合宿とお花見の季節
4月4日(日)
春休み最後の日。あれこれしようという気力よりも先に、雨よ止んでねと願う。
「長屋」というのだろうか、この日録なんかが入っているその場所がだんだんとあたらしくなっている。まるで大家さんの建て増し作業みたいだ。改装場所が多すぎて大工さんはたいへんだ。でも家のあたらしい木の香りはいいものです。
4月3日(土)
お花見をする。
天気は明日から雨やら曇り。つまり晴れる週末はきょうしかない、花見はきょうしかできないってことである。
さくらの下で食べる。しゃべる。騒ぐ。遊ぶ。愛でる。はしゃぐ。
グラウンドを駆ける。なぜかはわからぬが「だるまさんがころんだ」をする。懐かしき「はないちもんめ」をする。これには個人的希望が入っていたとしてもその実現への期待はまったくしていなかったのだけれど。
こんなふうに表で遊んだのはいったいいつぶりのことだろう。
しかしそれ以上に疑問なのが、どうして「箪笥長持」の次に来るのが「どのこが欲しい?」ということばなんだろう。誰かご存知の方います?
遊び疲れる間もなく宴会に突入。というわけで一同宴会場となる場所へ移動。
ところで、趣味とまではいかないがワタシは食べることが好きである。炭水化物があればひとまず心は安心する。テレビなんかで、モノをおいしく食べることだけをして生きているひとたちを見ると、たいへんにうらやましいことがある。
うまいものを教えてくれるひとやそういう場所を知らせてくれるひと、あるいは連れてってくれるひともまた好きである。でも一番好きなのは、一緒にご飯を食べているときにおいしいと感じられるひとである。(先日の師もそのようにおっしゃっていた。意見の一致が心底うれしく感じられる)。
「うまい」という条件には高級食材を使うとか、値のはるものを食べたらそれでいいというわけではない。それはあまり関係ない。もちろんよいものを使えば、作っても食べに行っても、それなりに味はよくなるものだろう。しかしそれはそこまでのものだ。問題は食べるという行為がまた同じ相手やひとびとの場合で次回もありうるのかどうかであり、それはすべて一緒に食べ物を眼の前にした相手によるんだと思う。おいしさの度合いが増すことも話の進み具合もすべて含めて。(相手の相手もワタシなんだと考えると、いろいろまたさらに考えてしまうが)。
ご飯を一緒に食べるのがうまいと感じる相手とそうでないと感じる相手やグループがいることは、この少ない人生経験においても断言できる。立場上席をはずすことができなかったために同席したものからの経験であったり、一緒にごはんを食べてみると意外に味のしないことがあったり・・・とまあいろいろだ。
哀しいかなこれらの食事というのはあとになって振り返ると、ほとんど何を食べたか覚えていない。そのときに誰がいたかを覚えていないことくらいはまだ可愛いものだと思う。なぜなら、ひどいときには食事のこと自体記憶の片隅に追いやられ、場合によっては記憶が抹消されるからだ。それでいて、どこか「おいしくない」という味覚だけが身体のどこかに刻まれる。さっぱり理由はわからなくても「おいしくなかった」という経験的な記憶が残る。それもまるで前後関係がわからないまま深く身体に残ってしまう。舌がうまくなかった味だけをかなり精密に覚えている。(人間とはじつに便利なものだ)。
ともあれ、安心できない場合(ワタシにとっての炭水化物のようなひとでない限り)は、以後席を共にすることは未来永劫ない。…というのは大袈裟な話かもしれないが多少これに似た感触はある。(それでもまた相手の相手はワタシなのだ。「他者の他者」かなと、さまざまに思いが過ぎる)。
夜には夜桜、テレビには名越先生。さっそく拝見する。
先生は、とある日の内村光良が篠原涼子と一緒に行動したときの様子を映したビデオを見て、ウッチャンの精神分析されていた。
番組はだいたい23分くらいだそうだけれど、その編集に至るまでに相当時間がかかっておられることはほんとうによくわかった。とにかくたいへんそうな番組である。
4月2日(金)
いまその具体的な言葉はないけれど、何らかの物事に対して、すっきりしないあるいは釈然としないとき、その思いをうまくことばにしてくれる誰かに出会うとすごくありがたく思う。
ほんとは「うまくかたづかない感触」や「ことばにしにくい気持ち」を少しでも自分で触れることができれば世話はないのだけれど、いつもうまくできるとは限らないし、あらゆることができるとはいえないのだから仕方がない。だから教えてもらうしか手はない。
ここ一番というときの、とっておきの調味料のように、その手にスパーシーなものや味をもっている人がいる。バランスのよい味付けできる、絶妙なだれかに。
もちろん事柄のすべてをはっきりことばで表現してしまうこともないのだろうけれど、ちょっとことばが欲しいことがある。
