ザルツブルク音楽祭へ (その8)ウィーン〜帰国

ウィーン滞在の二日目、この日は午前中にシェーンブルン宮殿を訪ね、午後はケルントナー通りで買い物をしようという予定であった。
まずは地下鉄にてシェーンブルン宮殿へ。カールスプラッツ駅から地下鉄4番線にて6駅目のシェーンブルン駅にて下車、そこから宮殿まで歩く。朝早かった(午前9時半)からか、観光客はまだそんなには多くない。ここも僕は38年ぶりの再訪である(そのときは宮殿内の見学はしなかった)。

iPhoneのシシィチケット(シェーンブルン宮殿への優先入場券)の画面を準備して宮殿内の受付へ。
手荷物を預け、入口を入ったところでトランシーバー様の音声ガイドを受け取る。僕らの前には中国人の団体客がいた。そのすぐ後に並んでいたからであろうが、音声ガイドは中国語仕様のものを渡されてしまった。どうチャンネルを合わせても、中国語しか聞こえてこないのである。すぐに音声ガイド窓口のところにいた係員に「僕ら中国人とちゃいます、日本人です。なので日本語の音声ガイドに設定し直してください」とお願いすると、なにやら音声ガイドのボタンを操作して日本語仕様に変更してくれた。

シェーンブルン宮殿内の見学には、二種類のコースが用意されている。「インペリアルツアー」と「グランドツアー」である。それぞれの違いは、「インペリアルツアー」が22室見学で14.2ユーロ(約1,800円)、「グランドツアー」は40室見学で17.5ユーロ(約2,250円)である。僕らのシシィチケットは、「グランドツアー」に対応していた。

中国人の団体客からできるだけ離れようと思い、最初のいくつかの部屋はほぼスルーして、静かに見学ができる部屋から、音声ガイドを聞きながらじっくり見ていった。宮殿内の写真撮影は禁止されている。ところが、ある部屋で急に警報が鳴り出した。見ると、中国人のオッさんがタブレットPCを持ち出して写真を撮っていたのである。警報を聞くと、そのオッさんはすぐにその場を立ち去った。また、壮麗なシャンデリアがある部屋では、中国人のオネーさんが持っていた水筒の中身をいきなりカーペットにこぼしたので、係員が慌てて駆けつけて来た。どうも中国の人は、団体で来ている気安さからか、マナーに欠ける行動を取りがちのように思う。このままでは、早晩世界各国から顰蹙を買うこと必定であろう。

最初の22室を見終わると、ルートはさらに奥の部屋へと続くコースと、そのまま出口へ向かうコースとに別れる。そこにはチケットを確認するオバちゃんがいて、グランドツアーのチケットをチェックしていた。僕らはiPhoneの画面を見せて、そのまま奥の部屋へ。ここからは中国人の団体客が一気に減ったので、落ち着いて一つ一つの部屋を見ていった。
奥の部屋は、それまでの部屋とは全く異なる部屋であった!琥珀ばかりでできている「琥珀の間」、ナポレオンが会議を行った「漆の間」、6歳のモーツァルトが演奏を披露した部屋や、インドとペルシャの細密画が飾られた部屋など、次から次へと思わずため息が出るような部屋ばかりを見ることができたのである。「インペリアルツアー」と「グランドツアー」は、わずかに450円ほどの違いである。この両者に関しては、迷わず「グランドツアー」を選択するべきだと、『地球の歩き方』にもぜひ書いておいていただきたい。

宮殿内の見学を終えて外へ出た。今度は庭園を見ようということで、宮殿受付の左側に回って、庭園内に入ろうと試みた。ところが、その入口がわからない。有料の入場口があったので、まさか庭園見学も有料か?と思い、その受付で聞いてみると、そこは有料の「皇太子の庭園」への入園口で、庭園へはそこから100メートルくらい先の入口から入れるとのことであった。
その入口と思しきところから中に入った。目指すは宮殿から正面の小高い丘の上にある「グロリエッテ」。ところが、行けども行けども宮殿は見えないし、広大な庭園も見えない。38年前に来たはずなのに、あまりの広大さに迷ってしまったのである。仕方がないので、Googleマップでグロリエッテを検索してみた。どうやら、僕らは庭園東側の林の中にいるらしい。Googleマップに従ってグロリエッテの方角を目指す。しかし、どちらを見回しても同じような景色が広がっているばかりで、自分たちのいるところがいまいちはっきりとしないのである。何度もGoogleマップを見直して、ようやく宮殿正面の庭園と大きな噴水のあるところに出ることができた。

ここからグロリエッテまでは、丘を登っていかなければならない。なるべく日陰の道を選んで、グロリエッテを目指す。だんだんと登っていくと、宮殿と庭園がいかにも美しく眺められる。
ようやくのことでグロリエッテへ。38年前と違って、グロリエッテの屋上まで上がるのは有料になっていた。屋上からでなくとも、そこからは遠くシュテファン寺院までもが望める絶景が見られた。しばし、その絶景に暑さを忘れた。
シェーンブルン宮殿を後にするころには、僕らが来たときとは違って、すごい数の観光客がチケット売り場に列をなしていた。早く来て良かったと思った。来たときと同じ地下鉄4番線にてホテルに戻る。

ケルントナー通り周辺にはいろんなレストランがある。こちらに来てから麺類を食べていなかったので、昼食はイタリアンのレストランにて、アラビアータのパスタとビール。日本で食べるパスタを思い出した。昼食後はケルントナー通りのスーパーにて買い物。ヨーグルトや100%果汁のジュース、日本へのお土産などをあれこれ購入してホテルへと戻る。

