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邪道免許皆伝

9月15日(木)

 やっぱり「今日は敬老の日?」なんて、思ってしまう。


9月14日(水)

 申し遅れましたが、先ごろ、邪道免許皆伝となりました。
晴れて邪道をひた走る身となりましたこと、この場をお借りして、改めてご報告させていただきます。

そもそも「邪道」が何であるかをご存知でない方のために、師範より、もっともはじめに定義された説明を加えておきます。

「邪道」は日常の所作のなか、善男善女の心のうちにふと萌すよこしまなる言動に対して段級を認定するものであり、「作為なき悪意」、「汚れなき邪心」の人間的価値を顕彰することを本旨とするものである。
「邪道」の段級は申請手続きを要さず、単にウチダが「邪道初段!」というふうに、その言動を格付けすることによって、本人の同意抜きに自動的に授与される。
今回の合宿では「汚れなき悪意」を連発したウッキーに(とくに「タオルわざ」の鮮やかさへの評価が高く)「邪道三段」が授与された。(中略)
さらに邪道十段位、邪道師範号、邪王、邪帝、邪神など、さまざまな格付けを今後随時発行する予定であるので、会員諸君は今後とも鋭意ソフィスティケートされた「邪悪な言動」の錬磨にこれ勉めて頂きたいと思う。(傍線引用者、『内田樹の研究室』2003年9月22日)

傍線部「今回の合宿」とは、2003年9月に行われた神戸女学院合気道会(当時)の合宿のことを指します。
 「邪道」は、その合宿中に急遽発足したものであり、発足と同時にわたしは「邪道三段」授与されました。瞬く間に昇段し、ひと月のちには「邪道七段」となっています。(決してそれとは気づかぬうちにです)。
 しかし、その後の道のりはなかなか険しいものがあったようです。
記録の残す限りでは、2005年3月の合宿の段階で、それ以前に得ていた段位の「邪道9.6段」から、「日頃のあまりに自然な研鑽を認められ」て、邪道十段となり、「邪王」を允可されたとあります。
約半年後の現在、「邪神」や「邪聖」をすっとばし、「免許皆伝」となりました。(それはめでたくも2005年9月3日付)

「『邪聖』はいつもらえるのですか?」とお尋ねする機会があり、その答えが「『免許皆伝!』」であったことによります。

衝撃の瞬間はここにありました。

さて、これにより、邪道ばかりが先に昇段してしまう昨今の合宿ですが(どうも合宿というような非常に緊密な時間と空間のなかで、わたしは極めてよく覚醒させるらしい)、今回はその日を充分に待つことなく、迎えることになりました。
今週末に控えた合宿では、密かに昇段級授与をして、楽しむといたしましょう。
しかし、純粋にそれを楽しむほどに、わたしは静かに過ごしていられるのでしょうか。すべては神のみぞ知ることになるのでしょうか。


9月13日(火)

 忙しく日が過ぎるばかりが今日じゃない。


9月12日(月)

 夕べ眠れなかった理由を説明しよう。
いつもより早くフトンに入り過ぎたからであり、思ったより疲れていたからである。
しかし、いや待てよ。
思ったより疲れていなかったのかもしれないなとも思う。
そうして、しばらく考えて、おなかが空いていたのではないか、テレビが気になって仕方なかったのではないか、そうだ、選挙結果を見たかったのではないかと思いなおす。
またしばらくして考えて、明日になるのが嫌だったのかよと改めた。
しかし、おいおい、そんなあ。
それっていうのは、気になることがあるということかね?フルハシクン。
あるいは、しないといけないのにしていない事柄を抱えているということかね?ウッキークン。
それともなんだね、夜中に(厳密には夜中よりすこし前に)メールで起こされるとか、電話で起こされるといったことがあったのかね。
ん?違うのか。
ならば、続きが気になる本がある、見たい映画があるというのはどうだろう。
ほかには、暑くて喉が渇くが起きだして、お茶か何かを飲みに行くのは面倒くさい。でも眠れない。これならどうだ。至極まっとうな理由だ。
あとひとつ。
忘れてならないことがあった。
なんと枕が行方不明。
しかもメガネを外した状況では、光も見えず、先もわからず、枕のありかも見つけられず。これがほんとのお先真っ暗。


9月11日(日)

 選挙の日。
 そして、同時多発のテロが起きた日。


9月10日(土)

今日の稽古場所となった大学の道場は超満員である。
稽古に参加している人数はいつもとそう大きく変わらないのだけれど、天井が低いのと、周りが壁に囲まれているのと、クーラーがないのと、風通しがよくないのと、部室棟なのであちこちからいろんな音が聞こえてくるのと、やっぱり人が多いのとで、道場がえらく狭く感じられる。
加えて、こういうときの合気道は、かなりアツイ。
合気道は「アツイ」の「あつい」は、「熱い」であり、「暑い」であり、「厚い」である。
人が多く、熱気に溢れているので、気温も上がる。だから熱い。
残暑が厳しすぎるので、涼しさに欠ける。だから暑い。
瞬間的に畳への密集度が上がるので、交わされることばの数が分厚くなる。だから厚い。

さて、そんな稽古のあとは、ボストンから無事に帰国してきた、たかおくんの歓迎会。
たかお氏を知る人もそうでないひとも、一緒に稽古したことのない人も、何の脈絡もないひとも、どやどやと集まってきたので、途中からは普段とそう変わりない宴会になってしまっている。
しかも一品持ち寄りテーマの「ボストン」と関係のないものばかりを持ってきている。
(内田先生のホームページ参照。わたしは、あれでもほかの人とカブラナイようにと、3日は考えたのである)。
しかしこの世の中、こう何度も同じ団体によって、送別会や歓迎会をしてもらえるひともいないのではないかとも思う。
奇特な人物である。
こういうのは、たいへんうらやましい。

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2005年9月19日 19:08に投稿されたエントリーのページです。

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