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ジョン・レノンを忘れちゃいませんか

4月19日(火)

最近自転車をよくこぐようになった。
理由はお天気がいいからである。

近場で目的地もはっきりしているなら、歩いてそこにいくのもいい。
バスに乗って、どこかふらりふらりと行くというのもいいものだろう。
しかし歩くと疲れることがある。バスに乗ると道が混んでいることがある。

疲れも混雑も、それはそれで偶然が引き起こしたことなのでそう深くは気にしない。だが、時間帯によっては、運が悪くずっと立ったままいったい何をしにいったのかわからない、といったかなり不幸な目に遭う(だろう)ことがある。だから、このごろはバスを控えている。

それでも歩くのもそう悪くないと思ったり、バスなんか嫌いだと思ったり、そのときどきの感情の赴くままにいる。そして、そのときどきの感情のままにいる。そう、こんなことひとつでも、先のことはわからないのだ。

バスは、幼いころからあまり乗り付けていない。
電車と同じくバスにもまたある程度のマナーがあるはずだが、バスに乗る習慣をほとんどもたずにきたので、それがまったく身にしみてないのである。「もたない」というよりも「しらない」のである。

それでも遠方や出先、移動で使うことがある。(ひとりの場合)。
しかし乗った途端にいつ料金箱に入れるのか、バスチケットはどこで取るのか、両替はできるのか、どこで降りるのか、降りる合図のベルを鳴らすのはいつなのだ?などのさまざまな状況がいっぺんに目の前にやってくるようで、なんだか落ち着けない。

それにまた、あのバス独特のエンジンのにおいが苦手で、酔いそうになるのだ。これら数々の状況があって、バスに乗るときは、いまだに少なからず緊張してしまう。だから、乗るときはいつも勝手にベルが鳴ればありがたく思うし、両替せずに料金箱にコインを投入できれば楽だし、前払いならさらにいいと思っている。普段は何でもないラガールカーが、正義の味方にみえること、しばしである。

こういうわけで、バスに乗ると緊張していて、表の景色を楽しんでいる場合などほとんどないのである。ああ、これは全部路線バスなんかの場合のはなしですが。

さて、話を戻して、最近の移動は専ら自転車である。
免許を取って以来、自動車フレンドリーな自転車操車(自転車操業ではない)となったので、あの夏以降は結構道路も夜道も注意深いものである。

無下に横断歩道を渡ったり前方不注意で横断したりはしない。まあ、よく言えば、相手の気持ちを考えるようになったてことだな。そう考えると、全国民がこういう訓練を受けてもいいかもしれない。免許の要/不要は別にして、こういう機会は必要だ。見る目ががらっとかわるんだもの。

ところで、友人M/Oは、先日、自転車に乗っていて、自動車との接触事故に巻き込まれたそうだが、その後身体の不調はないのだろうか。身体は大丈夫なのだろうか。

聞いた話しによれば不幸中の幸いらしく大きな怪我はなかったそうだが、ほんとに大丈夫なんだろうか。というのも、ああいうものは数年後!どどーんとやってくる、ということがあるからだ。少ないながらも経験上。かくいうわたしも19歳の厄年のとき、恐ろしいくらいの「当たり」の中に巻き込まれた。そのうちひとつが自転車乗車中の自動車との接触事故である。

「19歳で厄年」などというのはあまり迷信ぽくって気にかけてなかったのだが、その年の(数えになるので厳密には後厄というものになる)春分も過ぎると、わたしは事件と事故と病に遭遇した。それもみな偶数のぞろ目の日に。

初っ端が自転車での事故であり、忘れもしない4月4日のことであった。
朝からバイトに向かうのに、例によって自転車をこいでいた。

北から南へ駆け抜けるわたし。西から東へ向かう自動車。
見通しはさほど悪くない路地の交差点だったが、一瞬にして、ばっこーんとぶつかり、自転車のハンドルがぐにゃっと曲がった。

東側にこけた自転車に守られるようにしてわたしは地面に倒れ、そして、「あ!」と思った。
それは、わたしが生まれて初めてのバイト代で買った自転車だったのである。
ぐしゃ。としていた。

色も黒と紫といった結構いい感じでタイヤも分厚く高さもちょうどよくって気に入っていたのだ。しかも、かなりの掘り出し物だったので、「ううう・・・」と悲しくなった。

なのにそれは瞬時にハンドルのゆがんだ自転車となった。
すごく哀しかった。

それでもなんとか外科に行き、レントゲンを撮った。ほかにも検査を受けたが、結果は打ち身程度のことで免れた。シップをあてがわれて、うちに帰った。

それから数年後、わたしは三宅接骨院で首の骨のあたりを三宅先生に診てもらうことがあった。どうやらそこには、ぼこっと一部、骨の出た箇所があったらしい。

「どうしたの?」と先生に尋ねられるまま、思い起こせば数年前、わたしは接触事故に遭ったことがあったのだった。当時の外科の判断では何もなかったが、結果として、数年間、わたしのからだはゆがんでいたのである。

ああ、そう大きな症状も何もなくてよかったよ。
しかもそれが手伝って・・・後には背中が!ひゃーあっ!ということにあるのだから、侮ってはいけない。

あなおそろしや、十郎殿。


4月18日(月)

不思議なことに月曜日が楽しいと思えるこのごろだ。
春のうららかな陽気のせいで、ついに、あたまが参っちまったのか?

