8月7日(土)
本田秀伸選手のボクシングを観に行く。
生まれて初めてのボクシング観戦である。
本田さんのボクシングの身のこなしが非常に美しく、ボクシングに対して勝手に抱いていた、これまでのあまりよくないイメージ(暴力的、喧嘩、殴り合い、血を出すなど)が、きれいに払拭された。
本田さんの動きはすごくきれいである。身のこなしがすごく素敵である。それは素人目にもよくわかる。身体を使うことにおいて、たまたま目の前にあったのが、本田さんにとってのボクシングだったってことのように、思えた。
8月6日(金)
金曜のおかずはフライデイ。
題目「お気に召さなかったようで」を書いてみた。この前の翻案の『舞姫2004・勝手にその2』である。まあ、別ヴァージョンである。
ここに、貼り付けてもいいんだろうか?(いいよ、ウチダ注)
8月5日(木)
昨日の課題を提出したのち、午前中は「小説」の何たるかを知るため、雑誌『J.J』(2004.8月号)の解読となる。『J.J』はタカハシ先生の愛読書だそうである。
この雑誌、これまで美容院か立ち読みくらいでしか触った経験がなく、まともに読んだことがない。しかし今日の話に寄れば、非常に興味深い謎が隠されていた。
『J.J』は、「かわいいイデオロギー」満載の言説の宝庫であり、かつまた小説なのだそうである。そして、今日まで、ワタシがこれまでそれを読まずに生きてきたのは、今日の説明からすれば、その本自体が、ワタシに向けて出されたものではなかったので、読者層にならなかったというだけのことかもしれないことになる。
午後は昨日の課題の講評。
課題は、『虞美人草』、『たけくらべ』、『野菊の墓』、『舞姫』のうち、どれかひとつを選んで2004年度ヴァージョンとして翻案する、というもの。
大笑いのものや、びしっと決まったもの、ちょっとした味のあるもの、切れ味のいいもの、どれも聞いても、とてもおもしろかった。小説の書ける人っていいなあ。
最後は批評の仕方を熱く語るタカハシ先生がいた。
あっという間の4日間は過ぎた。興奮はまだ深く息づいているようである。
興奮冷めやらぬ状態のまま、何がどう刺激的なのかわからぬまま、とにかく漱石が好きで、鴎外はやっぱり苦手で、明治文学はおもしろくて、「事実は小説より奇なり」ということばはほんとうで、いろいろ読みたい現代小説が出てくるワタシを感じた。この日、ワタシはなんとか歩いていることが精一杯の状態で、家路に着くのがやっとだった。
高橋先生、ありがとうございました。とてもおもしろかったです。
8月4日(水)
本日は、伊藤左千夫の『野菊の墓』と森鴎外の『舞姫』。
まずは映画ということで、『野菊の墓』(1980年代製作)を見る。あの松田聖子主演映画である。アイドル文芸映画というのもなかなか時代を象徴しているものらしいが、それよりもワタシは、松田聖子の顔の原型を見たことで、懐かしくも激しく新鮮な印象を受けた。
どんな因縁か、午後には郷ひろみ主演の『舞姫』(監督:篠田正浩、1980年代)を観る。郷さんは何年経っても郷さんとわかる。やはり若い。「松田聖子の涙」ということばに対しては「郷ひろみのまゆ毛」かもしれない。
森鴎外の『舞姫』は、明治文学の骨格をはっきりと形付けたことを今再び知った。
夜には記憶のある限り、おそらく初めての小説を書く。といっても翻案。諸般の事情で、ベースは森鴎外の『舞姫』である。
「我は石見人森林太郎の力を勝手に借りて、いまただちに小説を書こうと欲す」という具合だ。鴎外がのりうつってくれんかなあ。
8月3日(火)
本日のお題は樋口一葉の『たけくらべ』と『にごりえ』。
なんとも実に興味深い「高橋家」のルーツを拝聴しつつ、最後には『蹴りたい背中』と『蛇にピアス』につながってしまうんだから、「すごい」のひとこと。知らぬうちに影響力を及ぼしている一葉もすごいけど、タカハシさんもすごい。
午前中は文学に合わせた映画鑑賞は、昭和の大スター美空ひばり主演の『たけくらべ』(監督:五所平之助)。ひばりさんが美登利役。「ひばりちゃん映画」をちゃんと見たのはこれが初めてだったが、18歳にしてあの貫禄。やっぱりスターは違うねえ、と驚き。
ただ、作品のテーマがテーマだけに、朝から、ずっしんっと重くのしかかってしまった。
道理で小学生の高学年の頃に初めて読んだ『たけくらべ』について、読んだことと登場人物の名前以外、まるで記憶がなかったわけである。
(こりゃあ、若いうちにはあんまり何のことか、わかりまへんわなあ~)と十数年ぶりの納得。
8月2日(月)高橋源一郎がやって来た!ヤアヤアヤア!
集中講義の初日。講師は作家の高橋源一郎氏。なぜか昨晩から、興奮してうまく眠れないのである。こんな緊張は滅多にない。おかげで朝からずっと眼がしょぼしょぼしている。
講義のお題は「日本文学史( )」。(後半はカッコと読む)。
じつは日本文学史というのは小さい頃から、ぐにゃっと身体が捩れるほど好きである。
国語のなかでも日本文学史だけは、これまでもわざわざ個別の時間を割いて学んできたせいか、どこか特別な意識が働くのである。
本日の講義は夏目漱石の『虞美人草』と尾崎紅葉の『金色夜叉』。
文学話の関連で映画をふたつ観た。偶然にもどちらの映画にも夏川大二郎がいる。演じるのは宗近君@『虞美人草』(監督:溝口健二)と間貫一@『金色夜叉』(監督:清水宏)である。これが、じつに濃いー顔なのである。本当に濃いー顔なのである。一度観たら忘れられない。嫌いではないが好きにもなれない。
初日講義の終了後、予想外にもタカハシ先生との懇親会を兼ねた食事会の末席を頂戴する!(内田先生ありがとうございました!)
会場は武庫之荘の「グロリア」。
めちゃうれしい!めちゃおいしい!です。(なお、ミーツ9月号にはこのお店の様子が掲載されています。山本画伯、ありがとうございました!)。
それにしても、ドバエ。それにしても、きゃべつ。
含蓄あるタカハシ先生のお言葉に朝から晩まで感激し続ける初日である。
8月1日(日)
夕方になって突如、高橋源一郎だ!という思いにかられ、短パンにTシャツというとんでもない格好で、ほとんど知り合いには誰にも会いたくないような(ちょっと会えないような)格好で、勢いよく電車に飛び乗る。
ところが、書店に走って最初に手にしたのは黒柳徹子で、立ち読みしたのは森博嗣だった。結局、買ったのは川上弘美だったけど、いま読んでいるのは中島らもである。なはは。なにを欲しているのか、わからんな。