ザルツブルク音楽祭へ (その5)ミュンヘン〜ザルツブルク〜マーラーの作曲小屋まで

ミュンヘンの朝は涼しかった。ホテル内にて朝食を済ませ、荷物を整えてホテルをチェックアウト。これからいよいよザルツブルクへと移動するのである。
ホテルフロントのお姉さんに、ミュンヘン駅構内の行き先を表示する電光掲示板について尋ねると、「大丈夫です、ちゃんと行き先から発着番線まで表示されてますから」とのお返事。「ザルツブルクまで行かれるんですね。とっても美しい街ですから、ぜひ滞在を楽しんできてください」と言われた。うれしかった。

ミュンヘン中央駅はプラットホームが36もある。改札口はなく、それぞれのプラットホームには入線している列車が間近に見られる。構内には、サンドイッチなどの軽食を売るスタンドや、雑誌などを売るお店、スーパーマーケットのような店まで、多種多様な店舗で賑わっている。
さすがに乗車1時間前にはまだ発着番線が表示されていない。とりあえず目にすることができるホームは、11番から始まって26番まで。それ以外のホームからの発着の可能性もあるので、ホームの位置を確認しておこうと思い、駅構内を端から端まで歩いてみた。1〜10番までと、27〜36番までのホームは、それぞれ駅の東と西の奥まったところにあった。もしザルツブルク行きがそれらのホームだったら、早めにプラットホームまで移動しておかなければならない。

駅の電光掲示板の下にはインフォメーションがあった。掲示板には表示されていなくても、そこなら発着番線を教えてもらえるかもしれないと思い、日本からプリントアウトしてきた切符を見せて、どの番線からの発着かを尋ねた。「12番です」と教えてくれた。ちょうどそのとき、電光掲示板にも僕たちが乗る列車レイルジェット63号が表示されたところだった。
12番プラットホームで待つことしばし。ほどなくレイルジェット63号が入線してきた。日本の新幹線に比べると「ゴツい車体」という印象だ。ホームにいた駅員と思しき制服のオッちゃんに、僕らが乗る予定の22号車はどの辺りに停車するか尋ねた(つもりだった)ところ、「ザ・ラスト・ワン」と言われたので、最後尾かと思って待っていたのだが、入線後の列車から降りてきた女性の乗務員に尋ねると「もっとずっと向こうですよ」と言われたので、慌ててキャリーを引きながらホームを移動する。

どの車両が22号車なのかよくわからないまま、とりあえず列車に乗り込んだ。事前に日本で予約した座席番号がわかっていたので、その番号の席を探すと、既にノートPCを前にしたおじさんが座っていた。「すみません、ここは僕らの席かと思うのですが」と問いかけると、「え?本当?そんなはずはないと思うんだけど」と言われるので、僕らの切符を見せると「ここは21号車です。あなたたちの席は隣の号車ですよ」と教えてくれた。平謝りに謝って22号車へ。
ところが、その22号車の席にも二人組の若者が座っていた。もう一度切符を確認して、「すみません、ここ僕らの席だと思うんですけど」と言うと、「オー、ソーリー」と言いながらすぐに席を空けてくれて、向かいの席に座り直してくれた。そればかりか、大きなキャリーを網棚に上げるのに手間取っていると、すぐに手伝ってくれた。ありがたかった。

ザルツブルクまでは1時間42分。ミュンヘンの市内を抜けると、車窓には北海道かと見紛う風景が広がっている。どこまでも続くかと思われる刈り込まれた牧草地。低い潅木。時おり見られる赤い屋根の町並みと教会の尖塔。旅をしている実感が湧いてくる。
レイルジェットは特急列車なので、ザルツブルクまで途中の駅には停車しない。向かいの二人組は途切れることなくひっきりなしにおしゃべりしている。よほど仲がいいのだろう。そんなおしゃべりを聞いているうちに、ザルツブルク駅に到着した。

プラットホームからエスカレーターを下ると、そこはさながらショッピングセンターかと思われるほどに現代的な駅の構内であった。南口からエスカレータを上がり、地図を見ながらホテルへと向かう。この日はこれから、ザルツカンマーグートのアッター湖畔にあるマーラーの作曲小屋を訪ねる予定になっているのである。
ホテルは駅から南東方向であったが、どうも道をまちがえたらしく、そのまま西の方へ向かってしまった。グーグルマップを見ながら、なんとかホテルへとたどり着く。チェックインはまだできないとのことだったので、荷物を預かってもらい、アッター湖畔の「ホテル・フェッティンガー」に電話をかけてもらって、午後3時半くらいにマーラーの作曲小屋を見学に行くから作曲小屋の鍵を貸してほしい旨の連絡をしてもらった(『地球の歩き方』に「ホテルへの事前連絡が必要」と書かれていたのである)。

アッター湖畔へ行くための列車の時間までは2時間ほど余裕があったので、ザルツブルク駅に戻り、駅近くのファストフード店にて軽い昼食。ザルツブルク駅は、南口は普通の出口なのだが、北口の駅舎は白亜のたいそう立派な建物である。
事前に北口のショッピングセンター内にT-Mobileの店舗があると調べておいたので、そこで1ヶ月限定のシムを手に入れることにした。日本で調べたときには10GBで15ユーロとのことであったが、お店でそのシムをお願いすると、8GBで10ユーロのものに変更されたとのことだった。もちろんそれで十分なので、その場で購入してファーウェイのSIMフリータブレットに装着してみた。4G-LTEでサクサク繋がる。テザリングもできるのでiPhoneのルーターとしても使用することにした。

