ザルツブルク音楽祭へ (その7)ザルツブルクからウィーンへ

感動冷めやらぬザルツブルクを後にして、ウィーンへと移動する。
今回の旅の大きな目的二つ(マーラーの作曲小屋を訪れることと、ザルツブルク祝祭大劇場でのウィーン・フィルによるマーラーを聴くこと)は果たしたので、ウィーンはおまけの観光である。でも、ウィーンはマーラーが10年以上にわたってオペラ座の監督をしており、マーラーとは因縁浅からぬところだ。
ザルツブルクからウィーンへはレイルジェットで2時間22分。列車に乗り込むと、僕らの席には別の日本人と思しき夫婦が座っていたので「すみません、ここは予約席なんですけど」と声を掛けると、謝りながら慌てて別の席へと移動していった。

10:08ザルツブルク発。車窓の風景を楽しみながら、12:30ウィーン中央駅着。
ホテルは国立オペラ座のすぐ近くだったので、日本で事前に購入しておいた地下鉄・トラム・バス用の48時間フリーパスを取り出し、地下鉄1番線のプラットホームへ。中央駅から二つ目のカールスプラッツ駅にて下車。例によって地下鉄にも改札はないので何だかヘンな感じがする。

僕は38年ぶりのウィーン再訪であった。もちろん、38年前には地下鉄はなかった。だからというわけではなかろうが、駅から出ると方向感覚を失った。あまりの都会化に狼狽して、ホテルとは反対方向へと行ってしまったのである。いつまでたってもオペラ座が見えてこないのでGoogleマップで確認すると、進行方向とは逆方向の通り沿いにオペラ座の屋根が見えた。

こんな感じだったかなあとオペラ座の前を通過して、そろそろホテルが見えてくるはずだと思っていたのだが、これまたそれらしき建物が見えてこない。事前に調べておいた地図では、ホテルはオペラ座のすぐ北側にあるはずだった。しかし、そこには美術館らしき建物があるだけで、目指すホテルの姿は見えない。再びGoogleマップで確認してみるのだが、どうも自分のいる位置がはっきりしない。辺りを徘徊して途方に暮れつつあったのだが、やっとのことでホテルの入口を見つけることができた。

宿泊先のホテルは、オペラ座のすぐ近くという一等地にあったためか、古くからの格式を感じさせるホテルであった。
チェックインを済ませ、部屋へと上がるエレベーターに乗り込む。なんとも旧式なエレベーターであった。宿泊する4階に到着、蛇腹式の内側のドアがまったりと開く。でも、そのすぐ外側のドアが開かない。「あれ?」とか言っているうちに、エレベーターは1階まで戻ってしまった。もう一度4階のボタンを押して、エレベーターが上がる。蛇腹式のドアが開く。やはりその先のドアが開かない。すると家内が「これ、押すんじゃない?」と目の前のドアをぐっと押してみた。なんと外側のドアは自動ドアではなかったのである。

部屋に入ろうとすると、このドアも二重になっていた。外側のドアには鍵は付いておらず、内側のドアを開錠して部屋に入った。どうしてドアが二重になっていたのかは今もって謎である。
暑かったので、とりあえずシャワーを浴びることにした。と、あることに気がついた。シャワーを使っていると、お湯がどんどんバスタブに溜まっていくのである。排水栓が閉まっているんだと思い、栓開閉のための大きなダイヤル様のものを開く方向に回してみたのだが、手を離すとすぐに元に戻って栓は閉まってしまう。何度やっても変わらなかったので、ひょっとして排水のためにはダイヤルをずっと手で持っていなければならない構造になっているのかとも思ったのだが、まさかそんなことはなかろうとフロントに事情を話してみた。
ホテルマンが部屋にやってきて栓の様子を見ていたのだが、「これは私たちの手には負えない。部屋を代わってもらうようフロントに話をするのでしばし待たれよ」と言い残して部屋を出ていった。待つこと数分、僕らを別の部屋に案内してくれた。念のためバスタブの栓の様子も見てみたが、こちらは正常に機能した。

昼食もまだだったので、市内見物へと出かける前にホテル近くのレストランにてランチ。初めは店内で食べようと思っていたのだが、とにかく暑くていられないので外のテーブル席へ。ビールの追加を頼んだのだがいつまでたっても持ってきてくれないので、店員のおっちゃんに「おお、びいる、びいるをくれ〜」と喉を抑えながらジェスチャーすると、笑って謝りながらビールを持ってきてくれた。会計の際には、ビールを忘れていたことに配慮してくれたのか、50セントほど減額してくれた。

