話す声はすべてだみ声なのだ。

さて、こんな症状の中、訪ねたジョンは結構感謝された。急な来訪者が病人に感謝されるのも申し訳ない気がしたが、感謝されるのは悪い気はしない。でも、不器用で何にも食べ物を作ってあげることができないものだから、とりあえず困ってみた。そして、とりあえずレンジで暖めてすぐ食べられるようなインスタント食品をいくらか買い込んできた。リゾットとパスタ。それからブランデーケーキとスープ。あとは、水分をよく摂るようにと、みかん、清涼飲料水、紅茶、コーヒーといったものを用意した。思えばこれまで、ほとんど一緒に食事をしたことがなかった。だから、ウッキーの味覚がどういうものかは知らなかったけれど、あてずっぽうに選んだリゾットを「おいしい」と言ってくれたとき、ジョンはとてもうれしかったんだ。


12月20日(火)

 風邪につき再び早退。


12月19日(月)

 風邪につき早退。


12月18日(日)

謡うに謡えない。実際、声が出ないのだ。
 熱も徐々に上がってきて、身体の不調や闇が一気に毒出しているようである。
 まだ肌荒れが治らず、喉の痛みは引かない。咳は出る、頭痛がする。眠気がする。吐き下して、寒気を感じる。食欲だけがかろうじて少しあるが、いったい、いつ治るというのだろう。このままでは年末には、倒れてしまいそうだ。


12月17日(土)

 本日の予定は、本年の稽古納め→甲野先生の講習会→懇親会兼納会。
 前日から今日にかけては、仕事→クリスマス礼拝→帰宅→年末恒例の会合。
この会合とは、知る人ぞ知るあの「裏演劇部」が活動する年に一度のパーティのこと。
恒例どおり夜中まで騒いで(上演されて)いたので、風邪など治るはずもなく、勢い声は低くなる。終演頃、遂にはオクターブ下のハスキーボイス現象が起こる。つまり、喉がかれたということ。いや、実際本格的な風邪をひいているんだが。時が経つほどに低くなる声。そして、時が経つほどに盛り上がりを見せる会合。夜中の3時半が「早かったね」というみんなの挨拶になるのだから、以前はいったい何時だったのだ?といった疑問を抱かせてしまうだろう。最高記録は、「朝日を見る前」としておこう。
さて、こうなってくると、ほんとうに、声の低さをテノールだなんだと喜んでいるわけにもいかない。次はバリトンかなどと目標を定めて楽しんでいる場合でもない。声が低くなると話をしても、電話しても、「わたしがうっきーである」とわかってもらいにくい。説明しても、その説明する声が低いのだから、誰か別人のように聞こえるからだ。それはまた難儀な話しである。
 明日はおそらく倒れるだろう。喉はいつ治るだろう。風邪は。


12月16日(金)

 クリスマス礼拝に行く。
 夜の礼拝は人気があって、チケットは抽選制になっている。
幼い頃からかなりくじ運の悪いわたしは、かなり競争率の高いとされるチケット入手など簡単にできるはずもない。
行きたいけど、行けないなあの年月を何度となく涙を飲んで過ごしてきた。
今年は、チケットが当たったけれど、行けない人に偶然にも譲ってもらうことができた。かなりうれしそうに礼拝に出かける。
 荘厳だった。礼拝とは。生演奏だし、音楽はやはり心を豊かにしてくれると思う。


12月15日(木)

 遂に風邪を引きました。
これまでの3ヶ月ずっと引き続けている風邪とは、また違う喉の痛みがあります。深く痛みます。痒いです。本格的な痛さです。扁桃腺でしょう。痛すぎで、話すのも億劫になってきます。


12月14日(水)

 討ち入り。やあー!


12月13日(火)

 ことしも出るぞ、音楽隊。ことしも吹くぞ、リコーダー。やっぱり忘れてならぬのは、いつでもどこでもアルトなのだ。声もアルト、吹くのもアルト、あるとないとは大違い。
でも、実はテノールなのですよ、この声。わわわわわー。

