いよいよ祝祭大劇場でウィーン・フィルによるマーラーの交響曲第2番を聴くときがやってきた。この演奏会を聴くために、はるばるザルツブルクまでやってきたのだ。
演奏会は午前11時からなので、時間的には少しゆとりがあった。ホテル近くで朝早くから営業しているカフェにて簡単な朝食を済ませ、歩いて5〜6分のところにあるミラベル宮殿へ行ってみることにした。
ミラベル宮殿に入るための入場料などは特にないので、東側の入口から庭園に入ると、中央の噴水のある池の右手に宮殿、左手に庭園が広がっている。宮殿側から見ると、正面の小高い山(メンヒスベルク)の頂にあるホーエンザルツブルク城が庭園の借景となって、まことに見事な景観を呈している。
宮殿の中から庭園を見られるだろうかと宮殿の建物内に入ってみたりしたが、残念ながら宮殿内から庭園が見られる部屋はなかった。その代わり、この日音楽祭の一環としてこの宮殿内で予定されていた、室内楽のコンサート会場を見ることができた。
宮殿内を歩いていて気が付いたことがある。それは、どの扉もひどく大きいことだ。ドアノブがちょうど僕の頭くらいの高さについている。しかも、扉自体はオーク材か何かでできているのだろうか、とにかくひどく重い。昔のオーストリア人は巨人だったのかと錯覚してしまうほどであった。
ミラベル宮殿の見学からホテルに戻り、僕は夏用のブレザーにネクタイ、家内はベージュのワンピースという出で立ちに着替えて、祝祭大劇場へと向かう。石畳の道をザルツァッハ川へ向かって下ると、橋の向こうに旧市街地が見えた。
その橋(シュターツ橋)の欄干には、オーストリア国旗とザルツブルク音楽祭のシンボルマークが風に揺れ、いかにも華やかな雰囲気が感じられる。橋を渡り、旧市街地の市壁をくぐると、中世さながらの狭い通りに所狭しと露店が軒を連ねている。
まずは祝祭大劇場の場所を確認しておこうと歩いていると、いきなり後ろから「祝祭大劇場へ行くのかね?」と老爺に声を掛けられた。「ついて来なさい」と言われるままにその後をついて行くと、「ここが祝祭大劇場だよ。まだ扉は開いていないけど、開演時間が近づいたら開けてくれる。それまではモーツァルトの生家とか見てきたらいい。ここからまっすぐ通りを二つ越えて右に曲がったところだ。ところで、今日は確かウィーン・フィルの演奏会だったな。マーラーをやるんだろ?指揮者は誰だっけ?マリス・ヤンソンス?」と言われたので、「いえ、アンドリス・ネルソンスです」と答えると、笑いながら「そうか、ヤンソンスじゃなくてネルソンスか!」と言い、「コンサートを楽しみなさい、じゃあね!」と行ってしまった。
教えられたとおりに、モーツァルトの生家へ行ってみた。祝祭大劇場のすぐ近くだった。入場料を支払って中に入ると、実際にモーツァルトが生まれた部屋などがそのまま残されていた。部屋の窓からは、モーツァルトが洗礼を受けたザルツブルク大聖堂の塔が見える。幼いモーツァルトが弾いたとされる小さなピアノが印象的だった。
開演時間が近づいてきた。祝祭大劇場の前まで行ってみると、既に入口の扉は開けられていた。開演を待つ客が入口前のスタンドでワインなどを飲んでいる。日本人もちらほら見かけることができた。
チケットを出して、祝祭大劇場の中に入る。とりあえず席を確認しておこうと二階席まで行ってみたが、座席への扉は閉じられたままで、開けて入ろうとすると係員から「まだ入れません」と言われた。その間にトイレに行ったりして開場を待つ。
開演20分前くらいになって、ようやく扉が開けられた。係員にチケットを見せると、だいたいどの辺りの席か教えてくれた。言われたとおりに座席を探して着席する。ステージが右斜め下に見える。シートは木製。背もたれが高い。前の座席とは重ならないように配置されているのでステージがよく見える。
ステージでは、ギターやサックスの奏者が開演前の練習をしていた。マーラーをやるはずなのに、なんでギターやサックスが?と思っていたのだが、マーラーの交響曲の前にツィンマーマンの曲を演奏するということを忘れていた。
開演時間を知らせるチャイムが鳴り、楽団員が登場してきた。ウィーン・フィルの実際の演奏を聴くのはこれが初めてである。日本の音楽ホールと違って、客席の照明は多少は暗くなったかと思われるくらいで、ほとんど暗くはならない。指揮者のアンドリス・ネルソンスが登場して、ツィンマーマンの曲が始まった。
休憩を挟んで、いよいよマーラーである。ザルツブルクに行く前から、ぜひとも聴いてみたいと思っていたのは、8分の3拍子で演奏される第2楽章であった。3拍子のリズムはメヌエットやワルツのリズムと言われる。ウィンナ・ワルツの本場、ウイーン・フィルがどのように3拍子を演奏するのか楽しみにしていたのである。
第1楽章が始まって、終楽章の終わりまで約1時間半。身じろぎもせず、全身を耳にして聴いた。
およそ、今までのどの演奏会でも経験したことのない感動に包まれた。
個人的には、大きく三つの点が印象的だった。
一つめは、事前に聴きたいと思っていたウィーン・フィルによる3拍子のリズムである。
