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2004年4月 アーカイブ

2004年4月 5日

合宿とお花見の季節

4月4日(日)
 春休み最後の日。あれこれしようという気力よりも先に、雨よ止んでねと願う。

 「長屋」というのだろうか、この日録なんかが入っているその場所がだんだんとあたらしくなっている。まるで大家さんの建て増し作業みたいだ。改装場所が多すぎて大工さんはたいへんだ。でも家のあたらしい木の香りはいいものです。

4月3日(土)
お花見をする。

天気は明日から雨やら曇り。つまり晴れる週末はきょうしかない、花見はきょうしかできないってことである。

さくらの下で食べる。しゃべる。騒ぐ。遊ぶ。愛でる。はしゃぐ。

グラウンドを駆ける。なぜかはわからぬが「だるまさんがころんだ」をする。懐かしき「はないちもんめ」をする。これには個人的希望が入っていたとしてもその実現への期待はまったくしていなかったのだけれど。

こんなふうに表で遊んだのはいったいいつぶりのことだろう。

しかしそれ以上に疑問なのが、どうして「箪笥長持」の次に来るのが「どのこが欲しい?」ということばなんだろう。誰かご存知の方います?


 遊び疲れる間もなく宴会に突入。というわけで一同宴会場となる場所へ移動。

ところで、趣味とまではいかないがワタシは食べることが好きである。炭水化物があればひとまず心は安心する。テレビなんかで、モノをおいしく食べることだけをして生きているひとたちを見ると、たいへんにうらやましいことがある。

うまいものを教えてくれるひとやそういう場所を知らせてくれるひと、あるいは連れてってくれるひともまた好きである。でも一番好きなのは、一緒にご飯を食べているときにおいしいと感じられるひとである。(先日の師もそのようにおっしゃっていた。意見の一致が心底うれしく感じられる)。

 「うまい」という条件には高級食材を使うとか、値のはるものを食べたらそれでいいというわけではない。それはあまり関係ない。もちろんよいものを使えば、作っても食べに行っても、それなりに味はよくなるものだろう。しかしそれはそこまでのものだ。問題は食べるという行為がまた同じ相手やひとびとの場合で次回もありうるのかどうかであり、それはすべて一緒に食べ物を眼の前にした相手によるんだと思う。おいしさの度合いが増すことも話の進み具合もすべて含めて。(相手の相手もワタシなんだと考えると、いろいろまたさらに考えてしまうが)。

ご飯を一緒に食べるのがうまいと感じる相手とそうでないと感じる相手やグループがいることは、この少ない人生経験においても断言できる。立場上席をはずすことができなかったために同席したものからの経験であったり、一緒にごはんを食べてみると意外に味のしないことがあったり・・・とまあいろいろだ。

哀しいかなこれらの食事というのはあとになって振り返ると、ほとんど何を食べたか覚えていない。そのときに誰がいたかを覚えていないことくらいはまだ可愛いものだと思う。なぜなら、ひどいときには食事のこと自体記憶の片隅に追いやられ、場合によっては記憶が抹消されるからだ。それでいて、どこか「おいしくない」という味覚だけが身体のどこかに刻まれる。さっぱり理由はわからなくても「おいしくなかった」という経験的な記憶が残る。それもまるで前後関係がわからないまま深く身体に残ってしまう。舌がうまくなかった味だけをかなり精密に覚えている。(人間とはじつに便利なものだ)。

ともあれ、安心できない場合(ワタシにとっての炭水化物のようなひとでない限り)は、以後席を共にすることは未来永劫ない。…というのは大袈裟な話かもしれないが多少これに似た感触はある。(それでもまた相手の相手はワタシなのだ。「他者の他者」かなと、さまざまに思いが過ぎる)。


 夜には夜桜、テレビには名越先生。さっそく拝見する。

 先生は、とある日の内村光良が篠原涼子と一緒に行動したときの様子を映したビデオを見て、ウッチャンの精神分析されていた。

 番組はだいたい23分くらいだそうだけれど、その編集に至るまでに相当時間がかかっておられることはほんとうによくわかった。とにかくたいへんそうな番組である。

4月2日(金)
 いまその具体的な言葉はないけれど、何らかの物事に対して、すっきりしないあるいは釈然としないとき、その思いをうまくことばにしてくれる誰かに出会うとすごくありがたく思う。

ほんとは「うまくかたづかない感触」や「ことばにしにくい気持ち」を少しでも自分で触れることができれば世話はないのだけれど、いつもうまくできるとは限らないし、あらゆることができるとはいえないのだから仕方がない。だから教えてもらうしか手はない。

