8月8日(日)
たしか昨年も書いたような気がするが、きょうは裏誕生日である。ワタシの。
毎年どうもこの日が気になる。ほんとの誕生日よりも気になって、結構自分で楽しんでいる。
なにがあるってわけでもないし、何か特別な催しを行うわけでも、決まった人に会うわけでもない。だのに、どういうわけか意識が格別だ。なんだかうれしいのである。おかしな喜び方だけど。
ところで、きょうは、先日の翻案のベツモノをはり付けようと思う。先生の許可もでたことであるし。あのあと、やっぱり心残りがあって、ぎゃーっと一気に書いたのですよね。
ある意味、こっちの方が無意識に近いかもしれないなあ、などと思う。
『舞姫2004・勝手にその2』
だいたいさあ、オトコっていい気なもんだよね。
ひとのおなかに子を孕ませておいて、「ごめん、僕、キミとは結婚できなんだ。キミはひとりでも生きていけるよ。僕が保障する、じゃあ元気でね」ってなんて、いい気なもんだよ。まったく、ひとのこと、何だと思ってるの?
こっちはさあ、伊達や酔狂で、やってんじゃないよ。お金が欲しくてそんなこと言ってるんじゃないよ。愛にも恋にも仕事にも、身体はって生きてんだよ。
身体だって生きてるんだよ、無神経なモノじゃないんだよ。
それをなんだい、えらそうに。
キミしかいなかったんじゃないの?(別に、ずっとそうでなくてもいいけど)。
支えあってたんじゃなかったの?(別に、支えあってなくてもいいけど)。
互いの夢を語り合ったんじゃなかったの?(でも、これは事実だったはずだけど)。
まあ、いいよ。
甘い誘惑のことばの数々はあって、それにかかったこっちにも問題があったとしても、たとえいっとき心を寄せ合っていたこと、あれはなに、嘘だったわけ?
用が済んだら、はい、それまでよ~。で、さよなら?それでアンタの気はすんだのかもしれないけどさ、あのねー。アンタこれまで、相手の立場ってモノ、考えたことある?ひとには身体もあって、心ってモノがあるってこと、知ってる?
ああ、悔しい、悔しい。
ほんとに、なにさ、あのオトコ。トヨタローよ、トヨタロー!
あんなオトコに引っかかった私もバカだけど、あんなふうに親しくなれば、誰だって将来のこと、考えちゃうのが当然の筋じゃない。
別に結婚してくれってせまったわけじゃないし、別にそうなろうと思ったわけでもない。
でもさ、そういう雰囲気もことばもいつも投げかけてたの、あれはなんだったの?って聞きたくなる。あんまり、ひとの心も身体ももてあそばないでほしい。ある意味、あれは詐欺だよ。
ああ、悔しい、悔しい。
だから結局、敗因は教会の前で苦しんでる時に、甘い顔をしたところにあったのかもしれない!なんて考えてしまう。ええい!思い出すだに腹が立つ。
そうよ、あの日は、たまたま食べたフィッシュ&チップスが、お腹にあたったのよね。
急におなかを壊して、教会の前でうずくまってたの。まあ、いまでこそ私も「ロンドンっ子」って顔してるけど、当時はイギリスに戻った直後だったから(学生のときは親の仕事の都合でイタリア国内を転々としてたから)、それがまずいものだなんて知らなかったの。
小腹が空いて、なんか食べたいなーって思ったとき、目の前にフィッシュ&チップスがあったので、食べたの。そしたらなんと、それが大当たり!…って、当たりくじじゃないよ、お腹によ、お腹。もうおなかがイタイのなんのって。歩けない。動けない…話せない。
そんなこんなで、苦しくてうずくまっていた時、通りを歩いていたひとりの日本人が声をかけてきた。それがトヨタローだったわけ。それはそれは優しい声で「どうしたのですか?大丈夫ですか?」ってささやくように、声をかけてくれるのよ。そればかりか心配そうに顔を覗き込んでくるの。こっちは愛想笑いが精一杯。(だって苦しんでるんだから)。
それだけじゃ彼の気は済まなかったみたいで、おせっかいにも私を病院に連れて行くって言い出したわ。
こっちは単なる腹痛なのに、何を勘違いしたのか、胃の病気か、妊娠中のひとかなにかに見えたみたいだったのね。すごく苦しんでたふうに見えたのはたしかで、実際、あまりうまくことばが出せなかったから、有無を言わさず病院に連れていかれたのよね。だんだんと黙り込む私を見て、血相変えて、保護者みたいにしてついてくるオトコに病院に運ばれたわけよ。
でもさあ、どこの世界にお腹を痛くて苦しんでいる時に、ニコニコ笑って、さわやかに、「やあ、今日もいい天気ですね。きょうは一段とお腹が痛いんです!」なんて答えるバカがいると思うの。ちょっと考えたらわかるでしょ。それくらい。
あとから聞けば、彼は医学を齧ったことらしいけど、ほんとに医者なら、患者の様子を見てそんな大袈裟に慌てないはずよ。今にして思えば、「齧った」って事実だって、怪しいものよね。
それよりも怖いのは、よくよく考えたら、私、そのひとと初対面よ。全然知らないし、顔も見たことも、名前を聞いたこともない。いくら「苦しんでいる人を見たから」という理由があっても、普通、初対面でさ、それもよその国でさ、知らない女の子に声かけないことない?いくら英語が堪能だって言ったって、道端で苦しんでうずくまっている子に、そんなふうに声かけらんなくない?だからね、これ、ほんと、よくよく考えると、それって体のいいナンパだったかもしれないわけよね。
それでもさあ、親切心ゼロだったってことはないんでしょうよ。それなりに人助けをしてくれたのかもしれないけど、治ってからあとはもう何の関係もないじゃない。だから、親切にしてもらったことを伝えて、病院でちゃんとお礼を言って別れたわ。
