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うまい珈琲を飲んで、わたしは電車にゆられる

12月18日(土)
 昨日と今日の境目がよくわからないまま、身体だけが心地よい浮遊感を保ち続けている。

 昼からの合気道の稽古では、丸亀からみえた守さんにも、いくつか組ませてもらえた。さっくりした感触とお話もやはり「日本最強」だった。

 なんだかやっぱり気持ちも身体も喜んでしまって、そのまま帰るにはもったいない気がした。

12月17日(金)
 その日、満天の夜空には輝く星がいくつもあった。講堂のなかは、つつましい光を帯びた礼拝堂となり、厳かな雰囲気を漂わせる年に一度の祈りを初めて捧げる場となった。

 礼拝堂の同じ敷地内の建物には恐るべき顔がいくつもあった。その一室のなかは、夜とも昼ともわからない舞台となり、熱狂的な雰囲気を漂わせる年に一度の笑いの渦を披露する場となった。

 きっとその日を誰もが楽しみしていたのだろう。

 メリー・クリスマス。またいつか、その日にめぐり合えますように。

12月16日(木)
 きょうは紅茶を飲んだ。

12月15日(水)
 本日は礼拝には、総文音楽隊で参加。

12月14日(火)
 討ち入り。討ち入り。討ち入り。

12月13日(月)
おそらくそれはゲイだった。
食事をしていたら、隣にそれらしきひとたちが座ったのである。

 夕方もすこし済んだ、とある場所のとある店。何の予定もなくふらりと入り、案内されたテーブルに座ると、隣のテーブルには、すでに「予約席」と書かれた札が立てられていた。

通された席で食事を頼む。静かに落ち着きを取り戻しながら、しばらくのときが過ぎる。いくらかの皿や器が運ばれ、そのうちいくらかが空になった頃、隣の「予約席」の立てられた場所に、ゆるゆるとした感じの二人連れの客が現れた。どちらも男性である。

 多くの店のつくりがそうであるように、向かい合って座る席の奥は大概ソファー仕立てのふわっとしたクッションの効いた場所がある。入口からすれば奥となる席である。手前側の席は椅子。

この店もまたそうだった。クッションのあるほうに「そちら側」の人が座り、そして、おそらくそれより硬いであろうと思われる手前側の椅子には、「もう一方の側」の人が座った。自然の成り行きとして。あるいは当然の出来事として。

わからないひとにはわからないだろうが、どういうわけか、いつからか、わたしは、その手の方を瞬時で見分けてしまう。匂いと言うか、ことばというか、なんというか、空気が違うなあということをすぐさま気づいてしまうのである。しかし、ただ単に「ああ、そうなんだ」というそれだけのことなので、いちいち尋ねたり確認したりすることはない。そういうことがあるんだというだけの話だ。それだけのことなのだから。


ついたてもない席なので、隣に座った客たちの、聞くともなく聞こえてくる会話がある。仕事や接待や何か公的なつながりを想像させるようなことばは、まったくない。

もちろん、すべて聞いているわけではないし、耳を大きくダンボにしてはいるわけでもない。それにわたしもひとりで来ているわけでもないのだ。しかし、おかげさまで、きちんと機能している耳がある。そのため、隣の人たちのすべての話がプライベートなことで形成され、プライベートのことばの交換によってかなり進行されていたということくらいは、片側だけでもわかってしまったのである。

服装も、持っているものも、座り方も、ことばの交わし方も、どことなく奥の席に座った人のほうが柔らかで、片側ピアスも象徴的だ。手前に座った人のほうが、どこか落ち着いた風に見させるシンプルさがあった。顔つきもおよそそれに沿っている。


しかしゲイぐらい、いくらでも世の中にいるのだから、珍しいものでもなんでもない。別にいいじゃないか。それくらい。

しかし話がいくぶん複雑そうなのと、それとは思わないような時間帯に、あの場所で、あんなふうに現れるので(プラバシーもあるので伏せて起きますが)、よほど込み入った事情や必要に迫られなければないだろうな、というわけで、記憶に留めてしまったである。このスムーズでなさそうな状況に興味を持ってしまったのである。仕事の話をするような関係なら、もう少し場所や時間を選ぶだろうから。


さて、話を個人的印象に戻せば、同性愛者を非難するつもりは、まったくない。それはそれでいいと思う。いいというより、それが自然な状態であるひとがいるのもまた不思議はない。ほんとうに。そういう志向もアリで当然だ。

