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結婚の条件について考える

9月24日(金)
 夕方、先日結婚の決まった友人(女性)のその前祝いに誘われて出かける。

 結婚するという事実そのものよりも、どんな衣装で婚礼の儀に臨むのかよりも、旅行にどこへ行くのかよりも、「そもそも結婚を決めたきっかけはなんであったのか」、わたしにとっての興味の中心はただそれひとつであった。

 聞けば、その人が決めたきっかけは、相手に「頼れること」だそうだが、それ以外にも相手は「好き嫌いなくなんでもおいしく食べること(できれば大食いくらいに)」ができる人がよかったのだそうである。お相手の人は、この度見事、その条件をクリアしたということになるらしい。

 なるほど、こりゃあ、人生長く一緒に生きていくことを想定した場合には、かなり重要なことだ。
 
そう思いながら歩く道のりは、かなりすがすがしいものにみえた。

9月23日(木)
 彼岸の悲願。

9月22日(水)
 慌しいのは余り好きじゃない。

でも、うまいパスタは好きだ。

それもわりに幅の広い平麺に、どろりっとしたチーズが程よく溶け合っているようなものが好きだ。
チーズのパスタの場合なら、麺のどこの部をとっても、きちんとチーズが感じられ、麺と互いに生かし生かされ、素材の相性が程よくからみ合っているようなものが好きだ。

反対に、「この部分は生の麺の味がするけど、この部分はチーズだけだね」というような、あるべき姿のままを忠実に保存してしまったのは、余り好きではない。
それは、妙な分離が施されたものを口にするのは、食感としてはあまりいいものではないからだ。

「パスタとチーズの程よい混合」というのは、これがなかなか簡単そうで、パスタ本来の基本のようで、なかなかスムーズにいくものではないらしい。
ぴたっと調和の取れたものには、そういつも出合えるものとは限らない。しかし、きょうは運良く、かなり程よいものを食することができた。

 ところが、「運良く食する」ことができたゆえの交換だろうか、わたしはこの日、傘を日本のどこかに置き忘れてきてしまったようなのだ。

9月21日(火)
 いつものことだが、合宿が終わると途端に日常が押し寄せてくる。

 合宿という異空間のなかをのたうちまわり、転げまわりしていた状態を多少也とも引きずりながら、突然現実世界に戻ってくるのだから、当然といえば当然のことである。

これには合気道の合宿日程が、たまたま何かが終わる頃に近いために、そのように感じるのかもしれないけれど、この時期、なかなか切ないモノが、ぐぐぐっと目の前にやって来るのだ。

 ところで、思えばこの夏は、「合宿」と名が付くものが時間の多くを占めていた。
 その分、得るものは多く、実際に得たものもあり、緊張感のある日々をすごし、ぼけることなく、充実していた感が強い。

だが、同時に時間とは実にあっという間だということを感じずにはいられない日々だ。そして、その時間のなかで、どこか変化していく自分がいるということを感じることもまた、避けてはとおれない日々だ。

 何がどうという、具体的で大きなものではない。
 
おそらく誰の目にもそういったことの変化は表面的には見えないだろうし、自身でもうまくは語れないだろう。「語れない」というよりもむしろ語りたくないほうが、本来の我が心境があるならば、すこしそれに近いだろうか。

ともあれ、この身体を持ったわたしは、このところ急に、物事を受け止める感触について、ぐっと変化が訪れている。

「何かこれまでと違うなあ」と感じる瞬間が多々あり、その瞬間という時間が連続している中で生きているような気がする。

 かといって、原因や理由を追究したいわけでもない。
ただただ変わる時期があることをめずらしく自身の中で確認しているのみだ。

だから、いまはほんの少し、そのことを発見している状態だということをせめて記憶のなかに留めていたい。そんな気分なのだ。

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2004年9月25日 08:02に投稿されたエントリーのページです。

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