ところが、あのトヨタローってのは、何でもないただの通りすがりだったのに、足しげく病院に来ては、退院までずっと毎日数時間はつきっきり。話はおもしろかったし、退屈しなかったからそれはそれでよかったんだけど。
退院後は、稽古場やうちにまで押しかけてくる始末。別にいやとか、そういうのじゃなくて、断るに断れない関係があったわけね。助けてもらった、という事実があるだけに、そう無碍にも扱えない。
まあ、とくに反吐が出るような嫌な感じもなかった。でもね、一時、「ナンなのでしょう?これ、私たちの関係って」と思ったわ。お友達でもないし、知り合いでもない。だからって、「好きです」とか「僕と付き合ってくれる?」とか「気になるんだ」みたいなことばもなかったわけだから。古めかしい「交際申し込み」を要求するわけじゃないけど、こういうことばって大事だし、必要だと思う。なんとなくのじゃれあいはよくない。馴れ合いも。
勝手にひとん家にやってきて、勝手に新婚旅行の行き先を決めるようタイプ。「誰が行くの?」って聞く間もないくらい、わくわくしながらガイドブックやパンフレットを見てるような、自分に酔ってるタイプ。ありゃあ、最低ね。別に彼がそうだっていうんじゃないけれど。ちょっと強引だった。まあ、でも、おもしろかったから時間としては付き合ってたし、たぶん互いに好きではあったんだろうな。
第二の敗因は、トヨタローってさ、相当なエリートだったことよね。
国際政治学を学びにこのロンドンに留学しにやってきてたの、単身でね。そのとき、すでに奥さんだか子どもだかが、日本にいたのかどうかその辺のことは詳しく知らないけれど、結婚してたのはたしかよ。だから私は、数年に渡る留学先の異国の地で、気晴らしにちょっと眼に止まった女の子ってことよね。それ以上もないしそれ以下でもない。そして永遠に何物にもなれない。それ以上になりたいっていうのじゃなく、そういう相手がいないと過ごせない、っていうのがいやだね。奥さんにだって失礼な話よ。
とにかくエリートだってことにだまされたのが失敗。エリートだったら、ことばをうまく使えたり、精神的にも助けてくれたりすることがあるかも、と考えたのが大きな間違いだった。
一時の慰め、要は、私の存在がそういうもんじゃないと思いたかったわ。偶然であれ、ナンパであれ、ひととの出会いがそこにあって、心が通い合うならば、互いを尊重できるものだと重たかったのよね。・・・なんて私も青かったこと。
でも、ほんとずるいよね。自分に家族があるなんてことは、ひとことも言わなかったのは。別にいてもいいんです。いたらダメなんじゃなくて、いるのならいるってきちんと言うべきで、さらに必要以上に親しくなってはいけないこと、最初から声なんてかけてはいけないということを、こっちがきちんと態度で示さなければならなかったから。
「ねえ、エリス、僕たちが日本とイギリスの架け橋になろう」なんて、歯が浮くような臭いことばは散々言ってたけどさ。
それでも、やっぱりまだ青かった私は、歯が浮くどーの、こーのじゃなくて、友好関係に一役買えるなら、それはまったくいいことだと思った。当時から私は俳優になることを夢見ていたし、それは別にイギリス国内に限られたことでもなかったから。演じる場所があればどこだってよかったの。トヨタローは、国際的に政治を考える立場なら余計に、実際に両国の人間がひとりでも多く知り合いになり、友達になることは大切なことだと思ったから。
なんであれ二人は結ばれなかった。たとえ、それが運命だったとしても、あの異常に責任逃れな態度は許せないわね。こっちはやっぱり身体ひとつで生きてる身なのよ。
何が国際政治学者よ。国際的にひとを、身体を傷つけておいて、なにが政治だ。
さらの問題は、彼がいろいろと私のことを書いて遺してるってことよ。
このまえ日本で公演があったから、寛大な心で持って私は、もう5年も前のことだからと、彼に会いにいったの。そしたら、本人は留守らしく?まったく出てこなくて、変わりに渡されたのは、彼の留学報告日記。印刷したものを家のお手伝いさんから渡されたわ。そこにはなんとまあ、私との愛のこともつらつらと書かれているわけ。後悔してるってことも含めてね。
でも、ひと目見て、わかったわ。これは後から書いたってこと。かなり最近になって書かれたってこと。インクの感じも、ノートの傷み方も、どこか真新しいし、それになにより、装丁がきれいすぎる。そうこれ、インターネットで配信されていた日記だったのよね。
もちろん彼が留学中から書かれていたみたいだけど、私は日本語堪能じゃないから、まるで知らないし、読めなかったのよね。当時は。
見せてもらったのは脚色がいっぱい。道理で、私とはまったく出かけてないはずの場所で、何度か出会ったことになってるわけだわ、こりゃ。
勝手にドラマが作られてるのを読みながら、「ああ!」と思ったわ。そしてわかったわ。
彼はこの中身に書いてあることを「後悔してる」んじゃなくて、すでに「公開してる」ってこと、そして、近々小説のかたちで、ほんとうに売り出されることを。
しまった、やられた!って思ったわ。
ああ、やんなっちゃう。ひどいオトコよ。あのトヨタローってのは。
とにかく私の人生、狂っちゃったのよ、どう責任とってくれるのよ。
どういうふうに書くのもどういうふうに記憶するのも公開するのも、別に、全部アンタの自由だけどさ、これくらいわかってほしいものよね。
ひとの身体は、ひとの心は、おもちゃじゃないってことくらいは。