かつて、これでも聖歌隊に所属しておりまして、クリスマスシーズンになると老人ホームや施設、ホテル、イベントなど、各地にクリスマスキャロルと共に、それこそ駆け回っていました。かなり真っ直ぐな暖かな気持ちで、「クリスマスおめでとう」という気持ちを込めて、冬の時代を過ごしていたのです。
イベントシーズンが近づくと、歌の練習も過熱してきます。連日夜遅くまで熱心に歌の稽古を詰めていきます。各パートも如何にして、荘厳な響きを出すか、聴かせどころはどこなのか、いろいろと工夫も凝らしていくわけです。
時には、指揮が大層お好きな先生が歌の指導に来てくださいました。学内の先生です。その先生は、学生時代に自らグリークラブで所属されていたこともあるらしく、大学進学にあたっては、指揮者をめざすほどに熱心に歌の世界に邁進されていたとうかがったことがあります。指揮者といっても、今流行の千秋慎一くん(@『のだめカンタービレ』)のようなイメージではなく、もうすこし柔らかなイメージですので、誤解なきようお願いします。その先生の指揮は、やはり情感たっぷりに、実にわかりやすく指揮してくださるものでした。
あるとき、その先生が指導しながらわたしに、とあることを注文されました。「ちょっと、この音出してみて」と言われるのです。そう言われながら先生が叩いた鍵盤は、鍵盤のかなり左の方、つまり、かなり音が低い音でした。わたしは鍵盤の音に合わせて声を出しました。そのまま先生は、どんどん叩く音を下げていきます。わたしは、その音に合わせてどんどん声を出していきます。五線譜に音符を書いたときなら、五線譜の一番下の線は通り越し、「ド」が一番高いくらいの音になっていたのはたしかです。先生の叩く鍵盤の音を聴いては、わたしは声を出しました。ある程度の音を出し、声を出すと、先生は言われました。「君、テノールや。これは売り物になるぞ」と。(先生がその後、続けざまに「僕より低いなあ」と、ぼそっとしかし確実に言われたことをわたしが聞き逃すはずはなく、しっかりと記憶してしまいました)。
道理で、それまで同じパートと思ってきたアルトの人たちがいつも、いつでも、かなり苦しそうに歌っていたはずです。時には、音が出ないと言って、自暴自棄になり、歌うのを飛ばしている人もいました。なんで出ないのかと、わたしにとっては不思議だったのですが、これで謎がすべて解けました。わたしがアルトだと思って歌っていた部分は、テノールの音で、アルトはその上にかかれた旋律だったのです(ごめんね)。出ないのは当然といえば、当然のことでした。ふつうは。
こうして、その後、わたしのパートは、わたしだけが歌う部分となってしまい、ひとりテノール時代が始まるのです。あとは、ふつうに、ソプラノ、メゾソプラノ、アルトを歌っていました。考えてみれば、この聖歌隊は、女子大の学生が形成するわりに、一時期、混声合唱になっていたわけですね。

 わたしの音声話はこれくらいにして、その「テノールだ」と言われた先生にお声をかけていただき、今年も学科別クリスマス担当礼拝に出ました。今年で何年になるでしょうか。毎年出ているので、それが自然のようになってきて、今年もこの季節が来たなあと思って過ごしています。毎年同じ時期に同じことをするのは大好きですね。しつこいかもしれませんが。
それでも礼拝は、ちょっとだけ厳かな気分になれるから、いいものです。


12月12日(月)

 胃の痛みが治まらぬまま、不貞寝。胃のすべてが痛い。身体もぎしぎし言うようだ。


12月11日(日)

 原因不明の胃の痛みに襲われる。
 常備していた胃薬を飲んで、一時の難を逃れるが、また何時再発するかわからない痛みである。ストレスだろうか。


12月10日(土)

 もうお肌か荒れる、荒れる。やんなっちゃう。
もしかしてストレス?これ?ストレス?もしかして~。


12月9日(金)

 真面目にこつこつ生きました。ほとんど笑うこともなく。ああ無表情。


12月8日(木)♪いまーじん おーる ざっ ぴーっぽーおおおおお~

 成道会ですってさ。今日は。
久しぶりに読もうかな、『ブッダ』なんて思いつつ、手に取るのはやっぱり『アドルフに告ぐ』の方がいいよねと思って本棚を見たら、なぜか見当たらなかったので(わーん、どこにいったの!)結局読むのは『ルードヴィッヒ・B』なんだよね、これが。だって、この前の研究会で話題になって、ちょっと質問に窮したからなあ。ちっちっちっ。


12月7日(水)

 大雪ですってさ、今日は。
 「おっかあ、おら、だいこんが食いてえ。『だいこんめし』じゃなくってさああ」

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2005年12月26日 10:32に投稿されたエントリーのページです。

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