どんなセクシュアリティであろうと、どんなジェンダーであろうと、そのひと個人を形成し、人格が社会的に誰かに迷惑をかけるものでなければ、ひとはさまざまに構成されてしかるべきである。社会がうまく機能し、構成されるためなら、さまざまに変化しても、それでいいのではないか。いろんなひとがいるほうがいい。

多いからと言って、それが正しいこととは限らず、少ないからと言って、それが正しいこととも限らない。結局は、数の問題ではないのだろう。

問題は、自分の基準だけで物事を考えないことであり、それがすべてと思わないことだろう。(というようなことを書くこともまた、自分の基準だけで物事を考えないようにしなければならないことになるだろう)。つまり、いろんなものの見方として、いろんなものの見方としたうえで、いろんなひとがいるということに気づくことだ。それを知りもしないまま、良いも悪いも言えないだろう。

ただ、もうひとつの問題は、そして常々思っていることのいくらかは、役割分担としての性、あるいは同性愛者が引き受けるところの性、各々の志向によって選択される性は、やはりまた女か男の性が大半であることだ。それ以外はあまりきかない。ここでもまた「女」と「男」とされるものによって、新たなる「対」が形成される。

「対」になるということ、これは、異性愛の構造の特徴のひとつともいえるものかもしれない。「対」になった途端に、そこは「女」と「男」のみの世界になる。同性愛者もまたどちらかが女であり男である、それだけしかない構成要素での構造にはまってはいないだろうか。

元来、同性愛というものは、自由な気風をかもし出しているのではなかろうか、というような手前勝手な思い込みがある。構築されたものを破壊する、あるいは凝り固まったところに風穴をとおす役割なのではないか、という一種の淡い期待すら抱いている。

それゆえ、異性愛の構造を再構築してしまうような枠組み(この場合、暴力的な言い方をすれば、知らず知らずのうちにであれ、一方が女の役で、一方が男の役をなぞっている関係をつくっていること)をみるにつけ、何ともいえない寂しさと硬さを感じる。もうすこし自由で柔らかな偏りのないモノがあってもよいではないかと思うのだ。

恋愛には決まり文句はあっても、決まりはない。

ならば、そこで起きる性はなにも、女や男のふたつだけが機能しなくても、それ以外があってもよく、あるいはまぜこぜになってもいいのではないか。同性愛者というひとたちこそが、最初に固められた現状を打破し、違う形で示し出せる存在となり得るのではないのだろうかなどと、しばし考えてしまうのである。

12月12日(日)
 下川先生の「春日龍神」の舞台を拝見すべく、湊川神社神能殿に行く。

 今回もまた、被り物と勢いと迫力のある舞台だった。

緻密な動きと滑らかな線によって形成されていた先生の動きは、それはもう、とてもきれいだった。「なんなんだろう?」とぽかんと口を開けて見ているので、頭がいっぱい。


 ところでこの日は、いきなり超短期間講座講習の屋外実践編の日(と勝手に命名しただけ)あって、覚悟を決めて、着物で出かけた。

 粋な着物のひととなるには、まだまだまだまだ遠いが、それでも、それに応じた所作は、たいへんに人をおもしろくさせる効果があると実感した。

 帰りはちょうど雨に降られはじめたところで、ぞぞぞっとした。めずらしいことをしでかしたので、なかなかやまない。これは人類普遍のテーマのようだ。

12月11日(土)
 ゆってることとやってることが違う。でも、やってることとゆってることもまた、ときどき違う。

結局ことばが身体に追いつかず、身体がことばに追いつかないという状況を導く時に起こるのはこのようなことか。

そのままに過ごすこと数時間。それは考えることと動くこととは同時に起きても、一致することは難しいと思うばかりのときでもある。

 うまい珈琲を飲んで、わたしは電車にゆられる。

12月10日(金)
 すっきりした朝の早い目覚めの次には、くっきりとした輪郭線を持った何かがわたしの目の前に現れたのである。

12月9日(木)
 チョコを食べたいときには、ちょこちょこっと食べるのがいいさ。

 こちょこちょっとどこかをそっとこそばしたなら、もうちょこっと楽しめる。

12月8日(水)
 その日、わたしは朝早くから目が覚めた。

 朝早くに目が覚めたこと自体、とくに驚くべきことではない。いつだって早起きしたいときはそうなるのだし、早起きしなければならないときは、ちゃんと早起きしている。

問題は、朝早くに目が覚めたという事実よりも、朝早くに目が覚めたことによって生まれた時間に起きた出来事のほうにある。

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2004年12月20日 21:27に投稿されたエントリーのページです。

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