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冬!

12月6日(火)

 一昨日あたりから、冬!って感じがして、あっついなあと思いながら乗っていた電車の暖房も必要だなあと感じられるようになった。思うより、感じる方がいいね。こういうところでも。


12月5日(月)

 いろんな動きが難しい。なかなかうまく動くことができません。でも、どの動きがいまは、一番難しいのかは秘密よん。


12月4日(日)

 す、す、す、すごい雨です、雷です。


12月3日(土)

 同志社大学前の「わびすけ」にて、「いもねぎ」を食す。
 本願寺出版社のフジモトさん曰く、「同志社大学の前で、いもねぎを食べましたよと言えば、同志社では誰もが反応してくれます」というくらい、巷では有名な食べ物らしい。(現にM先生はご存知であった)。
 わたしは、「いもねぎ」なるものは初めて食べた。
じゃがいも、たまねぎ、卵、ミンチといった至ってシンプルな素材を使って、フライパンぐらいの大きさに混ぜ込んで焼いたものである。じゃがいもは3ミリほどのスライス、たまねぎは5ミリほどのぶつ切り、ミンチはみりんと醤油と砂糖で薄味に甘く煮込んであるのか、円の中央にかけるようにして添えられている。それに、ごはんとおつゆとおつけものでいただく。食後にはコーヒー。生憎食品の撮影をしていないので観賞は実際に食していただく以外に手はないが、素朴な色合いと素朴な味付けであったことはお伝えできる。ときおり欲する種類の味だと思われる。うちに帰ったら、きっと真似てつくってみるだろう。(ということで、翌日の昼は早速自前で即席「いもねぎ」を再現)。
 どういう理由かはよくわからない。ネーミングに惹かれるのか、喫茶店の渋さや佇まいに惹かれるのか、あるいは「場所」がよいのか、次から次へと客が来る。わたしも、できれば、そのままずっとそこに座って、本を読んでいたいくらいに景色も心地もよかった。京都の静けさと独特の雰囲気を思う。京都はやっぱりいい。

 同志社大学も同志社女子大学も紅葉が翳り行く季節であり、クリスマスが近づく頃である。どちらもきれいな校舎や清閑な佇まいがある。
いくらか散策しながら、日本イスラエル文化研究会研究例会の会場となる同志社女子大学のほうに行く。こっそりと誰にも気づかれないようにそっと会場に入ってみたのだが、すぐに誰にでも気づかれた。さほどにわかりやすい顔なのだろうか。着ていた赤いセーターの制だと思いたい。

報告は山本尚志さんの「カスペ事件再考・ハルピン昭和8年のピアニスト誘拐殺害事件」、内田先生の「レヴィナス『時間と他者』を読む」。踊るような内田先生のご報告を拝聴するうち、何だか身体が動いてしまっていた。複素的身体のあたり以降。
 研究会終了後、通称イス研の会員のみなさまに混ぜていただき、打ち上げへ。実に暖かな実り多き会だった。暖かい場所だった。
帰り際、ユダヤ研究の大家であられる宮澤先生にご案内いただいた同志社大学のクリスマスツリーイルミネーションを拝見し、実に壮大な雰囲気を味あわせていただいた。拝見しながら、すごく大きな木の下にすっぽりとおさまる。まるで星の中にいるみたいな気分になった。今日一日、ずっと夢の中にいるような気分だった。

Photography by Fujimoto


12月2日(金)

 それはそれで金曜日だったわけさ。


12月1日(木)

 今日は木曜日だ。あいやー、そして12月だ。
 そんなこたあ、わかってるってさ。また、そういうわかりえたことを言うだねえ、おめえさんは。

夜からの朝カルに駆けつけるべく、たらりっと一日の仕事を調子よく素早く切り上げる。
そして会場に向かう。会場までは、講演者の先生とご一緒させていただいた。なんとも不思議なものである。歩いていると、「あれ?」といった具合に行き先が一緒のところに出会ったのである。
先生にとっては、今度の講演は、3回目の使いまわしのネタで、「何度も同じ話を使い回しているから『芝浜』」ということらしい。だが、わたしにとってもまた、過去2回の会場に足を運んだわけではないので、初めて聞く話である。ということで、久しぶりの朝カルは誠に新鮮かつ斬新なアイデアで満ち溢れていた。際どい指摘に驚いた。
夜風が急に厳しく冷たくなっている。そろそろ本格的な冬支度が必要だな。