ここ一番というときの、とっておきの調味料のように、その手にスパーシーなものや味をもっている人がいる。バランスのよい味付けできる、絶妙なだれかに。

もちろん事柄のすべてをはっきりことばで表現してしまうこともないのだろうけれど、ちょっとことばが欲しいことがある。

構えてないで脅えないでぶつかって行こう。前を向いて歩く。

そんなことを教えてくれる。

そういう出会いに出会えてよかったなあと思う。

きょうはM氏にそう思った。ちょっと分けてもらいたいその勇気、その知恵、その力。

4月1日(木)四月バカ
 年度始めという名の4月の始まり。

 朝からずっと軽い嘘でも…と思っていたが、それどころではなく一日慌しく走り回っていたので瞬く間に済んでしまった。

あーあ。また来年まで待たなくっちゃならない。逃してしまった。

しかし毎年おんなじことを言っているような気もしないでもない。ならば、これがほんとの四月バカ。

3月31日(水)年度末
 年度末という名の3月終わり。 

3月30日(火)雨
 初めて能装束というものをつけさせてもらう。

 面を被る姿を鏡で見ると少々驚いた。なぜならそこには「私でない私」がいたからだ。しかしそれは「私」でしかない。でも「私」ではない。けれどほかの誰でもない。とにかく得体の知れないもののような気がした。

ほかの誰かが同じ衣装を着てもそれは誰かであって私ではないように、私が来た衣装が映る姿は結局私であってほかの誰でもないのだ。

ブツクサ考えているうち、雨は段々ひどくなる。

3月29日(月)
 稽古三昧の次の日は洗濯三昧。天気がよくてなによりだ。

3月26日(金)〜28日(日)神戸女学院大学合気道部春合宿
 恒例の春合宿である。いつもの神鍋高原へと向かう。

神鍋へと続く道や近くの山には、まだ融け切らぬ雪がちらほら残る。どうやらすこし寒いみたいだ。

今回の宿はいつもと同じだが道場はいつもすこし場所が変わり、勝手が違うことで一抹の懸念を抱かないでもなかったが、杞憂であった。

3日間天気も良好、日差しも暖かく、畳のずれも少なく、無事に過ごせたことは、たいへんによかったのである。大事に至る怪我人もなく、道場までの道のりも、すこしの散歩になり、とてもよい心地だったのだ。

合宿二日目の夜は、「追いコン」と宴会と、春恒例の幹部交代式をした。

交代式は、まるでひとりコントのような式になってしまったが、まあ、ああいう形式ばった場は苦手なので、しみじみした挨拶よりも司会進行をしているぐらいがちょうどいいのだろう。ワタシには。

合宿三日目には、めったに見られない三段の審査というのも拝見し、とても貴重な経験もさまざまにさせていただいた。

今回の合宿は合気道部の主将を務めさせていただいた期間の締めくくりとして、思いっきり楽しんで参加できたという実感がある。とても充実した時間だ。全身にひとりでエネルギーが満ち溢れている。身体が愉快だ。

いつも支えてくださる先輩後輩、(同期じゃないけど同期のような感じだとうれしいのだけれど)親しく接してくださる先生、そして何より内田先生のおかげで、楽しく愉快に無事に怪我もなく過ごせました。ありがとうございました。

おかげさまで、ワタシはまた「にっこり」笑って、楽しい稽古をすることができました。

満ち足りた3日間の充実とともに、飽くなき邪悪への道も開け、心身ともにパワーアップするというものです。

 今後ともよろしくお願いいたします。

※そうそう「満ち足りた」といえば体重の話。帰ってから量ってみると200グラム減っていました。ほんのわずかの量ですが減ったわけです。ということで結果は「体重が減る」でした。よろしくお願いします。はいほー。

3月25日(木)
 着物ってステキ。

3月24日(水)
 「よだきんぼ」とは宮崎県の方言で「面倒くさがり」を意味する。(へぇ〜)。何へぇ〜?

3月23日(火)「芸術は爆発だ!」
 万博記念公園にある太陽の塔の内部一般公開に行く。

一般公開があると知って応募してみたら抽選で当たったのである。

こんなことは初めてなので、いそいそと出かける。そして開館当時以来の太陽の塔の中身を拝見するのである。

入ったのは地下のコンクリート作りのところなので、地上より、いくらかひやっと冷たい。

分厚めのコートを着てこられたためにお会いするなり暑さを感じておられた飯田先生は、思ったより内部の温度が低くて喜ばれていた。(先生は昨日の冷え込みから判断して、きょうは分厚めのコートを羽織ってこられたのである。しかし天気は潔く回復し、その格好では暑さを感じるくらいになっていたのである)。

