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夏の終わりの悪夢

8月31日(水)

 八月も三十一日目を迎えると結構涼しくなるものである。
あちこちで台風が近づいているせいか、夏の暑さにもいい加減慣れてきたからなのか、ほんとうに涼しくなった。要所要所で秋を感じる。数日前からは、夜もようやくクーラーいらずだし。

八月の最後の日なれば思い出す、いまも蘇る悪夢再び。
というわけでもないが、この時期というのは、いつも宿題に追われていたように思う。
小学生の頃は、学習ドリルとか習字とか読書感想文などは、わりに早くからきちんと仕上げていた。だが、いくらかのものは残っている。それは、絵であったり人権作文であったりした。
絵を描くのは嫌いではないし、幼き頃は絵描きになりたいと、それこそ大望な夢を描いていたものである。
だが、「はい、これこれこういうものを描きましょう」などと注文をつけられると、途端に制作意欲がなくなる。結局土壇場になって、慌てて描きあげる始末。

もうひとつ最後まで残るのは、人権作文である。
簡単に言えば、これは、人権を考えることを念頭に置いた作文を書けというものである。
幼いこどもには、ご無体な話しだ。

だいたい「人権って何?」というところから、話を始めなければならないからである。
「じんけん」とひらがなで書いても、「人権」という漢字が読めるようになるだけで、それ以上の意味は小学校一年生にはよくわからない。しかも誰も教えてくれないのである。

ことばの意味のわからない段階の人間に、「はい、じんけんさくぶんを書きましょう」と言ったって、いったい誰が書けるものだろう。何の作文のことなのか、わからないのだから。そして、やっぱり結局「人権って何?」というところに話が戻る。戻ると、「じんけん」ひらがなで書いて…(以下略)。

ひどいときには、「だから、それを考えるのが人権作文さ」などと、禅問答のようなことを言うようなひともいた。
しかし、そんなこと言ったってやっぱり始まらない。
課題は課題。夏は夏。宿題は宿題。

おそらく何かひとのためのことを思って、普段は考えないような思考回路や行動を啓発しようという目的があって、わざわざ課題になっているだろう。
あるときまでには、そのくらいは理解できた。
そして、またあるときまでには、これは学校ではなく、県の要請であったように記憶することになる。道理で先生たちもつまらなそうな顔をしていたわけである。
 
そのほか思い出したことがある。
兵庫県というところは、その県名だけに、何かあればすぐに「標語」を募集していた。
それも夏の課題になったことがある。
そうではないとき、普段からも、宿題やら何やらで、「標語」募集が多かった。
 出来はともあれ、人権作文を思えば、これはいくらでも浮かんだ。
 五七五調の言葉遊びなら、何も気負わずできるものを。
最近のこどもたちもまだ、人権作文を書いているのだろうか。ならば気の毒な話である。

(補足:実際には、八月の終わりにはもう宿題はしていなかったと思い出した。夏休み最後の一週間あたりのどこかに登校日があり早々といくらかの課題を提出し、それ以外のどこかの日数で家族旅行に出かけていたからである。だから、それまでに宿題を仕上げなければならなかった状況にあったのだ)。


8月30日(火)

 一日一歩、三日で三歩。
何もかもがそうだったら、結構順調な道筋だ。


8月29日(月)

 浜松のスーさんは、知る人ぞ知るうまいうなぎの持ち主である。
かといって、うなぎが住む池を持っているとか、うなぎの養殖を行っているとか、そういうわけではない。いつもうなぎと一緒なのだ。
スーさんは、ときどき関西にお見えになる。
そのときスーさんは、いつも名物のうなぎをご持参される。
何かのご縁に導かれ、気がつくと、いつもわたしの腹にもそのうなぎが納まっている。
なんとも暖かいご縁である。感謝感激。ありがとうございます。

本日も、とてもおいしく、パクパクとご馳走になる。
 久しぶりにお会いした浜松うなぎ、通称「浜うな」様は、たいそうな「白もの!」で、うなぎらしいピチピチした表面を見せてくださった。
白焼きに料理してくださったのは、スーさんとお仲間ご一行様。
口の中でとろけながら、あっという間に腹の中に納まってゆく。

「ウッキーが、一番よう食べとったなあ~」
 スーさんは、食べ終わった頃に、いつもそうおっしゃる。
でも、気がつくと、いつも、ほんとにそうなってしまっている。
許してください。
うなぎには目がないのです。
 ごちそうさまでした。


8月28日(日)
 
 朝から歌仙会。
 謡の『橋弁慶』(トモ)の代役から始まり、『竹生島』のツレ、仕舞が『猩々』に出る。
今回は、「抽選ニヨル」というルールで、朝に引いたくじにより、いきなり担当が割り当てられる素謡にも当たった。これは、『吉野天人』のワキ。
それ以外のときは、地謡に参加。
それもないときは、片付けたり、移動したり…ということで、朝から夕方まで、くるくると動き回っているうち、一日が終わる。
結構な汗をかいた。結構な緊張もしていた。よくわからない疲労感もあった。そして、どっと頭痛が押し寄せてきた。
一日のうちに、よいことも、よくないことも一気にあった。
それでもなんとか無事に乗り越えられたので、よしとしようか。


8月27日(土)

 やっと買えた靴。でも、まだ今日は履けない。明日の朝なら履ける。なぜって買ったのは夕方だから。


8月26日(金)

 すこし長くて、すこし涼しい一週間の週末が来る。


8月25日(木)

 いつ遭遇?って、It’s so good?


8月24日(水)

あ、江さんだ!(朝日新聞大阪版2005年8月24日(水)夕刊、『旬の顔』)
相変わらず、えらい男前に写ってますなあ。(♪当たり前だよ前田さ~ん (前田さんなんてウチにはい~ない~))


8月23日(火)

 かつて「落ち込んだりもしたけれど、わたしは元気です」と言ったキキの危機は、結果的に回避された。だが、すべての状況が変化していたことに気づくのに、幾日もかからなかった。

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2005年9月 1日 10:09に投稿されたエントリーのページです。

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