11月30日(水)

 先週から、“The Royal Ballet School of Antwerp/Belgium”(ベルギー/アントワープ・ロイヤルバレエスクール)つまりは、ベルギー王立バレエ学校から、14名のバレエダンサーが来ている。
夜は、そのダンサーたちのコンテンポラリーダンスを観に行く。
とてもしなやかな動きのなかに、足と手と腰と腕と頭と首とがある。
 すべてが連動し且つ離れている。忘れることなく全体且つ部分が動いている。
 どこにもゴツゴツしたものがない。身体って不思議だ。
 いろんな高揚感と躍動感を感じた。ほかにもさまざまなコンテンポラリーダンス。身体には際限がない。これが第1部。
 
第2部は、集約すれば「コトコリサイタル」だった。紅白歌合戦にやってきた急なゲスト(といっても予め入念な打ち合わせがしてあるが、あたかもそうであるかのように登場するあのゲスト)が、後ろのドアからいきなり登場して第2部が始まるように、あるいは、火曜日に放送されるNHK歌謡コンサートに喜ぶ地方会場の抽選に当たった視聴者であるかのような錯覚を起こさせる歌い手の登場に、驚いた。コンサートは、たいへんにおもしろかった。ある意味ファンになった。


11月29日(火)

 ナマ痛い足である。


11月28日(月)

 疲れがピークに達して倒れる前に、ちょっと立ち止まって、ひと休み。


11月27日(日)

 携帯の画面が突然消える。そんな状況がここしばらく続いている。
携帯を始終手にしているものでもないし(まるで不携帯)、常にメールや電話をしているわけではないが、携帯は必要だから持っている。1日24時間のうち、トータル30分も触っていればいいほうだ。
持っている少ない時間に限って画面が消える。別に携帯を蔑ろにして、電話に無理難題を吹っかけているわけでも、圧力をかけているわけでもないのだが。至って普通に穏やかに使っているのだが。
携帯電話で主に使っているのはメールと電話、それぐらいだ。
数年前、今、使っている機種変更にするとき、電話とメール、それだけの機能があれば充分と思い、携帯電話コーナーを見ていた。何気なく手に取ったものに、文字が大きく、機能がシンプルな機種があった。気に入って、すぐさま店の人に「この文字の大きいのにします」と言ったら、「お客様、それは…」と言って止められた。聞けば、それは老人用に作られたもので、画面の文字が大きく写り、機能も至ってシンプルにしてあるタイプの機種だったらしい。「お若い方なのですから、ちょっとそれは・・・」というのが店の人の言い分だった。でも、却ってその方がいいのにと思った。目も悪いのだし、字が大きいくらいがちょうどよかったのだ。

結局今、使っているのがその時に変更した機種だが、電話とメール以外にもいろいろな機能がついている(インターネット機能、カメラ、ムービー録画など)。そうである。大きい文字のものは、買わせてもらえなかったのだ。
機種の機能をほとんど把握せぬまま、使わぬままに時が経ち、ふと気づけば、電話するために電話帳を繰っているだけで、画面が突然落ちるようになった。メールでも同じような症状(不具合)が起きていた。通信文を打っていると、急にプツンッと画面が消えていくのである。テレビのチャンネルは、リモコンではなく、テレビに付いたダイヤルを「回して」変えていた時代があった。そのテレビ画面を消した後、さっきまで見ていた番組の残像がぼんやりとブラウン管に残るような感じがあった。携帯の消えゆく画面は、その残像ととてもよく似ている。

携帯画面が勝手に消えるといった事態は、実は非常にストレスフルな状況だ。
 それは、何かをしようとしていて、そのしていた何かを途中でナニモノかによって遮られ、見えない魔の手によって切られてしまうからだ。それでもせめて電話がなんとか復帰したあと、履歴や途中状況が電話のどこかにでも保存されてあればまだしも、さっきまでの操作は何もなかったことのように、この世から消えている。
 たかが携帯されど携帯。塵も積もれば山となる。
このなんでもないストレスだが、数が集まればそれなりに大きな負担となる。そんな日々の負担から解放されるため、今日、思い切って携帯機種変更したのである。