第2楽章の始まりから、いきなりその演奏に引き込まれた。
3拍子のリズムは、実際に演奏するときには、「イチ・ニイ・サン」ではない。第1拍にアクセントが置かれるから「イチ、ニッ、サンッ」となる。第1拍をどの程度のアクセントで鳴らすのか、続く第2、3拍をどの程度軽く演奏するのか、そしてそのリズムをベースにしてどうメロディを奏でるのかが、3拍子の音楽の聴かせどころである。
もちろん、指揮者がそれらを細かいところまで指示をすることもあろうが、例えばヴァイオリン・パートの全員がボウイング(弓の上げ下げ)を揃えて演奏するのは、パート全員がまるで一つの楽器であるかのように演奏しなければならないのだから、いくら指揮者が指示しようとも奏者がそれを揃えるためには、パートを構成する全員が「3拍子はこうやって演奏する」ということを身体化していなければ不可能であろう。
ウィーン・フィルの弦楽セクションは、これが絶妙だった。まるで船頭さんの手漕ぎの舟に乗って琵琶湖の水郷巡りをしているかのような、「3拍子の音楽はかくあるべし」という手本のような演奏であった。
二つめは、オーケストラのアンサンブルである。
ウィーン・フィルは、どんなに楽器数が少ない箇所でも、逆にフルオーケストラの大音響の箇所でも、ハーモニーとして響かせることを第一にして演奏しているようであった。
例えば、第4楽章冒頭のアルトのソロに続くトランペットの二重奏。通常の演奏だと、主旋律の音の方が際立つのだが、ウィーン・フィルの演奏は対旋律が主旋律とほぼ同様の音量で演奏されていた。
音の重ね方によって実際にどんなハーモニーとして響くのかということを、それぞれの演奏者が熟知しているのだ。まるで、画家がいろんな絵の具を混ぜ合わせることで、どんな色になるのかを知り抜いているかのように。
また、大音響でアンサンブルが破綻しないことに大きな役割を追っていたのは、ホルンであった。ウィーン・フィルのホルンセクションが使用している楽器は、「ウィンナ・ホルン」と言われるどちらかといえば古楽器に近いホルンである。古楽器に近いということは、あまり機能的ではない楽器ということである。もちろん、演奏技術も現代のホルンに比べれば格段に難しいに違いない。このホルンを使用しているオーケストラは、もちろん世界中でウィーン・フィルだけである。そんな楽器をどうして採用しているのか。それはもちろん、困難な演奏技術から得られる音色が捨てがたいからだ。
ウィンナ・ホルン独特の野太い音は、特に大オーケストラのテュッティ(全奏)の場面でその底力を発揮するということを、今回の演奏会で初めて知った。中音域のホルンが、弦楽器と管・打楽器の橋渡し役を果たすことで、全体のハーモニーが崩れることなく、バランスを保つことができていたのである。
三つめは、これが最大の感動であったが、ふだんの生活ではなかなか感じることができない崇高なもの、それによって自分が浄化されたと感じるものに触れることができたことである。
第4楽章のアルト独唱や、終楽章での「復活」の合唱が静かに始まったとき、そしてその合唱に続くトランペットのソロを聞いたとき、さらには終結部でオーケストラと合唱団にオルガンが加わってクライマックスを迎えたとき、悲しかったわけでもなく、もちろんうれしかったわけでもないのに、思わず涙が零れてきた。そうさせたものは、いったい何だったのであろうか。
悲しみでもなく、喜びでもない涙とは、人知を超えるものに出会ったとき流される涙である。
そんな「人知を超えるもの」を、ある人々は「神」と呼び、また別の人々は「イデア」とか「涅槃」とか呼び習わした。特定の宗派にとらわれることのない「宗教的法悦」を感じたとも言えるかもしれない。
まさしく、そのとき祝祭大劇場にはミューズの神が舞い降りていたのだ。
終演後のカーテンコールは、スタンディング・オベーションにもかかわらず、わずかに3回。3度目が済むと、コンサートマスターが合図して、楽団員たちはさっさと引き上げ始めた。日本での演奏会が5〜6度もカーテンコールされるのと違って、さっぱりして好印象だった。
興奮冷めやらぬままにロビーへ。もう生涯この劇場に来ることはないかもしれないと思い、出口近くにいた制服の男性に写真を撮ってもらうようお願いしてみたのだが、「それならあそこにいる警備員に頼め」と言われたので、出口のところでセキュリティのビブスを付けていた女性に頼んで写真を撮ってもらった。
劇場の外に出て、近くのレストランで遅めの昼食を取り、ホテルに帰って着替え、もう一度旧市街地へと出向いて、ホーエンザルツブルク城に登ってみた。登ると言っても、ケーブルカーであっという間に登れるのだが。このお城からは、ザルツブルクの街全体を見渡すことができた。
あらためて、美しい街だと思った。美しい街には、美しい音楽こそが相応しい。
そうやってザルツブルクの街並みを眼下に見渡している僕の耳には、この日に聴いたマーラーの交響曲第2番第2楽章のメロディが、いつまでもいつまでも聞こえているのだった。