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雨の七月

7月8日(金)

500mlの缶ビールを軽く飲み、白ワインが1本空いた。夏の日の夜にしては、摂取量が少ない。


7月7日(木)

七夕。
健康でありますように。
合気道の専門家になる。
身体が無事でありますように。
主体性を持って生きていけますように。
考える前に行動できますように、考えすぎませんように。
胃まで壊しませんように、病気が治りますように。
またいつかジョンとどこかで会えますように。


7月6日(水)

腎臓結石と診断されたのは、夕方も暮れて小腹も空いた頃だった。まだ見ぬセミたちも今日の嘆きを止めて、静かにどこかへと帰る頃だ。

胃でも腹でも腰でもないところに鈍い痛みを感じていたのは、夕べあたりからである。
「痛い」と感じたとき、稽古の時にでも打ち所が悪かったのかと思ったが、先週末はさほど大きく痛めた覚えもない。

病院に行くと診断をくだされ、とりあえず抗生物質で散らすことになる。


7月5日(火)

なんか変な感じだ。腹が。


7月4日(月)

どうもまだ不調だ。


7月3日(日)

疲れて寝ていたらどっぷり日も暮れ、雨も一段と激しく降り、夜になっていた。


7月2日(土)ヤアヤアヤア!ヤベッチが戻ってくる

梅雨らしく激しい雨が降る。
稽古に行く。
雨のせいか、多少出足が遅いものの、稽古後に新歓コンパが控えているためか、時と共に増えてくる。
どどどっどっと、40名ほどが道場に押し寄せてくる。
途端に湿度が上がる。熱気も上がる。懐かしい面々もあるため、ボルテージも上がる。
懐かしいはずなのに懐かしくない。
まるで昨日まで、ずっと会っていたかのようだ。すぐさま打ち解けることができる。笑いが耐えない。
ああ、なんていいことなんだろう。
合気道の良さはこういうところにもある。

稽古後には、どどどどどっと、内田先生のお宅へ移動。
新入生が誰なのか、誰がどういう名前なのか認識するために、各自胸元には名札を付ける。
最終的には収容人数は、過去の事例をピーク時は大きく更新したようである。
正確な数値は覚えていないが、内田先生宅のどこかに、常時40名がいる状態である。

各地でいくつもの話題が飛び交う。
隙間を見つけてはうろうろし、台所に立ち、ソファーや椅子を見つけては座り、話す。
トイレに行くだけで列が出来ている。
テーブルのうえに持ち寄った一品が並べられると、途端に激しく人類の移動が始まる。そして、途端に入り身転換、半身を一重身に変えて、あるいはマジックなどなど、各自あらゆる手段を駆使して、各自のプレートに食べ物を収穫略奪譲渡分配交換していくのである。冗談ではなく。
というわけで稽古が終わってもさらに身体感受性を効率よく強めて動かなければ、一生食べ物にありつけないという有様である。
あまりに大きく動くと、皿やコップにひっかかり、破損の恐れがあって危険である。
注意深くかつ軽快に移動しなければならない。そうしなければコップは割れるうえに、白い目で見られるし、食べ物にはありつけないしで、いいことはまったくないのだ。稽古のあとの腹を空かせた集団にとっては、食べ物の分配はそのまま死活問題に直結する。


7月1日(金)

髪を切った。
このところ髪を切るときはいつも決まって天気がよくない。今回だって、つい先日までのお天気がウソのように大雨の日に傘を差して出かける。
「髪を切るときは雨が降る」といった法則。
決して「髪を切る(切った)ので雨が降る」でもなければ、「雨が降りそうなので髪を切りたくなる」でもない。だって、天気なんてどうなるかわからない時に髪を切る予約をするのだから。
でもよく降るなあ。

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2005年7月10日 10:08に投稿されたエントリーのページです。

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