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却って鯉よ

8月14日(土)
ワタシは、大人になりたい。

8月13日(金)
いったいどこが『ハッピーエンド』なんだよう!と叫び出したくなるような韓国映画を観て、いくらか気分が滅入り、深く答え追求するのは疲れるので、話は忘れることにした。

涙で目を潤ませそうな場面でもって、なんとか心を浄化しようと、『ファインディング・ニモ』を観る。ニモちゃんに深く感謝。かわいい・・・と思う。一番驚いたのは、主役と思い込んでいたキャラクターがまったくべつのものだったこと。

大好物のうどんを食べて、静かに気を落ち着かせ、『ピグマリオン・コンプレックス』を読む頃には、眼がとろんとしてきた。

8月12日(木)
東西の哲学をされている方々の、語る何かがあるらしい。(いえ、お二人とも関西在住ですが)。
とにかく、そう聞けば、行かない手はない。ミーハーなワタシは、夕方、思い切って、三宮に足を運ぶ。

おひとりは鷲田清一先生、もうおひとりは内田先生。そこに中心に、ライターさん、東西「敏腕エディター」であられる方々、記者の方が座られる。ミーツの「哲学・上方対談」の場所に侵入したのである。まさに至福の拝顔、拝聴の儀である。

鷲田先生のご著書は、ほろほろと読んでいた。文体が好きで、さらさらと吸い込まれるような心地よい感触と、どこかおしゃれな感じがするからだ。そこには哲学のこと、が書かれているのを忘れそうなくらい。

さて、本物の鷲田先生にお会いして、お話を拝聴しているうち、私はこれまで、鷲田先生の本はすべて、いわゆる標準語音階で読んでいたことに気付いた。

「関西弁をしゃべる関西人は、関西弁で新聞雑誌、本を読んでいて、関西弁でモノを書いている」(@江弘毅)には、じつに毎回納得するところがある。

援用すれば、これは関西弁を話される鷲田先生(京都のご出身)のご著書は、関西弁で書かれていたということになろうか。さあらば、関西弁で読むべきかとも。しかし、それらがもし「標準語」の音声で書かれていたのなら、その音階で読むほうがリズムに合っているかもしれないと思う。

それにしても鷲田先生のコーディネートは、とても素敵だ。眼鏡もアクセサリーも、何もかもイカしている。つくづく服装や身につけるものは、その人を現すのだなあと思った。(途中、自分がいやになって、すぐさまうちに帰って、箪笥のなかのもの全部捨ててやろうかと思ったくらいである)。

「はんなり」という言葉が、そのまま生きて歩いているような方と、哲学。

哲学は、いいなあ。

ああ、哲学しよ。

8月11日(水)
 『野菊の墓』と『マイ・フェア・レディ』と『負け犬の遠吠え』と『スラムダンク』(完全版①~⑥)と『マルホランド・ドライブ』。

8月10日(火)
「帰って来いよ~」というので帰る。

8月9日(月)
先日、急に胃が痛くなった。
夕食も終わって、ひと段落し、ゆるゆると、その日一日を振り返っている夜も深く更けたころのことだった。
明日も早いし、すぐには眠れなくとも、今日は、そろそろ床に着いておこうか、というころであった。ふいに、急激な痛みが胃の辺りを襲ってきたのである。

急なことで最初は訳もわからず、のたうちまわっていた。ただただ横になっても、縦になっても、起き上がっても、斜めを向いても、痛く、治まるどころか激しい痛みが襲ってくる経験だけするばかりだった。
はじめのうちは、それがなんだとわからず、夕食に食べたモノか何かにあたったと思い込み、整腸剤を飲んだ。
だが、それなりの時間が経っても一向に治まらない。いつものように、腹具合が治まる気配はどこにもないのだ。
そうこうするうち身体はだんだんと眠くなってきた。眼がとろんとしてくる。しかし眠ることができない。
どの向きに面していても、胃が、おそらく胃の辺りが痛いからである。
眠い、痛い、眠い、痛い・・・。この繰り返しだ。
あまりの痛さに耐えかねて、薬の連続服用は身体によくないことはわかってはいても、たとえ市販の胃薬であっても、飲もうとした。しかし、普段はめったに服用しない胃薬である。それがいったい、どこに置いてあるのか即座にはわからないのだ。元気な状態なら、探し出すのはわけないことなのだが、今回は探し出すのに起き上がるだけで痛い。動いても痛い、動かなくても痛い。

こうなるとあとは、最小限の動きでそれがどこにあるのかを瞬時に思い出すことが先になってくる。電話も遠く、誰かに聞くことも呼ぶこともできない。(かといって、まともに話なんて、まずできなかっただろうが)。
それにしても、身体のどこかの痛さを伴った状態で物事を考える、というのは、まことにもって困難な状態である。

何度目かの痛みをこらえて、力を振り絞って、記憶を辿り、胃薬を見つける。
コップに水を入れ、飲む。しかし、当然だが、飲んだからと言って、すぐさま薬が効くわけではない。さっきまでと変わらず、横になっても、縦になっても、起き上がっても、斜めを向いても、痛い。治まるどころか激しい痛みが襲ってくる。もう真夜中もいいところである。
結局、落ち着いて目を閉じることができたのが、翌日のいつ頃なのかわからぬまま、朝を迎えた。全身、汗びっしょりだった。

ようやく時間の取れた今日、朝から内科に行く。
胃薬をたっぷりもらって帰って来た。しばらくは、きちんと朝夕の服用を命じられる。忘れないように、ちゃんと飲まなければなければならないな。
胃の痛くなる原因は、遅めの夕食、疲れ、睡眠不足、冷たいものの取り過ぎ、ストレスなどがある、と医者は言う。あと、いつもと違う日常を送るなどで、緊張による痛さもあるということらしい。「試験前の学生さんにも多いですよ」とも。
これまでも胃の痛くなる原因に、そういうことを聞かないでもなかった。
しかし誠にもって、心理的作用とは不思議なもので、「ストレスでしょうか?何か精神的な疲れはありませんでしたか?」と白衣を着た人に言われると、なんとなくその気になってしまうのだ。(とても穏やかな、感じのよい先生なので、まったくそこまで思い込むことはないのだが)
しかし、この身体の、いったいどこにストレスがあるというのだろう。
あるいは、見かけより、いくらか繊細にできているのだろうか。

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2004年8月15日 11:10に投稿されたエントリーのページです。

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