 ところで、太陽の塔といえば、ご存知岡本太郎の作品であり1970年の大阪万国博覧会のときメインとなった建造物である。

 よくよく近くで見てみると、びっしりと腕が太く突き刺さったかのような大きくて強い像だ。よくまあ壊れることも倒れることもなく30数年建っているものだ。エネルギーが忘れ去られることなく漲っている。

 ♪こんにちは〜こんにちは〜世界の国から〜

三波春夫の音頭に合わせて誰もが踊り、口ずさんだあの頃が懐かしい。

 なにかがどこかで懐かしい。

2004年4月12日

ひょうたん島に春来る

4月11日(日)
 中華はうますぎる。うますぎるから食べ過ぎる。食べ過ぎるから丸くなる。丸くなるから太くなる。太くなるから大きくなる。大きくなるから眠くなる。眠くなるから横になる。横になるから寝静まる。寝静まると朝が来る。うーん、おいしかった。

4月10日(土)
 ひっさひぶりに受けをとらせてもらう。

 何も考えずにいたあの頃をどう違うか(「あの頃」って…ほんの数週間前ですが)。

 さして何も変わってません。やっぱり何も考えてませんでした。

ま、考えても仕方がないし。

すこし気温が上がったかな。

 春独特の匂いや香りがします。

4月9日(金)
 「至急」の依頼を受け賜る。

それを急いで、きょうしてしまうのは、きょうという日が4月9日だからさ。

4月8日(木)お釈迦さまの日。
 『ひょっこりひょうたん島』をめでたく鑑賞完了。

 昨年度の一年をとおしてNHKで放送されたいたものである。(それは12年前のリメイク版の再放送)。

 12年前はそんなに興味もなく、ときどきちらっと見ていた程度だが、今度は毎週はっきりきっちり観ていた。

 これがなかなかよくできていて、こどもの物語とは思えないほど中身も充実している。
回を追うごとにさまざまな登場人物の関係性は描かれ、作中に出てくるひとつの品物に対し、キャラクターたちがああでもないこうでもないと考える姿がある。きちんと、ことばのやり取りからストーリーまで、キャラクターの使い分けから事件発生まで、全編に渡って事物や関係性が事細かに、そして巧みに表現されている。だからこそ、難しいことばは難しいままに語るかと思えば、誰かがあとから説明する。(しないときもある)のである。
とにかく、おそらく、この作品は、「こども」を舐めていない。さすが井上ひさし!である。

今だから言うがワタシは最初、これを何の気なく仕事(?)がらみで見ていたのだが、途中からは毎週たのしみにしていた。ほとんど日課のようであった。(おかげさまで多方面において使わせていただくことができたので〜あります!ブフブハッ)。いやあ、ほんとうにおもしろいんです、これが。機会があればぜひご覧ください。

そんな「ひょうたん島」の放送が3月末で無事終了。

一年間見続けた後の快感というのを久しぶりに味わう。

改めて思い出深い作品となりそうである。

4月7日(水)
 やっぱり新学期は書類手続きすることが多くって、それで疲れる。

4月6日(火)
 とりあえず新学期は「新学期になる」という事実がたくさんあって、それで疲れる。

4月5日(月)入学式
 さくら咲く新学期はいつもの入学式前にやるビラ配りから始まる。

 大学の入学式は二部形式なので勧誘も二部形式となる。つまりはビラを配る時間が二度に分けられるってことだ。これがいいんだか、悪いんだか。

初々しい新入生を横目に午後の勧誘に励んでいる頃、学内を歩いておられた学長先生に会う。そして、「あら、あなたたち、まだ、かりだされてるの?」と言われる。

たしかに。そうである。

よくよく考えてみれば、なんでワタシはあそこにいたんだろう!(え?さくら?)

2004年4月23日

鞄のおもひで

4月19日(月)
 4月の大雨がまた降る。読書がはかどるのでちょうどよい。

 幼い頃(まあ幼稚園に通う頃だが)から雨の日が大嫌いだった。雨だというだけで身体全体が重くなり、傘というものを持って出かけること自体億劫で面倒で仕方なかったからである。雨の日独特の妙な匂いもきらいだった。

小学生の低学年の頃までは雨の日に長靴を履いて学校に行ったものである。これも嫌だった。長靴は足全体が蒸れるし、足元は危うくなるし、履きなれないし、なにより早く歩けないからである。

雨が降れば必ずできる水溜りも嫌なものだ。うっかりまたぐのをまたぎ損ねると、水がはねる。あんまりうれしいことではない。加えてやっとの思いで辿り着いた教室も暗いし、廊下もすべる。黒板は見難いし、気分も滅入る。頭痛がするし、話もうまくできない。寒かったり熱かったりで湿度だけが高い。まったくもっていいことがない。

