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鞄のおもひで

4月19日(月)
 4月の大雨がまた降る。読書がはかどるのでちょうどよい。

 幼い頃(まあ幼稚園に通う頃だが)から雨の日が大嫌いだった。雨だというだけで身体全体が重くなり、傘というものを持って出かけること自体億劫で面倒で仕方なかったからである。雨の日独特の妙な匂いもきらいだった。

小学生の低学年の頃までは雨の日に長靴を履いて学校に行ったものである。これも嫌だった。長靴は足全体が蒸れるし、足元は危うくなるし、履きなれないし、なにより早く歩けないからである。

雨が降れば必ずできる水溜りも嫌なものだ。うっかりまたぐのをまたぎ損ねると、水がはねる。あんまりうれしいことではない。加えてやっとの思いで辿り着いた教室も暗いし、廊下もすべる。黒板は見難いし、気分も滅入る。頭痛がするし、話もうまくできない。寒かったり熱かったりで湿度だけが高い。まったくもっていいことがない。

 それでもランドセルを背負っていた頃はまだマシで、両手が使えるから傘をさすのはなんとかなった。困ったのは中学生になってからのちである。

中学には徒歩通学をしていた。晴れでも雨でも歩きながら肩からかけるスポーツバッグ型の鞄を持つことに決められていた。そのため、鞄を肩からかけるための腕が必要になった。雨の日はそれに加えて傘をさすための手が必要になった。一方に鞄、一方に傘である。制服を着ている。まったく動きやすい格好ではない。

おまけにどちらか片方に重さがかかり、必ずといっていいほど鞄を持つ側の肩が下に傾いてしまう。(多くの日本人の姿勢が傾く原因のひとつは、このような学生時代の鞄の持ち方によるところがあるように感じる)。

決して軽くはない鞄(「教科書は全部持って帰る」という当たり前のことが徹底されるじつに古くウルサイ学校であった)を持つ雨の日はどう考えても自由には歩けない。早く歩こうかとも思ったが、それも止めていた。雨が降る、風が吹くという状況の中で慌てると、ろくなことがないとわかっていたからだ。

 高校生になっても状況は変わらなかった。「体育」がある日に雨なんかが降るともう最悪だった。ひとつの場合としては、体育が同じ時間にあるクラスがいっせいに体育館に集まるからである。

熱い。その熱気だけで生きる心地がしなかった。しかもやることといったら、ランニング、ランニング、ランニング…。できればそんなことはしたくなかった。走るのが好きではないというよりも、雨の日に蒸し暑くなる体育館で走ることをしたくなかったからである。球技にしても同じだった。雨の日にするのと晴れの日にするのとまるで気分が違った。
 
 もうひとつの場合は、夏の頃の水泳があるときだ。そのシーズンに雨になるとたいへんだった。水着と体操服の両方持参で学校に行く。単純に荷物が増える。

というのも高校というところは、水温さえ基準に達すれば、雨でも何でも雷さえ落ちなければ問題なく泳がなければならなかったからである。水温は入る寸前まで誰にもわからなかった。かといって義務教育ではないので適当に休むと、あとが面倒なことになるからそう簡単に休むこともできないし、性質的に面倒なことはしない。

さて、幸か不幸か時代が進むに連れて、ワタシの鞄は重くなり、それに比例するかのように歩く距離は長くなった。高校のとき、卒業間際に書いた文集には、鞄の重さを皮肉った何かを載せた。

 大学に入ると、雨の日の乗車マナーの多くを学んだ。「すべて完璧!」とはいかないけれど、知らないことが多すぎた。雨は嫌いだけれど、知ることは、それはそれでおもしろかった。気分が滅入るには違いなかったが。

 今でもさっぱり雨は好きではない。やっぱり気分も滅入るし、うまく話せない。

それでも最近は以前ほど嫌いでもない。それは鞄が何でもよくなったこともあるだろうし、鞄の中身がさほど重くもなくなったからでもあるかもしれない。しかしそれよりも以前に比べて雨に対する嫌悪感を抱かなくなったのは、雨の音を聴くようになったからかもしれない。あるいは、もしかしたら、行き先が嫌いな場所ではないということが一番大きいかもしれない。

4月18日(日)
 いつから日曜日になったのか。その区切り目というのがとてもわかりにくい日だった。

 天気がとてもよく、太陽が燦燦と照り続けていた。その光の度合いが日曜日だということを気づかせてくれた。昼寝をしながら片付けながら。

4月17日(土)
 世界人類が平和であるということは可能だろうか。ワタシの手前勝手な都合の行動や事柄であっても、それが誰かの幸せにつながればとすこし思うことがある。

 何事もうまく折り合いをつけることは難しい。でも本当に難しいのは、誰のことも嫌わずにいることだ。それはかなり難しい。だって人間だもの。

4月16日(金)
 筍の灰汁抜きをしてわかったことは、それは見た目ほど食べられる部分が多くないことである。

4月15日(木)
 晴れの日もまた読書に向いている。本を読むという作業なり行為は結局、天気を選ばないのだろう。選ぶのは場所のほうだろう。

4月14日(水)
 雨の日は読書に向いている。静かに降り続く久しぶりの雨がすこしの涼しさを運んでくれるとともに、ことばのリズムをうまく乗せてくれるからだろうか。いや雨が静かに奏でるリズムがことばのなかで踊るのだろうか。

早くも春特有のほのかな甘い香りはどこへやら。ワタシの水曜日もきょうはどこへやら。

4月13日(火)
 ペ・ヨンジュンという俳優が男前であることをじつは随分前から感じてはいたが、チェ・ジウという俳優があんなにきれいなひとだとは、これまであまり意識したことがなかった。
ついでに言えば、ペさんは眼鏡をかけていない方がよいということを最近つとに感じており、チェさんは髪を上げ、額を見せている方が顔立ちがはっきりすることにきのう気づいたばかりである。

4月12日(月)
 月曜日は憂鬱だ。なんでなんだろう。

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2004年4月23日 09:38に投稿されたエントリーのページです。

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