構えてないで脅えないでぶつかって行こう。前を向いて歩く。
そんなことを教えてくれる。
そういう出会いに出会えてよかったなあと思う。
きょうはM氏にそう思った。ちょっと分けてもらいたいその勇気、その知恵、その力。
4月1日(木)四月バカ
年度始めという名の4月の始まり。
朝からずっと軽い嘘でも…と思っていたが、それどころではなく一日慌しく走り回っていたので瞬く間に済んでしまった。
あーあ。また来年まで待たなくっちゃならない。逃してしまった。
しかし毎年おんなじことを言っているような気もしないでもない。ならば、これがほんとの四月バカ。
3月31日(水)年度末
年度末という名の3月終わり。
3月30日(火)雨
初めて能装束というものをつけさせてもらう。
面を被る姿を鏡で見ると少々驚いた。なぜならそこには「私でない私」がいたからだ。しかしそれは「私」でしかない。でも「私」ではない。けれどほかの誰でもない。とにかく得体の知れないもののような気がした。
ほかの誰かが同じ衣装を着てもそれは誰かであって私ではないように、私が来た衣装が映る姿は結局私であってほかの誰でもないのだ。
ブツクサ考えているうち、雨は段々ひどくなる。
3月29日(月)
稽古三昧の次の日は洗濯三昧。天気がよくてなによりだ。
3月26日(金)〜28日(日)神戸女学院大学合気道部春合宿
恒例の春合宿である。いつもの神鍋高原へと向かう。
神鍋へと続く道や近くの山には、まだ融け切らぬ雪がちらほら残る。どうやらすこし寒いみたいだ。
今回の宿はいつもと同じだが道場はいつもすこし場所が変わり、勝手が違うことで一抹の懸念を抱かないでもなかったが、杞憂であった。
3日間天気も良好、日差しも暖かく、畳のずれも少なく、無事に過ごせたことは、たいへんによかったのである。大事に至る怪我人もなく、道場までの道のりも、すこしの散歩になり、とてもよい心地だったのだ。
合宿二日目の夜は、「追いコン」と宴会と、春恒例の幹部交代式をした。
交代式は、まるでひとりコントのような式になってしまったが、まあ、ああいう形式ばった場は苦手なので、しみじみした挨拶よりも司会進行をしているぐらいがちょうどいいのだろう。ワタシには。
合宿三日目には、めったに見られない三段の審査というのも拝見し、とても貴重な経験もさまざまにさせていただいた。
今回の合宿は合気道部の主将を務めさせていただいた期間の締めくくりとして、思いっきり楽しんで参加できたという実感がある。とても充実した時間だ。全身にひとりでエネルギーが満ち溢れている。身体が愉快だ。
いつも支えてくださる先輩後輩、(同期じゃないけど同期のような感じだとうれしいのだけれど)親しく接してくださる先生、そして何より内田先生のおかげで、楽しく愉快に無事に怪我もなく過ごせました。ありがとうございました。
おかげさまで、ワタシはまた「にっこり」笑って、楽しい稽古をすることができました。
満ち足りた3日間の充実とともに、飽くなき邪悪への道も開け、心身ともにパワーアップするというものです。
今後ともよろしくお願いいたします。
※そうそう「満ち足りた」といえば体重の話。帰ってから量ってみると200グラム減っていました。ほんのわずかの量ですが減ったわけです。ということで結果は「体重が減る」でした。よろしくお願いします。はいほー。
3月25日(木)
着物ってステキ。
3月24日(水)
「よだきんぼ」とは宮崎県の方言で「面倒くさがり」を意味する。(へぇ〜)。何へぇ〜?
3月23日(火)「芸術は爆発だ!」
万博記念公園にある太陽の塔の内部一般公開に行く。
一般公開があると知って応募してみたら抽選で当たったのである。
こんなことは初めてなので、いそいそと出かける。そして開館当時以来の太陽の塔の中身を拝見するのである。
入ったのは地下のコンクリート作りのところなので、地上より、いくらかひやっと冷たい。
分厚めのコートを着てこられたためにお会いするなり暑さを感じておられた飯田先生は、思ったより内部の温度が低くて喜ばれていた。(先生は昨日の冷え込みから判断して、きょうは分厚めのコートを羽織ってこられたのである。しかし天気は潔く回復し、その格好では暑さを感じるくらいになっていたのである)。
ところで、太陽の塔といえば、ご存知岡本太郎の作品であり1970年の大阪万国博覧会のときメインとなった建造物である。
よくよく近くで見てみると、びっしりと腕が太く突き刺さったかのような大きくて強い像だ。よくまあ壊れることも倒れることもなく30数年建っているものだ。エネルギーが忘れ去られることなく漲っている。
♪こんにちは〜こんにちは〜世界の国から〜
三波春夫の音頭に合わせて誰もが踊り、口ずさんだあの頃が懐かしい。
なにかがどこかで懐かしい。