昼食を済ませ、まずは双頭の鷲の門をくぐってホーフブルク(王宮)へ。38年前には訪れなかった場所である。
あまりの大きさに圧倒される。
事前にシシィ・チケット(王宮とシェーンブルン宮殿の優先入場券)を購入しておいたので、iPhoneの画面のQRコードを見せて博物館へ。こんなにたくさんの食器が本当に必要だったのだろうか?と思えるほどの多数の食器に圧倒された。

ホーフブルクを出て、リンク(外周道路)を市庁舎方面へ。それにしても暑い。日陰を選んで歩かないと、すぐに汗まみれになってしまう。ヨーロッパはもっと涼しいと思っていたのだが、日向は日本とそう変わらない暑さであった。
なにやら修復作業中らしく一部カバーのかけられた国会議事堂、巨大なブルク劇場などを見ながら市庁舎へ。最近はここで夏の間だけ「フィルム・フェスティバル」という音楽祭のようなもの(コンサートなどの多彩な映画が上映される)が開かれているとのことで、市庁舎前には巨大なスクリーンが設置され、観賞用の椅子も多数用意されていた。飲食の露店も軒を連ねていたが、値段を見ると飲み物などもけっこう高価に設定されているものばかりであった。
あまりに暑いので、近くのスーパーマーケットを探して何か飲み物を買おうとしたのだが、検索されたスーパーまで行ってみると、その日が日曜日だったためか、ほとんどが営業していなかった。背に腹はかえられなかったので、足元を見られているとは思いつつ、高価な飲料水を買わざるを得なかった。

ウィーン大学の近くには、ベートーヴェンの住んでいた家があるというので訪れてみようと思っていた。
確かにこの建物だということはわかったのだが、入口がどこかわからない。ぐるりと一周してみると、どうやらここが入口ではないかと思われる場所があった。
大きなドアを押して中に入ると、中は真っ暗である。電灯のスイッチらしきものを探して明かりをつけると、すぐ目の前が螺旋階段であった。「ベートーヴェンの住んでいた部屋は4階である」との表示がされている。日曜日だから見学はできないかもしれないと訝りつつ階段を登ると、受付にオッちゃんとオバはんがいた。「見学は可能ですか?」と尋ねると、「どうぞどうぞ、でも入場料は現金のみで支払ってくださいな」と言われた。
いくつかの部屋を回りながら、この部屋にベートーヴェンが住んでいたのかと思うと感無量であった。
オバはんは私たちの様子をずっとモニターしていたらしく、ちょっとでも展示ケースのガラスに顔を近づけたりすると、「触ったらアカン」などといちいち注意をしてくれるのであった。
それにしても、なんという商売っ気のなさであろうか。かのベートーヴェンが住んでいた家ですよ?立派な観光資源じゃないですか!なのに、入口の表示もよくわからず、ドアは開いておらず、階段は真っ暗。なんだかなあという感じで見学を終えた。

さすがに歩き疲れたので、あとは帰るときの空港行きバス乗り場だけを確認してホテルに帰ろうということで、そのバス乗り場近くまで行くトラムへ乗ることにした。
トラムが来たので乗車した。エアコンが効いた涼しい車内を期待した僕らが甘かった。窓は開いていたが、そこからは熱風が入ってくるだけだったのである。もうトラムに乗るのはやめようと思った。

空港行きのバス乗り場は、ドナウ運河のすぐ近くであった。運河を見ると、壁という壁いちめんに落書きがしてある。とても芸術などとは言えない単なる落書きであった。そこからホテルまでは歩いて行くしかないので、シュテファン寺院を目指して歩く。シュテファン寺院からホテルまではほんの5分ほどなのである。
多少は迷いながらも、なんとかシュテファン寺院までたどり着くことができた。いやはや、その大きさときたら!中に入ることもできたので、38年前には見られなかった寺院内へ。多くの見学客がいたが、やはり寺院の中には厳粛な空気が流れていた。

ようやくのことでホテルへと戻り、シャワーで汗を流す。それにしても、ウィーンは暑い。もちろん、部屋にエアコンはなかった。
部屋にいるより外に出ている方が涼しいので、しばらく休憩してから夕食を食べに行くことにした。事前に調べておいた「ミュラーバイスル」というケルントナー通りから少し南に入ったところのレストランである。メニューを見て注文を終えると、別の店員が「日本語のメニューもありまっせ」と日本語メニューを持ってきてくれた。早く言ってよ!
こちらに来てから肉やソーセージばかり食べていたので、この日はお魚のフライを注文。こちらのレストランは一皿の量が多いので、二人で一皿がちょうどいい分量である。

ホテルに帰り、疲れていたのでお風呂に入ってすぐに床に就いたのだが、扇風機だけでは暑くて眠れない。仕方がないので、扇風機側に枕を移動してようやく眠ることができた。夜まで暑いウィーンであった。