それでも最初は、修理に出そうと店には相談に行ったのだ。
修理には電話を預かってから最低2週間、その間代用の電話を持たされる。修理に出しても、場合によっては原因がわからないまま電話が戻ってくることがある。その場合はそのまま返却になるというのが今度の説明だった。「そんなに待つくらいなら、いっそ変えよう。今のも結構長いのだし」と思い直し、修理はやめた。
機種は、最近値下がりしたばかりだとかで手ごろな値段になっていた上、これまで使っていた年月のポイントが発生し、そのポイントが電話受話器代から割引にしてもらえたので、案外安く変更できた。
 しばらくは、新しくなった携帯で遊んでみることもあるかもしれない。だが、せいぜい「着うた」をいじるくらいのことだろう。それ以外はあんまり使わないと思う。できれば、携帯はもっとシンプルなものになればいいのにと思う。


11月26日(土)

 “The Royal Ballet School of Antwerp/Belgium”(ベルギー/アントワープ・ロイヤルバレエスクール)つまりは、ベルギー王立バレエ学校から、14名のバレエダンサーが来ている。
本業はバレエ。滞在中の公演以外に、ほかにもいろいろと日本の文化や芸術、身体運用(ついでに紅葉)なども見学していくのだそうで、今日は、その人たち対象にした「合気道のワークショップ」が行われた。
 朝、新しくできた「ミリアム館」というところに行く。(「ミリアム」とは、聖書の出エジプト記15章20節に登場するモーセの姉の名前。何でもこの人、イスラエルのエジプト脱出を祝して、タンバリンを叩きながらイスラエルを励ます踊りをしたのだとか。実際に見たことがないので、聞いた(読んだ)話しでは、そうなってます。来年度から、この大学に音楽学部に舞踊専攻ができるので、そこが使うレッスン場のある建物の名前になったようです。なお、似たようなことばに「ミレニアム」がありますが、これとはあんまり関係ありません)。
 そのミリアム館で、内田先生によるフランス語による合気道の講習を受ける。
 日頃、日本語で説明されている用語や構造や事柄や身体の使い方を、フランス語の音の中で聴いていると、なんとも言えない穏やかな気分になる。
フランス語もまた、音としておもしろいものなのだ。染み入る感じではないが、響きが悪くない。シャンソンの世界だからなあ。
わたしは、「ろくでなし」は歌えても、フランス語では歌えず、フランス語も、そして、ときどき日本語もうまく話せない。
しかし、そんなことは、ワークショップで組んだバレエダンサーにとっては、まるで知らないこっちゃの話だ。一緒に組んだなかには、ひたすらフランス語で尋ねたり話したりするひとがいる。
日本語で答えようかとも思ったが、国際的にそんなことしても何もいいことがないので、仕方なく一度だけ、フランス語で「わたしはフランス語が話せません」と言ってみた。(Je ne peux pas parler français.)
しかし、これを言うときに話しているのは、いったい何語なんだろう思ってしまった。
「話せない」ことを説明しているのは、その話せないはずの当の言語だからだ。もちろん「話せる」レヴェルを考慮すれば、「話せない」ということしか「話せない」レヴェルでは、「話せる」とはいえないのはわかる。でも、なんか変だ。中学で習った「わたしは英語が話せません」(I am not able to speak English.)を覚えたときと同じような印象を受けた。ところが、これがイタリア語になると、さほど不思議な印象は受けないのである。
Non posso parlare francese.
ん?使っているのが、イタリア語だから当然か。


11月25日(金)

 「会議に懐疑」に1000点。更に倍してドン。


11月24日(木)

 なんだか疲れた。笑うのも疲れる。


11月23日(水・祝)

 ほぼ慢性的な風邪気味で、身体がだるい。
 きょうはいちにち「ダウン」しておく。

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2005年12月 7日 09:52に投稿されたエントリーのページです。

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