 それでもランドセルを背負っていた頃はまだマシで、両手が使えるから傘をさすのはなんとかなった。困ったのは中学生になってからのちである。

中学には徒歩通学をしていた。晴れでも雨でも歩きながら肩からかけるスポーツバッグ型の鞄を持つことに決められていた。そのため、鞄を肩からかけるための腕が必要になった。雨の日はそれに加えて傘をさすための手が必要になった。一方に鞄、一方に傘である。制服を着ている。まったく動きやすい格好ではない。

おまけにどちらか片方に重さがかかり、必ずといっていいほど鞄を持つ側の肩が下に傾いてしまう。(多くの日本人の姿勢が傾く原因のひとつは、このような学生時代の鞄の持ち方によるところがあるように感じる)。

決して軽くはない鞄(「教科書は全部持って帰る」という当たり前のことが徹底されるじつに古くウルサイ学校であった)を持つ雨の日はどう考えても自由には歩けない。早く歩こうかとも思ったが、それも止めていた。雨が降る、風が吹くという状況の中で慌てると、ろくなことがないとわかっていたからだ。

 高校生になっても状況は変わらなかった。「体育」がある日に雨なんかが降るともう最悪だった。ひとつの場合としては、体育が同じ時間にあるクラスがいっせいに体育館に集まるからである。

熱い。その熱気だけで生きる心地がしなかった。しかもやることといったら、ランニング、ランニング、ランニング…。できればそんなことはしたくなかった。走るのが好きではないというよりも、雨の日に蒸し暑くなる体育館で走ることをしたくなかったからである。球技にしても同じだった。雨の日にするのと晴れの日にするのとまるで気分が違った。
 
 もうひとつの場合は、夏の頃の水泳があるときだ。そのシーズンに雨になるとたいへんだった。水着と体操服の両方持参で学校に行く。単純に荷物が増える。

というのも高校というところは、水温さえ基準に達すれば、雨でも何でも雷さえ落ちなければ問題なく泳がなければならなかったからである。水温は入る寸前まで誰にもわからなかった。かといって義務教育ではないので適当に休むと、あとが面倒なことになるからそう簡単に休むこともできないし、性質的に面倒なことはしない。

さて、幸か不幸か時代が進むに連れて、ワタシの鞄は重くなり、それに比例するかのように歩く距離は長くなった。高校のとき、卒業間際に書いた文集には、鞄の重さを皮肉った何かを載せた。

 大学に入ると、雨の日の乗車マナーの多くを学んだ。「すべて完璧!」とはいかないけれど、知らないことが多すぎた。雨は嫌いだけれど、知ることは、それはそれでおもしろかった。気分が滅入るには違いなかったが。

 今でもさっぱり雨は好きではない。やっぱり気分も滅入るし、うまく話せない。

それでも最近は以前ほど嫌いでもない。それは鞄が何でもよくなったこともあるだろうし、鞄の中身がさほど重くもなくなったからでもあるかもしれない。しかしそれよりも以前に比べて雨に対する嫌悪感を抱かなくなったのは、雨の音を聴くようになったからかもしれない。あるいは、もしかしたら、行き先が嫌いな場所ではないということが一番大きいかもしれない。

4月18日(日)
 いつから日曜日になったのか。その区切り目というのがとてもわかりにくい日だった。

 天気がとてもよく、太陽が燦燦と照り続けていた。その光の度合いが日曜日だということを気づかせてくれた。昼寝をしながら片付けながら。

4月17日(土)
 世界人類が平和であるということは可能だろうか。ワタシの手前勝手な都合の行動や事柄であっても、それが誰かの幸せにつながればとすこし思うことがある。

 何事もうまく折り合いをつけることは難しい。でも本当に難しいのは、誰のことも嫌わずにいることだ。それはかなり難しい。だって人間だもの。

4月16日(金)
 筍の灰汁抜きをしてわかったことは、それは見た目ほど食べられる部分が多くないことである。

4月15日(木)
 晴れの日もまた読書に向いている。本を読むという作業なり行為は結局、天気を選ばないのだろう。選ぶのは場所のほうだろう。

4月14日(水)
 雨の日は読書に向いている。静かに降り続く久しぶりの雨がすこしの涼しさを運んでくれるとともに、ことばのリズムをうまく乗せてくれるからだろうか。いや雨が静かに奏でるリズムがことばのなかで踊るのだろうか。