アッター湖畔には、ザルツブルクからレイルジェットで40分のフェックラブルック駅にて下車、そこからバスにてマーラーの作曲小屋のあるアッター湖畔へと移動する。レイルジェットに乗車して気がつくのは、とにかく車内がたいへん静かなことだ。走行音がほとんど車内には聞こえない。座席のシート番号のところをよく見ると、僕らが指定した席は、特に静かにするエリア(サイレントエリア)だった。

フェックラブルック駅に到着、駅舎内のインフォメーションにてバス停の場所を確認して、バスを待つ。アッター湖の北端にあるカンマー・シェルフリンクというところまで行くバスである。乗客は僕らの他に一人だけ。ほとんど貸切状態である。
カンマー・シェルフリンクにて、すぐ隣に停車していたバスを乗り換える。今度はアッター湖畔を南へ下るバスである。途中、いくつかのバス停で乗降客もあったが、マーラーの作曲小屋のあるゼーフェルト(シュタインバッハ・アム・アッターゼの近く)に近づく頃には、僕らの他に一人が乗車しているだけだった。
バスの車窓からは、アッター湖畔で日光浴や湖水浴をする人たちが見える。対岸の山々が青い湖水面に映え、いかにも美しい風景が続く。

ゼーフェルトのガストホーフ・フェッティンガーのバス停にて下車、ホテル・フェッティンガーへと向かう。バス停からほんの数メートル先のホテルだ。このホテルに、マーラーは夏のシーズンオフの間ずっと滞在していた。そして、ホテルから湖畔へ下ったところに作曲小屋を建て、そこで交響曲第2番と3番を作曲したのである。

ふと見ると、湖とは反対側に高く白く聳える山々が見えた。
その瞬間、僕の頭にはマーラーの交響曲第3番第1楽章のトロンボーンのソロが鳴り始めた。
そうか、第1楽章の始まりは、あの山の姿を写したんだ!と確信した。
交響曲第3番の第1楽章は、8本のホルンの斉奏で始まる。どことなく厳しさを感じさせるパッセージだ。その前奏に続いて、遠くの雷鳴を思わせるバスドラムの弱い連打をバックに、トロンボーンがモノローグのようなソロを奏でる。時おり入る弱音器付きトランペットの三連符は、まるで広がってきた黒雲から放たれる稲妻のようだ。
すべては、あの白い岩石の露出した山々の威容、それも雷雲が立ち込めてその山々の頂までは見ることのできない様子が再現されていたのだ(帰国後にその山のことを調べたところ、「ヘレンゲビルゲ(地獄)」という名称の山であることがわかった)。
これは予想外の発見だった。
やはり現地へ実際に行かなければわからないことがあるのだ。しみじみ来てよかったと思った。

ホテルのフロントへ行き、「ザルツブルクのホテルから電話を入れてもらいましたが、マーラーの作曲小屋の鍵を借りにきました」と告げると、応対してくれた若いお姉さんは、そのことを知らされていなかったらしかったが、「ああ、作曲小屋の鍵ですね?これです」と言ってすぐに鍵を出してくれた。
ホテルのすぐ横の道を湖の方へ下ると、ゲートのようなものがあって、そこから先はキャンピングカー専用のキャンプ地になっていた。ゲートが少し開けてあったので、そこから湖畔へ。少し歩くと、「マーラーの作曲小屋」と書かれた小さな掲示板があった。そこを曲がると、すぐ目の前に作曲小屋があった!

赤い屋根に白い壁。バックにはアッター湖の青い湖面と対岸の緑の山が見える。鍵を開けて中に入ると、いきなり交響曲第3番の第1楽章が鳴り出した。そういう仕掛けになっていたのだ。やっぱり交響曲第3番の第1楽章なのだ!
小屋の中には、古びたピアノが一台置かれていて、四方の壁面にはマーラーの写真や楽譜の写し、当時の新聞記事などが所狭しと掲示されていた。ピアノ以外には、何も置くスペースがないほどの小さな小屋である。入口の他の三方の壁にはそれぞれ小さな窓が開いていて、湖と山がいつでも見られるようになっている。
入口左の窓から外を見ると、先ほど目にした白い岩石の山の頂が見えた。ブルーノ・ワルターも、あの山と眼下の湖とを見たに違いない。すべてはこの窓から見える景色だったのだ。

少しでも長くその場に居たかったのだが、この作曲小屋の周囲にも日光浴や湖水浴のためのサマーベッドが置かれていて、あまりその周辺をうろつくのもためらわれたので、ほどなくホテルへと戻り、お礼を言って鍵を返した。ちなみに、この作曲小屋の見学は無料である。
ホテルの反対側の道の奥には草原が広がっていた。もし、マーラーの時代からこの光景のままだったとしたなら、マーラーはこの光景を交響曲第3番の第2楽章にしたのかもしれない。山裾に広がる草原。ところどころに咲く花。シュタインバッハ・アム・アッターゼは美しい場所だった。

再びバスにてカンマーシェルフリンクまで戻り、そこで1時間に1本しかないローカル線の電車を待つ。待つ間、湖畔のカフェにてアイスクリームを食べながら、もう二度と訪れることはないであろうアッター湖畔の、湖岸近くを泳ぐ白鳥や湖水浴する人々をぼんやり眺めていた。

ローカル線にてフェックラブルック駅まで戻り、そこからはレイルジェットでザルツブルクへ。もう午後の7時近くだったので、ホテルへの帰り道にて夕食。
祝祭大劇場でのウィーン・フィルによるマーラーの交響曲第2番が翌日に控えていた。