9月25日(日)「これはイカですか」
おじい、元気か?
どうせ今日は訳もなく、全国各地をふらふらと、してたんだろうと思うのだけどさ。
メンドクサイシ、どこにいたの?なーんて聞かないことにする。聞いてもどうせ、空なんか見上げるだけで、応えてくんないだろうから。
なにしとんの?なーんて聞かないことにする。聞いてもどうせ、あんこ饅頭でも食べながら、反応示さないんだろうからさ。
来てたの?なーんて聞かないことにする。聞いてもどうせ、いっつものゆるゆるのんびりペースで、歩いたりしてるんだろうからさあ。
今日はいつもより涼しいなあとは思ったので、その風のどこかに紛れてたなら、もう少し風を感じる時間欲しかったなあ。
ま、なにはともあれ、また素敵な秋が来たみたい。
好きな饅頭でも食べとくよ。
食べながら思い出しとくから、またこんどわかるようにやって来てね。
9月24日(土)
ゴンちゃんが来た。
夏休みを利用して帰省しているゴンちゃんが稽古にやって来たのである。
ゴンちゃんは卒業後ずっと東京で仕事をしているうえに、常に忙しい人物なので、年に数回、日本のどこかで顔を合わせるのがやっとである。
久しぶりの今日は時間もあったのか、稽古の見学するつもりでやってきたそうだ。
だが、見ているだけでは身体がうずうずしてきたのか、来て早々に道場を抜け出し、どこからか動ける格好を調達してきた。(のちに近所の「青山」セール品と発覚。相変わらず見事な手際のよさである)。
合宿あとすぐの稽古ということもあって、一段と賑わいを見せる道場ではまた笑いが絶えない。
稽古後は場所を変え、有志がぞろぞろと集っていく。
ゴンちゃんと囲む輪もまた笑いが絶えず、そしてまた誰からということもなく、「変わらないねえ」ということばが出てくる。
「あのとき」といった時間が蘇り、同じ仲間が集う。
つい最近も、似たようなことばを聞いたことを思い出す。
誰にとってもいっしょに過ごした大切な時間がある。そんなふうに思う。
風の強さが、ようやくすこし秋を運んできた日のことである。
9月23日(金)
今まで以上に生きていく気力が沸いてきた。
さああああああ、がんばるぞ。
9月22日(木)
え?残業してる?
なに?似合わないって?
9月21日(水)
まだ睡眠が足りないみたい。
いったいどれだけ夜更かししたのさ、おみゃーさん。
うちに帰ると、倒れるように眠ってしまう。
9月20日(火)
夢うつつ。
どれが誠が現実か。
知らぬ間にやら時すでに明日。
9月17日(土)~19日(月・祝)秋の合宿
涼しさ予想を大きく外した神鍋の暑さは異様だった。
「名色高原」と呼ばれるここは、高原を名乗る気まるで「なし気」配である。
道場となる体育館は、あまりに暑く、あまりに蒸している。
入るなり、むっとした空気が押し寄せてくる。
温度を持たないはずの畳さえも暖かだ。
今回は業務用と思しき大きな扇風機が二台用意されていた。当たり前のように強風に設定されてはいるが、暑さを追いやるほどの威力はないようである。
合宿に参加するようになって、かれこれ7年目になる(つまり13回目)が、暑さのため、稽古の度に休憩が入るのは、今回が初めてのように思う。
暑いので、干上がりも仕上がりも早い。
「暑い」ということはまた、取りようによれば、かつてない晴天に恵まれた三日間でもあったということである。
雨のない日々。これも珍しいことであった。
合宿中日は仲秋の名月に重なったのか、月もよく見えた。
かろうじて二日目の夜から三日目にかけて雨が降ったようだが、夜中のことなので誰も知るまい。
おそらくきっと誰かが珍しいことをしたからだろう。
いや、誰とは言うまい。誰でもよいではないか。稽古に支障がなければよいではないか。
以上のように、秋の神鍋は涼しいどころか寒いかもしれないと踏んで急遽用意した長袖も何の役にも立たなかった。半袖だけが必需品であった。
ふと思い出される三宅先生からの50本のアクエリアス。
あのときの半分が、いま届けばいいのに。何度、そう思ったことだろう。
(わたしはいつでもアクエリアス)。
さってと。
今回の合宿はたいそうな暑さに見舞われたとはいえ、異様に楽しかった。
なんか知らんが心地よかった。
心身共にとても楽だった。
こんなに愉快に過ごせたのは久しぶりだ。
夜更かししたのがよかったのかもしれない。(じつは初めて)。あるいは、いつでも、どこでも、だらだらだらだらしていたのがよかったのかもしれない。
だって、だらだらの最上級ってのは、いつだって至福のときなのだらら。
9月16日(金)
明日から合宿だと思うとうれしくって仕方がない。
軽やかに、ゆるやかに時間を過ごしたいものだ。