早くも春特有のほのかな甘い香りはどこへやら。ワタシの水曜日もきょうはどこへやら。

4月13日(火)
 ペ・ヨンジュンという俳優が男前であることをじつは随分前から感じてはいたが、チェ・ジウという俳優があんなにきれいなひとだとは、これまであまり意識したことがなかった。
ついでに言えば、ペさんは眼鏡をかけていない方がよいということを最近つとに感じており、チェさんは髪を上げ、額を見せている方が顔立ちがはっきりすることにきのう気づいたばかりである。

4月12日(月)
 月曜日は憂鬱だ。なんでなんだろう。

2004年4月30日

山を折りる座等市(といっても、意味が分かるのはウッキーだけ)

4月30日(金)
 連休の谷間の平日。
朝起きると喉が痛い。鼻水が出る。だるい。寒気がする。風邪の前兆であることはすぐさまわかった。

 市販の風邪薬を飲んで、なんとか昼前には銀行と郵便局に行く。行かなければならぬ必要があるからだ。
どちらも連休の間の平日なので混んでいる。とはいえ郵便局はさほど並ばず、いつもと同じくらいの時間(3分以内)でATMに対することができた。しかし銀行はそうはいかなかった。お昼の12時をまわったくらいの時間で、すでに恐ろしいほどの人で入口付近までごった返している。

時間帯として一日の中で一番多いのかもしれないが、阪急西宮北口駅付近のM銀行には、ATM利用に並んでいるひとひとひと!で溢れていた。その数ざっと50人。そこまで並ぶくらいならどこか別のところに行こうと、さっさと両替だけすまして出てくる。

 それから、どこかに行ってしまった見つからない自転車を探す。
先日、自転車置き場を見たらまた見当たらなかったのである。わりとよくあることなのだが、毎日乗っているわけではないので、ふとした拍子にどこに置いたのかわからなくなる。そして自転車のことをすっかり忘れてしまうのだ。

今回もてっきり大学に忘れてきたのだろうと思って探したらなかった。ほかに置き忘れそうなところと言えば西北駅付近しかない。探してみたら、ほかの誰かの自転車の間に挟まれて元気そうに止まっていた。晴れて、しかし、頭はぼんやりと、おそらく一週間ぶりの再会を果たす。

風邪によさそうな野菜を買ってうちに戻る。
そして大学に行く。夕方になったので山を下り三宅接骨院へ行く。

そのころにはもうかなりぼんやりしている。
朝から一度も熱は計っていないのだが、だるい。計るとその数字でさらに気分が悪くなるような気がしたからだ。さらに薬のせいか眠くなってくる。
 静かに治療を受けて家路に着く。野菜を調理し食べる。
 月末だし、もう寝よう。

4月29日(木)みどりの日
 窓から緑生い茂る大学を久しぶりに見た。

4月28日(水)
 結局ワタシは守られて、救われて、助けられているのだと思う。きょう出会った人のすべてに感謝。感謝はまだまだ足りないけれど、それでも感謝できることにまた感謝。

4月27日(火)
 大雨。火曜日の雨が多いと思う。

4月26日(月)
 また雨が降り出した。ワタシのせいだ。

4月25日(日)
 ほんの1ヶ月前のことを、かなり遠い昔のことのように感じることがある。

 そう感じるのは、1ヶ月前から今日までの日々がかなり充実していたということだろうか。大きな事件はないけれど、いやまさに文字通り、「何もない日」というのは何にもない。

 毎日毎日いろんなことがある。まあ、どれにせよ主観かもしれないけれど。

そうである。周りから見ればワタシの行動が「ルーティーンワーク」のように見えたとしても、ワタシにとっては、これらの日々(たとえば1ヶ月前から今日までとしますね)がつまらないとは感じたことはないのである。

4月24日(土)
 あああああ!!!ささくれ立ちそうな心に一杯のラーメン。アーメン。

4月23日(金)
 23日の金曜日。さして何も怖がる必要はないが、夕方の5時半くらいを過ぎると狂ったように風が吹き荒れたのには、少々恐ろしくなった。

目を開けて前に歩けず、閉じても歩けず(「座頭市」みたいにも)。
けれど、それでも前に進まなければならない。だって行き先は大概前にあるから。

うっかりゴミが眼に入ったときには目に沁みること、沁みること。こんなときは牛のようにのろのろと歩くしかない。ああ、ホント牛歩。

4月22日(木)
 ワークショップの時間はわりと楽しい。自らが実習を受けているような気分になれる不思議な時間だ。

4月21日(水)
 さらに記憶にない。(政治家みたいだな…偏見!?)

4月20日(火)
 なにがあったかあんまり記憶にない。

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