いや、そうでもないだろう。
なぜかはわからぬが「月曜日の憂鬱」みたいなものがない。
月曜日の憂鬱。

なんて、いやなことばだ。でも、しっくりいくのは、きっと大昔から日曜日が休みの世界ばかりで生きてきたからだろう。

「月曜日の憂鬱」の次は「月曜恐怖症」だった。
月曜恐怖症。
これまたなんて、響きの悪いことばだ。
おそらくここから少し解放されたのだろう。
とにかく上機嫌。
喜びついでにモップなんぞをかけてしまった。


恒例の月9の時期がまた来たらしい。
今回はあのKムタク主演の『エンジン』である。(彼のことは書かないはずだったかもしれないが、まあよいではにゃーか)。
見ようかどうしようか迷うくらいなら、見てから判断してもよかろうと思うにいたり、時間ぴったりにチャンネルを合わせたりしている。たとえどこか遠くで、「君も懲りないやつだねえ~」と言われても。

で、今回はよさそう。
なんでかって?
そりゃあ、ま、愛だの恋だの言ってるだけじゃなくて、世に言う拡大家族ですか?ま、そういうのをぐぐぐっと扱ってそうにみえるからですかねえ。

しかーしこの脚本家は、大型機械がお好きなんでしょうかしら?

ねえ。どないだす?たろーさん。


4月17日(日)

あたたかなごご。
あたたかなあなご。


4月16日(土)

あるとき、1通の手紙が届いた。差出人はジョンとある。

「ジョン」と言われて思い出せるのには何人かいた。
ジョン=コンスタンティン、ジョン=クラーク、ジョン=フォード、ジョン=ウェイン、ジョン=キューザック、ジョン=マルコヴィッチ…ジョン?

ただひとり「ジョン」であってそれ以外の名を知らないのがいた。
「ジョン」としか名乗らないのがいた。おそらく、あのジョンである。
「便りがないのがいい便り」なんて、いつも口癖のように言っていた、あのジョンである。

いったいぜんたいどういう風の吹き回しだろう。
ジョンは口癖以外にも、恐ろしいほどの筆不精でもある。
ジョンが切手を買うなんて想像できなかった。買い方もどこにそれが売られているのかも、知らないくらいのものだったからだ。
いつだったかネコの手でも借りたいくらい忙しいときがあった。たまたま横にジョンがいたので、「切って買ってきて」と頼んだら、「どこにあるのか知らない?切手って何?」などと言われた。説明するのも面倒なくらいくたびれてもいたから、あとから泣く泣く、自力で買いに行ったことがある。
その話しをしたともだちからは、「実際ジョンはネコじゃないから忙しいときでも使いものにならないね」と言われた。たしかに。それはたしかなことだ。

だから、ジョンがペンを手にして、郵便を送るなんて、あまりに無意味なことのように思えもした。
ペンもまた、ジョンにとっては使い方にならないように見えたからだ。
ジョンにとって、手紙を書くという動作は、どこにも存在していないことのようで、どうやってつなげればいいのかわからなかった。


でも、届いた手紙には、こんなことが書いてあった。

 「遠い海が見えるところにいる。
  どうやらジャンが来たみたい。
  勘は外れてなかったよ。
 でも残念なことに、ヤツは、すぐまたどこかへ行ってしまったらしい。
 近くの民家のおばさんがそう教えてくれた。
 いつもの無愛想加減からすれば信じられない話だろうけど、ジョンは意外にそうい う情報を収集するのがうまいんだ。
 とにかくヤツの行く末はまだわからない。
 ジョンとしては、ジャンがどこに行こうと勝手だけどね、骨を返して欲しいんだよな」


ジョンからの手紙など読んだこともないはずなのに、相変わらずだな、と私は思った。
ジョンの勘なんて知らないし、ジョンの自己肯定的な語り方も初めて知ったのに、当然のように話を進める。
相変わらず自らを一人称で語る。
だから、どんなカッコいいことを言っても、どんな決めセリフを語ってみても、こどもみたいに見える。でも、それ以外何ともいいようがないのだろう。だって、ジョンはジョンでしかなく、ほかには、ことばをもたないのだから。

結局ジャンどころか、ジョンもまた、どこにいるのか、こちらにはわからないままだ。
わずかな証拠となりそうなハガキの消印は、雨のしずくでインクがにじみ、うまく読み取ることができない。お約束のように雨が降る日に届くのだ。こういうのは。
神様もやることがなかなかにくい。

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2005年4月19日 23:50に投稿されたエントリーのページです。

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