シャワーを浴びてのんびりしながら、お隣のオペラ座の見学ツアーのことをネットで調べていると、日本語のガイドによるツアーが一日に二回あるとわかった。時間は午後1時と3時である。時計を見るとちょうど2時半だった。シャワーを使っていた家内にそのことを告げ、急いで支度をしようということになった。
こういうときにオペラ座の近くのホテルはありがたかった。小走りでオペラ座へと向かい、日本語ガイドのツアーを申し込んだのが3時10分前。ツアーの待機場所には、既に10人以上の日本人が待っていた。
当然、日本人のガイドが案内するのだろうと思いきや、僕らの前に現れたのは日本で暮らしたこともあるという現地の青年であった。この青年の日本語はうまかった。全然現地の人であるという感じがしなかった。
この青年ガイドの案内で、皇帝の席や舞台裏などオペラ座の様々な場所を見学することができた。
中でも感激したのは、オペラ座内の「マーラーの間」であった。そこには、マーラーの胸像とともにマーラーがシーズンオフの作曲の際に使用していたという小さなピアノが展示されていた。まさかそんなものが見られるとは夢にも思っていなかったので、まるで身内のことを紹介されているかのような感動を覚えた。やっぱり、最後の最後までマーラーに導かれているのだと実感した。

マーラーのオペラ座監督在任中は、監督就任時から民族的偏見(マーラーはユダヤ人だった)による反感もあったが、何より芸術的レベルの高さを求めるあまり、歌手やオーケストラに厳しい練習を強いたり、縁故で採用された演奏者を出演させなかったりしたことで劇場側と折り合いが悪くなり、熱狂的な支持者もいたのだが、結局監督就任から10年後にマーラーは自らウィーンを去ることになる。
そんなウィーンのオペラ座が「マーラーの間」なる部屋を設けているということをマーラーが知ったら、いったいどんな顔をするのだろうということを想像した。
オペラ座出口のところのショップにて、マーラーの肖像写真の絵葉書を購入してホテルに戻った。

オーストリア最後の夜は、昨晩と同じくレストラン「ミュラーバイスル」へ。日本語メニューのあることがわかっていたので、「日本語メニューちょーだい」とお願いして、ウィーン名物の「ヴィーナーシュニッツェル(子牛肉のカツレツ)」をオーダーする。
会計時、昨晩の店員がやってきて、「ウチのお客さんの6割は日本人ですねん」と言う(その割には僕らの他に日本人客はいませんでしたが)。そのうちに、中国人の団体客が100人ほど!やって来た。そのまま店内に入って行ったが、さすがにこれだけの人数は入れないでしょと思っていたら、半分ほどの人が出て来て別の店へ行ってしまった。それでも50人ほどは店内に入ったのである。
件の店員に「よお儲かりますなあ。今度は中国語のメニューを用意しときなはれ」と冷やかしながら、「僕ら明日日本に帰るんやけど、もしこちらへ来るようなことがあったらまた寄せてもらいますわ」と話してお店を後にする。

ウィーンの最後の夜も、相変わらず暑かった。でも、翌朝はずいぶんと涼しくなっていた。スーツケースを転がしながら、ケルントナー通りをシュテファン寺院方面へ。またこの寺院を見ることはあるのかなあと思いつつ、その威容を目に焼き付けておく。
空港行きのバス乗り場であるモルツィンプラッツには、予定より30分ほど早く着いた。そのまま待機していたバスに乗り込み、ウィーン国際空港へ。モルツィンプラッツからは30分もかからずに空港へ到着した。
ウィーン国際空港は、思っていたよりも大きな空港であった。バスが到着したところからフィンエアーのチェックインカウンターがあるターミナルまではかなりの距離を移動した。
例によって、前日にウェブチェックインを済ませていたので、既に10人以上が列を作っていたチェックインカウンターには並ばず、すぐ隣のバゲージドロップ前にて受付を待つ。程なく係員が現れて受付をしてくれたので、荷物を預け航空券を受け取り、搭乗口の確認をする。ホッと一息である。
航空券をかざして中に入り、近くのカフェにて遅めの朝食を食べ、混雑するセキュリティゲートを抜けると、あとは搭乗を待つだけとなった。いよいよオーストリアともお別れである。

まさか、実際に訪れる日が来るとは思ってもいなかったシュタインバッハ・アム・アッターゼのマーラーの作曲小屋と、まさか現地で聴けるとは思ってもいなかったウィーン・フィルによるマーラーをザルツブルク祝祭大劇場にて聴き、ウィーンへの38年ぶりの再訪も果たした、まことに充実した旅であった。
それもこれも、すべてはミューズの神とマーラーのお導きであったように思う。
マーラーだけではなく、モーツァルトの生まれたザルツブルクの街に滞在し、ベートーヴェンが生活していたウィーンの家を訪れたことで、モーツァルトやベートーヴェンがより身近な存在として感じられるようになったことも、今回の旅の大きな収穫であった。

11:15ウィーン国際空港を発つ。14:40ヘルシンキ着。トランジットの間に軽食を取り、17:15ヘルシンキを発つ。ほとんど眠れないまま、翌朝8:15セントレア着。ポケットWiFiを返し、トゥインゴの待つ駐車場へ。途中、何度か眠りそうになりながらも、無事浜松まで帰り着く。
帰国して最初に食べたのは、味噌ラーメンだった。